artscapeレビュー

2010年10月01日号のレビュー/プレビュー

NEO NEW WAVE part1

会期:2010/09/03~2010/09/26

Island[千葉県]

穴村崇、有賀慎吾、太田祐司、小左誠一郎、齋藤祐平、高田冬彦によるグループ展。昨今の活躍が目覚しい若手アーティストを集めた注目の展覧会だ。けれども、展示の実際は全体的に力不足で、どうにもこうにも消化不良の感が否めない。例えば有賀慎吾は大きな会場の空間を横切るように巨大なパッチワークのような作品を展示していたが、これまでの有賀の作品からすると、空間の容量に対して作品の密度があまりにも薄く、これまで凝縮していた力がどこかに拡散してしまっていたようだ。自分の顔をコンピューターで合成しながら奇妙なアニメーションをつくる穴村崇は、これまでの作品を確実に展開させた映像インスタレーションを発表していたが、テレビモニターの大きさや設置の仕方が単調で、せっかくの贅沢な空間を生かしてきれていなかったように思う。結果的に、フライングヒューマノイドを写真で撮影してしまったことで、スポーツ新聞や専門誌、テレビ番組で瞬間的に取り上げられる事態を招いた太田祐司が際立っていたが、このミラクルの大きさに作品が追いついていないところがもどかしい。平均点はクリアするが、決して飛びぬけるわけではないというところに、現在の若手アーティスト全体にとっての問題点が集約されている気がした。

2010/09/12(日)(福住廉)

3331アンデパンダン

会期:2010/09/08~2010/09/19

3331 Arts Chiyoda[東京都]

東京に新たに生まれたアートセンター「3331 Arts Chiyoda」で催されたアンデパンダン展。3331の大きな特徴であるホワイトキューブに、全国から集まった200名以上の出品者による300点以上の作品が立ち並んだ展観はアンデパンダンならではの雑然とした熱気を放っていた。もちろん、それは玉石混交にはちがいないが、それにしてもそうした有象無象による表現への欲望を一カ所で受け入れる場が東京の中心に生まれたことの意味はかなり大きい。美術館や画廊が次々と乱立されていく一方で、そうした制度に乗らない表現は、基本的には野放しにされたままだったからだ。このアンデパンダン展によって、今後知られざるアーティストが新たに発見されることへの期待は高い。個人的に気になったのは、瀬戸内寂聴の言葉をただ抜き出した高屋聖子、既成の地形図をちぎって日の丸に再構成した井川優子、知的で難解な言葉の語感から、それらのイメージを妖怪として図像化した島本了多。とくに島本は、「ジェンダー」から筋肉ムキムキのマッチョな妖怪を、「ジャーゴン」からゴーヤのようなブツブツ感を、それぞれ連想するなどして、美術関係者にありがちな知的なスノビズムをけろりと批判してみせた。「スノビズム」や「アンデパンダン」はどんな妖怪になるのだろうか?

2010/09/12(日)(福住廉)

吉田重信「心の虹」

会期:2010/09/13~2010/09/25

楓ギャラリー[大阪府]

普段はガラス張りの入口から展示の様子が見える楓ギャラリーだが、本展ではガラスを真っ赤に塗り潰しており中が見えない。展示室に入ると室内は真っ暗。照明は入口から一番遠い角に灯る赤いランプだけだ。しばらく経つと目が慣れてきた。床には子ども用の靴が無数に並んでいて、どれも赤い光の方を向いている。その情景はさまざまな解釈が可能だ。例えば、火の前で暖を取る人々、礼拝、弔いの儀式、小さな希望にすがる群衆……。また、時期が時期だけに9.11のことを連想したし、昨今頻発する幼児虐待事件も思い出した。多義的な解釈を受け入れる懐の広さが本作の魅力だ。靴を集める際に地域との連携も図りやすい作品なので、プロジェクトとして各地で開催されれば良い思う。

2010/09/13(月)(小吹隆文)

カール・ハイド展

会期:2010/08/25~2010/09/15

ラフォーレミュージアム原宿[東京都]

UNDERWORLDのメンバーであり、TOMATOのメンバーでもあるカール・ハイドの個展。鉛筆で書き殴ったドローイングの上に色を塗って仕上げた平面作品などが展示された。会場にはライブ・ペインティングの記録映像のほかに、UNDERWORLDの楽曲などが流されていたように、音楽と絵画の重複から独自の芸術を手繰り寄せようとしていたようだ。しかし、その平面作品はどういうわけか「日本的」で、支持体に和紙を用いているからなのか、墨筆による円状の形が吉原治良を連想させるからなのか、とにかくやたら和風を意図したような作品が多い。それらとテクノの音が混ざり合った会場には、胸に「原宿」という漢字がプリントされたTシャツを嬉々として着ている外国人を目撃してしまったときに感ずるような、奇妙な空気が流れていた。もしかしたら、この違和感は外国人の視線によって外在的にとらえた「日本」のイメージを内側から見るというねじれた経験に由来しているのかもしれないが、逆にいえば、西洋から輸入して社会に定着させようとしてきた日本の「美術」のありようも、もしかしたら彼方から見れば同じような違和感とともに見られているのかもしれない。ようするに、ねじれたまま結びつけられているという点で、「お互いさま」なのだろう。

2010/09/14(火)(福住廉)

前衛★R70展

会期:2010/09/13~2010/10/02

Gallery-58[東京都]

70歳未満は出品不可という企画展。赤瀬川原平、秋山祐徳太子、池田龍雄、田中信太郎、中村宏、吉野辰海がそれぞれ新作を発表した。小品とはいえ、それぞれの芸風を存分に発揮した作品を展示していたので、たしかに見応えはある。けれども、同時に顔も名前も十分に広く知られた「前衛」作家たちであるという条件を抜きにして作品を客観的に見ることが難しいのも事実だ。彼らが「前衛」の花形、平たくいえばスターである以上、それは仕方がないことなのかもしれない。しかし、現在のぬるいアートシーンに喝を入れることができるのが、かつてのスター・アーティストたちだけだとしたら、それはまた別のぬるさを呼び込んでしまうことになりかねない。むしろ、顔も名前も知られないまま、70歳を超えてなお、制作活動に打ち込んでいる未知の老人による表現こそ、アートシーン全体を根底から震撼させることができるのではないだろうか。かねてからの自論だが、この際、金太郎飴のような似たり寄ったりの国際展や若者を吸い上げる公募展はもうやめにして、全国津々浦々、知られざる老人による表現行為や創作活動を一堂に会した「シルバー・ビエンナーレ」を開催してはどうだろうか。甘ったれた若造に焼きを入れるには、かつてのスターを召還するより、わけのわからない老人を結集させるのがいちばんである。その有象無象のカオスの中から、私たちの文化や社会福祉に貢献できるアートを探し出すことは、きっと楽しい。

2010/09/15(水)(福住廉)

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