artscapeレビュー

2011年04月15日号のレビュー/プレビュー

倉敷芸術科学大学日本画コース有志卒業制作展2010
和光大学表現学部芸術学科卒業制作展2011
阿佐ヶ谷美術専門学校卒業・修了制作展2011

会期:2011/03/01~2011/03/06

BankARTスタジオNYK[神奈川県]

同時期にBankARTで行なわれた卒展をまとめて3本。タイトルはそれぞれ「無人島」「0時間」「creative garden」というもので、内容とは関係ないよう。また、倉敷だけ「2010」になってるのはうっかりミス、ではなくて卒業年度に合わせたのだろう。肝 腎の作品だが、阿佐ヶ谷に何点か注目すべき作品があったものの(すいません地震で資料を失い名前が不明)、はっきりいって見るべき作品はとても少ない。な ぜ作品をつくるのか、つくらなくちゃならないのか、たんに卒業制作だからつくりましたというだけなら他人に見せる必要はないだろう。いま作品をつくること (見せること)の意味はなんなのか、もういちど考えてみる必要がある。大震災はムリヤリそのことをわれわれに突きつけてきた。

2011/03/06(日)(村田真)

夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 四国・九州・沖縄編

会期:2011/03/08~2011/05/08

東京都写真美術館 2F展示室[東京都]

日本写真史の「夜明けまえ」、幕末から明治初期の状況を検証しようという「知られざる日本写真開拓史」のシリーズも、関東編(2007年)、中部・近畿・中国地方編(2009年)に続き、今回の四国・九州・沖縄編で3回目になる。薩摩藩主・島津斉彬と家臣たちによる先駆的なダゲレオタイプの研究(1857年)、長崎の上野彦馬による写真館開業(1862年)など、この地方は日本の写真発祥の地のひとつと言ってよい。今回の展示でも、なかなか面白い写真資料が集まっていた。
例えば、長崎大学附属図書館が所蔵する全3冊の「ボードイン・アルバム」。長崎養生所(医学伝習所の後身)で教官をつとめていたアントニウス・F・ボードインと、弟の駐日オランダ領事アルフォンス・ボードインが蒐集した写真を中心に貼り付けたもので、フェリーチェ・ベアトが撮影した「占拠された長州藩前田御茶屋低台場」(1864年)など、貴重な写真、イラストが含まれている。普通このようなアルバムの展示では、開いたページだけしか閲覧できないのだが、複写した全画像を壁面にプロジェクションして、他のページも見ることができるようになっていた。ほかにも名刺判肖像写真の台紙裏のデータを読み取れるように、アクリルケースに立てて展示するなど、全体的に見やすくする工夫が凝らされている。普通の観客は古写真にはあまり馴染みがないので、このような細やかな配慮は大切ではないかと思う。
次回は東北・北海道編の予定だが、さらに幕末・明治初期の日本写真の全体像を浮かび上がらせる総集編も視野に入れていかなければならないのではないだろうか。

2011/03/07(月)(飯沢耕太郎)

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生誕100年 岡本太郎展

会期:2011/03/08~2011/05/08

東京国立近代美術館[東京都]

初期から晩年までの絵画(ただしパリ時代の絵画は戦後の再制作)をはじめ、縄文土器の写真、《太陽の塔》のスケッチ、パブリックアートのマケット、椅子やネクタイなどのデザイン、おびただしい量の書籍など、多彩な活動を多角的に紹介している。すでに川崎市に岡本太郎美術館があるので、いまさら総花的な紹介でもないし、かといって絵画や万博に絞った企画ももうやられているし……てなわけで今回は「対決」がキーワード。すなわち「ピカソとの対決」「きれいな芸術との対決」「人類の進歩と調和との対決」といったように、既存の権威や常識に戦いを挑み続けた芸術家像を浮かび上がらせようとしている。たしかに絵画を見ても50年代までの作品はとても新鮮で、戦後の日本絵画のなかでは異彩を放っていることが納得できる。つまり対決姿勢が鮮明だ。しかし、それ以降は自己模倣のマンネリズムに陥ってしまうのも事実。不思議なのは、なぜ岡本太郎ともあろうものがマンネリズムを打ち破れずに、自己模倣を繰り返し続けたのかということだ。最後の展示室ではそうした晩年の似たり寄ったりの絵画を30点以上も集めて壁にびっしり飾っている。どれもこれも目玉が描かれているのでインパクトがあり、これはこれでおもしろいインスタレーションではあるが、それは裏返せばワンパターンだからこその効果ともいえる。これを「岡本太郎との対決」と章立てているところを見ると、つねに前衛であり反権威であることの、いいかえればつねに岡本太郎であり続けることの不可能性を示そうとした学芸員の良識ある悪意のインスタレーションというべきかもしれない。

2011/03/07(月)(村田真)

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JIA東北住宅大賞 現地審査

[福島県、岩手県、青森県、秋田県、宮城県]

卒計日本一決定戦の後、古谷誠章さんとJIA東北住宅大賞の現地審査におもむくのが恒例となった。5回目は、郡山(阿部直人の小さな家と、増子順一による間の空間2)、岩手(SOY SOURCEによる八幡平の山荘)、青森(福士譲の事務所による新田の家)、秋田(納谷兄弟による鷹巣の住宅と、木曽善元による横手の家)、仙台(前田卓の川のほとりで)をまわり、二泊三日の強行軍で東北エリアに点在する7作品を見学した。今年は雪国の中庭住宅である横手の家が東北住宅大賞に選ばれた。例年の倍以上の積雪で、まわりの家の軒先が幾つか壊れているなかで、この住宅は、傾斜屋根の配置パターンによって、むしろ雪を味方につけるのが興味深い。冬は片側に雪を落とし、西風をブロックし、それがない夏は通風の道とするのだ。9日にこの住宅を見学後、地元で名物のメロンパンを購入したところ、最初の大きな地震に遭遇する。長い揺れで、まるで船に乗っているようだった。乗るはずの新幹線が運休になったが、まさかあの大地震の予兆とは思っていなかった。

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2011/03/07~09(五十嵐太郎)

芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展

会期:2011/03/08~2011/05/08

東京都写真美術館 3F展示室[東京都]

いろいろな意味で感慨深い展覧会である。もう30年ほど前、筆者は筑波大学大学院芸術学研究科で日本の「芸術写真」の歴史を調査・研究していた。明治後期から昭和初期にかけて、主にアマチュア写真家たちによって担われていた絵画的な写真作品の追求(ピクトリアリズム)は、それまで写真史において「間違ったエピソード」という扱いを受けていた。草創期の素朴なドキュメントと、写真独自の表現可能性を模索した「近代写真」との間の混迷の時代の産物とみなされていたのだ。だが、「芸術写真」が確立した、写真を自立した一枚の「絵」としてとらえ、その枠内での表現の可能性を最大限に追求していく考え方は、現在に至るまで強い影響力を保ち続けている。何よりも、野島康三、福原信三、淵上白陽、山本牧彦、高山正隆といった「芸術写真」の時代を代表する写真家たちの、高度な技術と張りつめた表現意欲に裏打ちされた作品群は実に魅力的だった。これらを歴史に埋もれさせておくのはあまりにも惜しいという思いがあった。
その成果は、博士論文を書き直して刊行した『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房、1986)にまとまる。ちょうど同じ頃、まだ在野の写真史研究家だった金子隆一も、独力で「芸術写真」の研究を進めていた。その後、金子は東京都写真美術館の専門調査員となり「日本のピクトリアリズム」の作品の収集・展示に力を注ぐことになる。その集大成として企画されたのが、今回の「芸術写真の精華」展である。120点の作品はまさに「精華」という言葉にふさわしい名品ぞろいだ。30年前、これらの作品の価値を正確に把握できていたのは、おそらく僕や金子を含めてごく限られた数の人だけだったに違いない。あの評判が悪かった「芸術写真」が、これだけの大きな規模の展覧会に堂々と展示されている。そのことに感慨を覚えずにはおれなかったのだ。
さて、今回の展示であらためて目を見張ったのは、関東大震災以後、中嶋謙吉を理論的な指導者として田村榮、高尾義朗、塩谷定好、佐藤信、本田仙花、小関庄太郎らによって追求された「表現派」とも称されるスタイルの作品である。彼らは「主観の命ずるまゝに自己の感激を、何の捉はるゝ事なしに思ひ切って表せばよいとの考で、自己を自然以上に尊重する」(中嶋謙吉「現在の写真芸術」『中央美術』1923年1月号)ことを主張し、さまざまな技巧を駆使して凝りに凝った作品を制作した。特に「雑巾がけ」と呼ばれる、画面にオイルを引いて鉛筆や絵具などでレタッチを施す技法は実に興味深い。小関庄太郎の1920年代後半から30年代にかけての作品(《古風な町》1928、《海辺》1931)など、ほとんど写真原画の跡を留めないほどに改変されている。この極端なほどに「主観」的な表現のあり方を、現代のフォトショップなどによる画像改変と比較したくなるのは僕だけではないだろう。「芸術写真」を、過去の一時期の特異な表現ということだけで終わらせるのは、あまりにももったいないのではないだろうか。

2011/03/08(火)(飯沢耕太郎)

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2011年04月15日号の
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