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篠原有司男のエネルギー──ドースキー展とパルコ展を解題する

富井玲子(美術史研究)

2014年02月15日号

 一昨年の『篠原ポップス!前衛の道、東京/ニューヨーク』展、そして昨年12月の篠原有司男・篠原乃り子二人展『Love Is A Roar-r-r-r! In Tokyo 愛の雄叫び東京篇』と続けて篠原有司男の展覧会を企画した。

 『篠原ポップス!』展は、池上裕子(神戸大学准教授)との共同企画でニューヨーク州立大学(SUNY)ニューパルツ校付属ドースキー美術館での開催。二人展はドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(ザッカリー・ヘインザーリング監督)の日本公開にともなう関連プログラムで東京渋谷のパルコミュージアムでの開催。ドースキー展は大学美術館という場が要請する美術史的研究の成果発表と教育普及が目的でいわば硬派の展覧会。一方、パルコ展は、映画の日本公開に関連した事業。夫婦の辛口のラブストーリーとあいまって、自主制作ながらオスカー候補にあがるなど話題性の高い映画を受けてエンタメといわずとも〈楽しさ〉を意識した企画だった。








1-4──ドースキー美術館での提示風景
Photo © Bob Wagner

 これほど対照的な取り組みはないわけだが、篠原有司男という実験性とポップ性、つまりはある種の大衆性をあわせもつ作家を考える上で意外にも核心をついた仕事が続いたように思う。
 篠原有司男については、1992年に広島市現代美術館で回顧展が開かれ(徳島県立近代美術館、つかしんホール、ハラミュージアムアークに巡回)、2005年には神奈川県立近代美術館でボクシング・ペインティングとオートバイ彫刻のテーマを掲げつつ実質上回顧的な企画展があった。広島では出原均、鎌倉では李美那が調査と企画を担当して、篠原研究の全体的な概要をつかみ、今後の課題や問題点を考えていくための基礎が築かれた。言うまでもなく、ドースキー展もパルコ展もその土台の上に成り立っている。
 さて、この二つの展覧会の直接のスタートとなったのは、池上裕子がMITプレスから出版した研究書『The Great Migrator: Robert Rauschenberg and the Global Rise of American Art』である。マース・カニンガム・ダンス・カンパニーが1964年に世界公演をした際に、美術監督の役割で同行したラウシェンバーグと公演先の美術界との交流を考察したものだ。その中にはラウシェンバーグの《コカコーラ・プラン》を下敷きにした篠原有司男の《イミテーション・アート》を中心に、アメリカの現代アーティストと東京の前衛芸術家たちの交流を描いた一章があり、60年代に篠原有司男が制作した反芸術の作品がトランスナショナルな意義をもつことを論証している。


5──The Great Migrator: Robert Rauschenberg and the Global Rise of American Art, The MIT Press (August 27, 2010)

 同書の出版記念パーティとして2011年2月11日、ニューヨークの非営利スペース、ホワイトボックスで一晩だけの展覧会『ロバート・ラウシェンバーグ+篠原有司男──出会いを再構成する』を開催。これをきっかけに、まとまった形で篠原有司男の仕事をアメリカで紹介するドースキー展につながっていった。実に、1982年にジャパンハウス・ギャラリー(現・ジャパンソサエティ・ギャラリー)で個展が開催されて以来30年ぶりのことである。そして、パルコ展にはドースキー展での成果が大きく反映されることになった。
 研究という次元をひとまずはずして率直に振り返るなら、ドースキー展の第一の目的はアメリカ、特にニューヨークという場所でSHINOHARAをアピールする、その一言につきるかもしれない。なるほど篠原有司男といえば日本の美術界では60年代の反芸術の旗手として知られているが、ドキュメンタリーでも描かれている通り、生活と制作の本拠であるニューヨークではまだまだその存在は知られていない。その土壌でいかにSHINOHARAを定着させていくのか。これは大きな挑戦だった。
 この意図を象徴的に表しているのが、タイトルの『篠原ポップス!』だ。そもそもは《イミテーション・アート》の元ネタとなった元祖アメリカのポップ・アートを意識してつけた題だったが、popを動詞に使うことで、ボクシングのパンチがカンバスにはじける音、《花魁》シリーズのウイットのきいた造形、オートバイ彫刻に代表されるアメリカのポピュラー文化の取り込みなど、SHINOHARA作品全体がポップしているイメージを示すキーワードとなった。
 篠原のPOPのダイナミズムの推進力となっているのは、〈イマジネーションの力〉と〈ドローイングの力〉だ。これは篠原の定番《ボクシング・ペインティング》に内在しているわけで、ボクシングする自画像をドローイングした近作の大型作品《ボクシング・ペインター》がドースキー展の看板となった。


6──篠原有司男
《プールサイドのスパイダーマン》1979年
インク、ペン、水彩、36.3 x 46.4 cm、篠原有司男+乃り子蔵
© Ushio + Noriko Shinohara / Photo © Kiyoshi Togashi


7──篠原有司男
《竜安寺》1984年
アクリル、カンバス、226 x 366 cm、篠原有司男+乃り子蔵 東京画廊+BTAP協力
© Ushio + Noriko Shinohara

 この二つのパワーを軸に、展覧会はほぼ編年的に構成された。1958年のドローイングは小説『太陽の季節』の挿絵として構想されたシリーズ。軽いタッチと水彩の自由な雰囲気がその後のドローイングの方向を示している。《ボクシング・ペインティング》はウィリアム・クラインや藤倉明治による60年代の記録と、90年代以降再開した近作。特に近作は公開制作だけではなくスタジオ制作もあり〈絵画作品〉としての評価の可能性を考えた。《イミテーション・アート》については、ラウシェンバーグをイミテーションした《コカコーラ・プラン》の64年のオリジナルがMoMAの『TOKYO』展のほうに出品されたため、再制作の近作10点を展示した。(64年にも10点作っているので、歴史的事実にもとづく再制作である)。しかしながら、64年に来日したジャスパー・ジョーンズに篠原がプレゼントした《ドリンク・モア》はジョーンズ本人から借りて展示することができて、美術史的な成果となった。《花魁》シリーズも残念なことに現存作品は少ないが、篠原が60年代に展覧会をした内科画廊(旧蔵)と東京画廊から小品と版画がみつかった。ちなみに、2月15日から始まる東京現代美術館の『MOTコレクション クロニクル 1966-|拡張する眼』でも、新収蔵品として《花魁》シリーズが紹介されているので、篠原の60年代作品の掘り起こしは着実に進んでいるといえよう。


8──篠原有司男
《ドリンク・モア》1964年
蛍光絵具、油彩、石膏、コカコーラ瓶、カンバス、46.4 x 35.6 x 16.5 cm、ジャスパー・ジョーンズ蔵
© Ushio + Noriko Shinohara

 1969年に渡米してからの作品で中心となるのは《オートバイ彫刻》だが、実は主要な作品は日本の美術館にすでに収蔵されているものが多い。ドースキー展では、作家が手元に残していた88年の逸品《モーターサイクル花魁カンザシ》と個人蔵の《プチ・チョッパー》、そして近作と表現の多様な《オートバイ彫刻》をサンプリングした。
 スペースや予算の制約は展覧会の常だが、逆にキュレーターの意欲を刺激してくれる一面もある。篠原流の大作絵画を見せる代わりに、70年代以降にアメリカ生活からインスピレーションを得つつ、日本のみならず世界の古典に取材したドローイングの一群をサロン形式で大きな壁に並べる、という趣向は、作家のエネルギーとイマジネーションを反映した展示となった。
 こういう形で、ドースキー展は会場は小規模だったが盛り沢山の充実した内容となった。会場の雰囲気が〈見ていて楽しい〉ものだったとすれば、SUNY大学出版局からの出版にこぎつけたカタログは、アメリカの美術史研究のスタンダードに十分に太刀打ちできるものだと自負している。特に、リキテンシュタインやローゼンクイストなどポップ・アート作家を研究しているマイケル・ロベルの協力が得られらのは大きな成果だった。篠原の《オートバイ彫刻》の背景にあるアメリカのオートバイ文化をアメリカ美術研究者の眼で解読したエッセイを寄稿してもらったほか、ロックフェラー財団でのアーカイブ調査など、数多くの示唆を得た。


9──篠原有司男
《無題》1968年
コラージュ、79 x 55 cm、Tokyo Gallery + BTAP協力
© Ushio + Noriko Shinohara

 ドースキー展を企画した経験は、そのままパルコ展に流れ込んでいった。《ボクシング・ペインティング》を絵画作品として評価すること、ドローイングとイマジネーションの力を見せること、この二大テーマはパルコ展の出発点となった。
 ドキュメンタリー《キューティー&ボクサー》は、アート映画ではない。篠原本人もぼやくようにライフ・ストーリーであり、芸術の話にはなっていない。畢竟、パルコ展はアートの展覧会でなくてはならない。当たり前のような話だが、筋向いにある映画館から流れてくる観客の気分をつかんで、映画に登場した《ボクシング・ペインティング》や一部屋にぐるりと描いた《キューティーの絵巻絵画》を見せて好奇心を満足させながら、それ以上のものも見せたい、見てもらいたい、というのがゲストキュレーターの心意気というもの。実際、年末年始をはさんだ会期31日間の総入場者数4700余人のうち、三分の一が映画館から直接に流れてきた観客だった(半券提示による割引の記録による)。
 映画に登場したニューヨークのhpgrpギャラリーの二人展は、ホワイトキューブの会場だったが、パルコミュージアムは横に細長い不規則な空間。しかしながら、これをオープンに活かすことで、二人のアーティストの対話が実現した。何より二人ながらにドローイング力とイマジネーションの旺盛な作家である。表現のベクトルは異なるものの、その絶妙な二人の呼吸がリズムを作りながら進んでいく会場構成となった。ドースキーではカタログで図版紹介しただけの80年代の大作絵画《竜安寺》、また88年の力作、自家製プラスチックタイルをちりばめた《モーターサイクルレトロ》が、カラーの《ボクシング・ペインティング》2点に加えて、会場を引き締めた。


10-12──パルコ・ミュージアムでの提示風景
Photo © Reiko Tomii

 最後に篠原有司男研究の今後の課題も考えておきたい。ひとつは、篠原の60年代のトランスナショナルな位置づけである。これは一人篠原の問題に限らない。現在、ポップ・アートの世界美術史的な見直しが進行している。この中で、池上裕子が主張する〈東京ポップ〉を考察するのは今後の大きな課題である。グローバルなポップの展覧会がアメリカのウォーカー・アート・センターとイギリスのテート・モダンで、それぞれ2015年に企画されており、篠原も世界的ポップの重要作家として取り上げられる予定である。これをきっかけに、篠原のみならず日本の60年代作家の世界的位置づけが進行してほしいものである(池上がウォーカー展の日本セクションのコンサルティング・キュレーターとして、また富井がテート・モダンのアドバイザーとして参加している)。
 もうひとつはテーマ的な議論の掘り下げだ。旺盛な研究意欲の作家だけに、そのインスピレーションの源泉も多岐にわたる。作家の関心は美術の内側だけではない。それを捕まえていくためには、こちらも旺盛に関心を広げていく必要があるだろう。日本的文脈の掘り下げもさることながら、この分野ではマイケル・ロベルのように外からの視点も重要になっていくだろう。アメリカ人研究者で日本の前衛漫画を専門にするライアン・ホルムバーグが最近、マンガをテーマに作家インタビューしたオンライン記事が英語で読めるので、ひとつの参考になると思う(http://www.tcj.com/shinohara-ushios-action-cartooning/からアクセス可能)。
 篠原有司男のアートはまだまだ現在形で精力的に進行している。何でもインスピレーションにしてしまう貪欲な作家に負けないように、映画でもマスコミでもあらゆるものを起爆剤にして篠原芸術に取り組む新たな研究の視点が数多く出てきてほしいと思う。

Shinohara Pops! The Avant-Garde Road, Tokyo/New York(篠原ポップス!前衛の道、東京/ニューヨーク)

会期:2012年8月29日(水)〜12月16日(水)
会場:Samuel Dorsky Museum of Art(ドースキー美術館)
State University of New York at New Paltz SUNY New Paltz 1 Hawk Drive, New Paltz, NY 12561

Love Is A Roar-r-r-r! In Tokyo──愛の雄叫び東京篇

会期:2013年12月13日(金)〜2014年1月13日(月)
会場:パルコミュージアム
東京都渋谷区宇田川町15-1 3階

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