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「巫女」のブックデザインに「ウットリ」するひととき

暮沢剛巳

2016年02月15日号

 1986年のオープン以来、グラフィックデザインの展覧会を数多く開催してきたgggギャラリーが館内改装のためしばらく休館するという。残念な話だが、展覧会企画自体は場所を変えて継続するそうなので案ずることはない。その第二回目にあたるのが、1月下旬〜3月下旬のあいだ、前後期に分けて日比谷図書文化館で開催されている「祖父江慎+コズフィッシュ展」である。


会場風景

 祖父江慎は大変著名なブックデザイナーであり、そのキャリアは、グラフィックデザインを専攻していた学生時代、松岡正剛らが「遊」を編集していた工作舎でアルバイトをしていたときに始まり、すでに約40年に達する。彼が世に送り出してきた作品の多くは、祖父江ファンはもとより、彼の名を知らない者であっても見覚えがあるはずだ。自らが主宰する事務所コズフィッシュとの共同名義で開催されている本展では、そのブックデザインが3部構成で紹介されている。

 第1部「コズフィッシュの書庫」では、祖父江がいままでに手掛けたさまざまなブックデザインが「20世紀の書庫」と「21世紀の書庫」の前後編で展示されている。総数にして2,000冊以上に達するヴォリュームはもちろんのこと、「あ、この本も祖父江のデザインだったのか」という意外な発見の多さにも驚かされる。私の場合、京極夏彦、夢枕獏、紀田順一郎らの単行本のデザインなどがそうした驚きの対象だった。
 第2部「本の実験室」では、アイデア、紙、造本、色彩、本の寿命などのさまざまな観点から本づくりのプロセスが紹介されている。一見啓蒙的な展示のようだが、タイトルのとおり実験的な側面も併せ持っている。これは、後述するような祖父江の強いこだわりを反映したものだ。また近年の祖父江は「スヌーピー展」「新世紀エヴァンゲリオン展」「ゲゲゲ展」など展覧会のグラフィック・アートディレクションを積極的に手掛けているが、ここではそのなかでも2010〜2011年に全国を巡回した「ゴーゴー・ミッフィー」展に注目し、小さな専用ブースを設置してその仕事を紹介している。ミッフィーの作者ディック・ブルーナもまた著名なブックデザイナーであり、この展示は両者の遭遇という観点からも興味深い。
 第3部の「漱石室」は、名前のとおり夏目漱石の作品の展示室である。もちろん中心は祖父江がブックデザインを手掛けた『心』と現在制作中の『吾輩ハ猫デアル』(残念ながら本稿には間に合わないが、2月中旬以降の後期ではその完成型が発表される予定とのこと)の展示だが、漱石の自筆原稿や挿画などの貴重な資料も併せて展示されている。

会場風景

 以下構成にしたがって簡潔にコメントしておくが、まず第一印象として、小説、エッセイ、教養書、マンガ、画集・写真集など、祖父江がブックデザインを手がけた本は非常に多岐にわたっていることを挙げておかねばなるまい。これは、祖父江の関心の広さに加え、「自分がつくるというよりは、(本の)内容に応じて外側はおのずと決まってるんですよ。ブックデザインは自己表現のためではないし、デザイナーは媒介する役目なので、デザイナー個人のキャラクターは消えてしまうのが理想です」という祖父江のブックデザイン観による部分も大きいのだろう。祖父江は「その本の内容に一番合った形を、この世に降ろしてくる」ブックデザインの仕事を「巫女」にたとえている。
 そうした間口の広さとは対照的に、祖父江の強いこだわりを感じさせるのが、表紙のデザインのみならず、紙の選択やレイアウト、造本までをこなそうとするその仕事ぶりだ。一般にブックデザインは「装丁」と呼ばれるが、祖父江はこの言葉に対する嫌悪を隠さない。祖父江によれば、「装丁」とは本の外まわりのデザインのこと、「装訂」とは内容を整理して綴じること、「装幀」は製本して綴じることを指し、自分の手掛けているブックデザインの仕事はそのどれとも微妙に異なるという。そうした祖父江のブックデザイン観は第2部の展示からうかがい知ることができるが、私自身は伴田良輔監修の『悪趣味百科』(新潮社、1996)などに典型的な、かな文字書体に特に強いこだわりを感じた。

 そういえば、祖父江は自分のブックデザインにとっては「ウットリ」が重要であることを強調しており、本展のフライヤーでも「うっとり力」がキーワードのひとつであることが紹介されている。もちろん、「ウットリ(力)」はきわめて主観的な経験なので、祖父江と同様の「ウットリ」を追体験することは誰しも不可能だが、自分自身がある本の物語やデザインに「ウットリ」した経験から祖父江の「ウットリ」を類推することなら辛うじて可能だ。その限りで言うと、祖父江の「うっとり力」が最も精彩を放っているのはコミックスの仕事であるように思う。しりあがり寿、喜国雅彦、吉田戦車、山上たつひこ、江口寿史らのブックデザインは、祖父江自身がまず読者として彼らのマンガを楽しく読んでいたことがストレートに伝わってくるし、楳図かずおの『恐怖』に至っては、楳図と「巫女」としての祖父江のシンクロぶりが恐ろしいほどだ。

漱石『心』(岩波書店、2014)

 他方、祖父江のブックデザインにとって重要な位置を占めているのが夏目漱石だ。近代文学を代表する文豪である漱石だが、岩波書店の最初の出版物として知られる『こころ』の表紙はじつは漱石が自ら手掛けたものだったし(朱色の地に周の岐陽の石鼓文の文様が入ったその表紙は、岩波の漱石全集にもそのまま流用されている)、また『道草』や『明暗』の表紙は漱石の油画の教師でもあった津田青楓が手掛けるなど、その著作はブックデザインという側面からも考えるべき点が少なくない。祖父江は『坊ちゃん』の入手可能な日本語版をほとんど所有しており、その総計は500冊以上、関連書籍まで含めれば1,000冊以上にも達するという。その並々ならぬ傾倒ぶりからして、漱石は祖父江のブックデザインの原点と言ってもよいだろう。3月には、祖父江と彼がデザインを担当した漱石本の編集・制作者の三者による鼎談も予定されているとのこと。祖父江が漱石の著作にいかにして「ウットリ」し、また「巫女」としてどのようなデザインを引き出したのか、大いに興味を掻き立てられるではないか。

※ 祖父江の発言は、すべて『グラフィック・デザイナーの仕事(太陽レクチャーブックス001)』(平凡社、2003)に所収のインタビューから抜粋したものである。



祖父江慎+コズフィッシュ展:ブックデザイ

会期:2016年1月23日(土)〜3月23日(水)※2月15日(月)展示替え
   前期「cozf編」:1月23日(土)〜2月14日(日)
   後期「ish編」:2月16日(火)〜3月23日(水)
   休館日:2月15日(月)、3月21日(月・祝)
会場:日比谷図書文化館 
   東京都千代田区日比谷公園1-4
   Tel. 03-3502-3340

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