2018年06月15日号
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トピックス

日本・フィンランド発 2つのアートプロジェクト──アートが私達にもたらしてくれるもの:フィンランド国立アテネウム美術館×DNP ミュージアムラボ セミナーレポート[後編]

坂口千秋(アートライター)

2018年04月01日号

セミナーレポート「日本・フィンランド発2つのアートプロジェクト──アートが私達にもたらしてくれるもの」★1の後編。前編では、フィンランド国立アテネウム美術館とDNPミュージアムラボが取り組む、高齢者を対象とした美術鑑賞プログラム研究の中間報告をレポートした。後編はセミナー第2部。2019年の日本とフィンランド外交関係樹立100周年に向けて現在アテネウム美術館が企画中の展覧会「北欧のジャポノメニアⅡ 1900-1970」(仮称)をめぐる講演とパネルディスカッションが行なわれた。

★1──http://museumlab.jp/ateneum/seminar/

フィンランドとスウェーデンにおける北欧のジャポニズムとモダニズム 1900-1970
アンネ=マリア・ペノネン(アテネウム美術館学芸員)

北欧におけるジャポニスムの波

19世紀末に欧州を席巻したジャポニスム現象は、遠い北欧のアーティストやデザイナーにも影響を与えた。2015年にアテネウム美術館で開催された展覧会「北欧のジャポノメニア1875‐1918」は、フィンランド、ノルウェー、デンマークの国立美術館の共同プロジェクトで、日本美術と工芸が北欧のアートとデザインに与えた影響を中心に構成し、展示品は木版画、型紙、油絵、陶器や織物、大量生産の絵葉書まで多岐に渡る。北欧におけるジャポニスムの初期の作品を紹介する初の大規模な展覧会として3都市を巡回、大成功を収めた。そこからさらにコンセプトを発展させた続編となるのが、「北欧のジャポノメニアⅡ 1900 -1970」(仮称)だ。「ジャポノメニアⅠ」が対象とした1918年までを北欧へのジャポニスムの第一波と捉え、その後の1918‐1970年に北欧と東洋の文化が相互に与えた影響を紹介する。対象範囲も日本だけでなく東アジアの中国や韓国まで広げ、さらに日本の民藝運動も絡めていこうという、壮大で野心的な試みだ。プロジェクトリーダーをつとめるアテネウム美術館学芸員のアンネ=マリア・ペノネン氏は、展覧会の趣旨をこう語る。

「ジャポニスムの第一波が訪れた1900年以降、ヨーロッパのアーティストたちのなかには日本や中国、当時の朝鮮まで旅する者が現われました。東洋への旅を通して東アジアの美学に触れ、日常生活における美や日用品の美を評価するようになり、仏教の思想にも興味を持ち始めました。こうした影響は単に一方向にとどまることはありませんでした。東洋を旅したヨーロッパの人々はその影響を持ち帰り、一方で日本のアーティストや職人もヨーロッパへ渡り、西洋の影響を東洋へと持ち帰ったのです」。

ユニークなのは、彼らのコンセプトに日本の民藝運動の創始者である柳宗悦の思想がインスピレーションを与えたという点だ。1925年、「民衆の工芸」という意味の「民藝」を提唱した柳宗悦は、民衆の暮らしのなかにある日用品に美を見出し、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らとともに民藝の保護と普及につとめた。柳が民藝思想を深めていった20世紀初頭は、芸術の思想や様式がさまざまに変わり、美術工芸においても革新的な思想が発展した時代。19世紀後半のイギリスでウィリアム・モリスが主導したアーツ・アンド・クラフツ運動に続いて、1919‐1933年まで活動したドイツのバウハウスなど、職人技による機能的なものづくりや、工芸と美術の統合した美を求める思想が世界的に広まっていった。そして1929年、スウェーデンの北方民族博物館を訪れた柳は、木工工芸や陶磁器、農機具まで展示されたこの博物館に感銘を受け、自分たちの博物館構想を得るに至る。ペノネン氏は語る。

「ここで重要なのは、職人技とシンプルな生活という理想が、日本と北欧のアーティストに共通していたことです。さらに柳の北方民族博物館への訪問は、東洋と西洋の双方向の交流の早期の例でした。そこがわれわれの新しい展覧会のひとつの核になっています」。

「ジャポノメニアⅡ」では、1900‐1970年という長い期間を戦前戦後で二つに分け、アートやデザイン、建築に見る日常のなかの美を、「空間」「光」「静寂」「物質性」の四つのカテゴリーに分けて紹介する。展覧会の開催は2019年。日本民藝館のコレクション80〜100点を含む日本、韓国、中国の工芸や美術作品と、北欧の絵画や工芸デザインを並列に展示し、互いに与えた影響を明確に展示するという。「この展覧会によって、1918年がジャポニスムの終わりではなかったことをはっきり示したいと思います。ジャポニスムはその後もかたちを変えて西欧のアートやデザインに影響を与えました。また、これまで日本が西洋美術に与えた影響についてはかなり議論されてきましたが、双方向の影響についてはきちんと取り上げられたことはありませんでした。これは新しい視点です。⻄洋と東洋の双方向に起きた交流の重要性をはっきりと伝えたいと思います」。


アンネ=マリア・ペノネン氏

パネルディスカッション
アンネ=マリア・ペノネン(アテネウム美術館学芸員)/
アンナ=マリア・フォン・ボンスドルフ(アテネウム美術館主任学芸員)/
杉山享司(日本民藝館学芸部長)
*司会進行:スサンナ・ペッテルソン(アテネウム美術館館長)

日本民藝館と民藝の意義

続くパネルディスカッションでは、ペノネン氏のほか、アテネウム美術館主任学芸員のアンナ=マリア・フォン・ボンスドルフ氏、日本民藝館学芸部長である杉山享司氏が登壇し、アテネウム美術館のスサンナ・ペッテルソン館長をモデレーターに、東西文化の交流がもたらしたものと、日本の民藝運動と北欧デザインの共通点を掘り下げていった。

日本民藝館は、民藝運動の拠点として柳宗悦自身が設計を手がけ1936年に創設された、古今東西の諸工芸品約17,000点を収蔵する「生活の美」の博物館だ。コレクションの中心は江戸時代。鎖国政策を敷き約250年戦争のなかった江戸時代は、各地で独自の生活文化が発展した「民藝の黄金期」だった。杉山氏は、民藝の「用に即した簡素な姿」に正しい工芸の姿が宿っていると柳の言葉を引用した。「民藝とは、人々の生活の知恵や心の伝統が造形化されたものであり、独自の美意識や造形感覚が宿っています」。そして、「シンプルなデザインや機能的なフォルム、自然、〈日常に美を〉という北欧デザインの思想と、柳宗悦が提唱した民藝とは共通点があります」と付け加えた。

日本民藝館本館[写真提供:日本民藝館]

では、「シンプルなデザインや機能的なフォルム、自然、〈日常に美を〉という」北欧デザインの特徴は、いつどうやって生まれたのか。北欧におけるシンプル化は、それまでの装飾的なアートへの反動でもあったとペノネン氏は説明する。「形をシンプルにするだけでなく、アーティストたちは自然の材質を求め、陶芸家はその土地の土を使うように、できるだけ自然に近付こうとしました。また、余計な装飾がなくなったことでスタッキングが可能になり機能性も増したことが生活に非常に重要なことでした」。

生活の美や日用品の美という考え方は、1920年代にスウェーデンで発展し、30年代には機能主義が、ガラスからテーブル、建築にまで共通する新しい考え方としてフィンランドにも広まっていった。「機能主義は《形は機能に従う》(Form Follows Function)という言葉に集約されます。建築家たちは、ただ建物をデザインするだけでなく、その建築に合う照明や家具、布、陶器も制作しました。ビジュアルアートの視点から見ても職人や建築の面から見ても、この時期のものづくりがみな同じものを目指していた点は非常に興味深いです」とペッテルソン館長。特にフィンランドは冬にはマイナス30度や40度まで下がる地域もあり、半年間暗い天候が続く。よって光を取り入れる窓の配置や二重窓といった必要な機能が建築のデザインにも影響を与えたと補足した。

杉山享司氏

使う人のためのデザイン

機能的なデザインに関連して見えてくる哲学が、「使う人のためのデザイン」という考え方だ。その例として杉山氏は、日本民藝館3代目館長を30年間務めたプロダクトデザイナーの柳宗理のものづくりを紹介した。柳は常にデザインは使う人のものでなければならないとして、試作品をつくり、実際にテストしてもらって、そのフィードバックをもとに改良を重ねることでデザインを仕上げていった。そうして生まれるデザインは普遍的で息が長い。「そこにはものづくりの良心があります。柳宗理はそれを民藝から学んだと言っておられました。民藝がデザインのすべての原点にある。これは非常に大事なことだと思います」と杉山氏は語る。

堅実な職人技をもとに新しい素材を組み合わせて複数生産することで、廉価で日常的に使えるものづくりが可能になる。こうした考え方は、フィンランドで戦後1950年代から60年代にかけて発展した。ペノネン氏は語る。「ここで重要なのは、すべて使うことを目的としてつくられているということです。この背景にはもちろん19世紀のアーツ・アンド・クラフツ運動がありましたが、そこでつくられたものは、あまりに高価で庶⺠の手には渡りませんでした。廉価なデザインを一般家庭にも普及させたイッタラ社などの製品の親しみやすさは、ウィリアム・モリスの時代から脈々と続く、あるべき工芸の姿ともいえるでしょう」。

ディスカッションではあまり触れられなかったが、こうしたデザイン哲学は、20世紀初頭のフィンランドのナショナル・アイデンティティとも関わっているのではないだろうか。「フィンランドは長いプロセスを経て1917 年にようやく独立を果たしました。その後、フィンランドらしい生活のあり方といった、オリジナリティを見つけるという大きな課題がありました」とボンスドルフ氏は語る。文化が国家のアイデンティティを形成していくという話は、第1部でのペッテルソン館長の基調講演にもつながるテーマで興味深い。フィンランドの文化や風土は、彼らのデザインやアートの特徴によく表われている。

(左から)アンナ=マリア・フォン・ボンスドルフ氏、アンネ=マリア・ペノネン氏

双方向の文化交流がもたらしたもの

またディスカッションで話題となったのが、文化の双方向の交流だ。柳宗悦は日本の伝統を守りながら同時に西洋に目を向けていたが、柳にとって西洋は模倣の対象ではなかった。西洋の文化を理解したうえで、新しく日本人の目を獲得することが柳の目的だったと杉山氏は言う。「柳は文化を絶えず二方向から確認できる目を持っていた。奇しくもバーナード・リーチも東洋から西洋を見直すという視点を持った人でありました。民藝運動とはまさに工芸におけるモダニズムの運動であったと言えると思います」。リーチは、小鹿田焼の里で作陶を学びつつも、西洋式のピッチャーの取手付けの方法を指導した。それが300年の歴史を持つ小鹿田焼の新しい伝統になったというエピソードは有名だ。「伝統は常に革新されています。リーチは日本でやきものを学んでイギリスに帰り陶芸家として大成しますが、また日本に戻り、日本の陶芸にも影響を与えていく。これは双方向の文化交流の例と言えます」。ジャポニスムの第一波を受けた20世紀初期の画家たちは、勇気と自由な感性を持って、油彩以外の水彩や水墨画といった新しい技術や素材に挑んだ。そして日本の文化に触れたことからフィンランドの伝統的な農村の暮らしを再評価する視線を得て、ライフスタイルに取り入れていった作家たちもいた。伝統と革新は相反しない。「建築や工芸、さまざまな分野の多くのアーティストたちが伝統的な作り方を学び直しました。つまり、旅することによって過去と現在を行き来していたのですね。双方向の影響とともに、旅は私たちの展覧会に大きく関係しています」とペッテルソン館長は話す。

展覧会は、過去の出来事のなかに現代的な価値観を発見し、それを人々に伝える役割を持つ。東西の専門家たちの手によって見出された北欧と東洋をつなぐ新しい発見が、来年アテネウム美術館で明らかにされることだろう。それを見るために、フィンランドまで旅をしてみるのもいいかもしれない。

ウェルビーイングのための美術鑑賞プログラムにおけるアテネウムとDNP ミュージアムラボとの共同研究、日本と北欧諸国の美術館や研究者による共同プロジェクト「ジャポノメニアⅡ」。今回のセミナーの1部と2部を通して感じたことは、パブリックな美術館で繰り広げられる協働の可能性だ。そして「美術館は人々のためにある」というペッテルソン館長の言葉が、やはりすべてにおいて大きな意味を持ってくることを実感した。ここに「使い手のためのデザイン」を提唱し、海を渡り行き来した20世紀モダニズムの思想が、生き生きと蘇ってくるのだ。

スサンナ・ペッテルソン氏


フィンランド国立アテネウム美術館 × DNP ミュージアムラボ セミナー
「日本・フィンランド発 2つのアートプロジェクト ──アートが私達にもたらしてくれるもの」

会場:DNP五反田ビル 1Fホール(東京都品川区西五反田3-5-20)
日時:2018年1月26日(金)10:30~15:30(10:00開場)
主催:大日本印刷株式会社 DNP ミュージアムラボ/フィンランド国立アテネウム美術館
登壇者:スサンナ・ペッテルソン(アテネウム美術館館長)、川畑秀明(慶應義塾大学准教授)、サトゥ・イトコネン(アテネウム美術館パブリックプログラム担当)、田中美苗(大日本印刷株式会社)、アンネ=マリア・ペノネン(アテネウム美術館学芸員)、アンナ=マリア・フォン・ボンスドルフ(アテネウム美術館主任学芸員)、杉山享司(日本民藝館学芸部長)

DNP ミュージアムラボ

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