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中村芳中《白梅図》心が癒される“かわいい琳派”──「福井麻純」

影山幸一

2013年11月15日号

絵師と俳諧

 福井氏は芳中の画風形成について「芳中は、そもそも光琳に私淑しているとはいえ、そのままを描くとか再現する感覚とは違い、パロディー化したと言うと芳中に失礼だが、光琳の画風を巧みに引用している。琳派作品のユーモアと簡略化から抽出した要素を、極端に誇張した表現にし、琳派を継承して芳中の琳派様式を築いた。その点草花の風情や美しさに着目した酒井抱一に始まる“江戸琳派”とは異なる。芳中の絵は垂らし込みが多く、ぶよぶよで下手くそとか、素人的とか、大阪的とか言われることもあるが、芳中の絵はまったくもってかわいいし、おもしろい、味がある。深読みがいらず、張りつめた感じもなく、脱力して誰が見てもわかり、いやな感じがしない。今はヘタウマ、ゆるキャラが承認される時代になってきたので、社会が芳中作品を受け入れやすくなってきた感じがする。美術の楽しみ方も多様になってきており、正統路線にこだわらず個性的な作品が注目されるようになった。下手にも見えるかもしれないが、芳中は絵の技巧のある人であったと思う」と述べた。
 そして「当時流行していた略画風の人物像からの影響もうかがえます。鳥羽絵(とばえ)と称される手足の長い人物像を描いた長谷川光信(みつのぶ)(生没年不詳)や諧謔(かいぎゃく)的な人物像で知られる耳鳥斎(にちょうさい)(生没年不詳)、また動物や人物を単純な筆遣いで描いた鍬形蕙斎(くわがたけいさい)(1764-1824)など、ユニークな人物像を取り上げた版本が盛んに出版されていました。芳中もこれらの作品を目にしていたでしょう」(福井麻純『茶道雑誌』p.47)と、芳中の画風に影響を与えた絵師を推察している。
 生涯にわたり芳中は俳諧をしていたが、俳諧を詠むだけでなく芭蕉に強い関心を持ちながら、絵師として俳画や俳書の挿絵を盛んに描いていたようだ。芳中は多彩な作品を生み、代表作『光琳画譜』のほか、《四季草花図屏風》(大英博物館蔵)や草花を描いた扇面画などが知られるが、伝記的資料が乏しく学術的な研究は十分とは言えない現状だと言う。

“かわいい”の変遷

 かわいい絵の元祖と言えば、平安末かあるいは鎌倉時代初めにつくられたという《鳥獣人物戯画》(4巻, 高山寺蔵)であろうか。「かわいい」の意味は一様ではなく、広辞苑によると、①いたわしい。ふびんだ。かわいそうだ。②愛すべきである。深い愛情を感じる。③小さくて美しい、とある。
 2013年3月に「かわいい江戸絵画」展を開催した府中市美術館の学芸員・金子信久氏が“かわいい”という言葉の歴史を次のように振り返っている。「『かわいい』のもとになったのは、古代や中世に使われていた『かはゆし』という言葉だと言われている。そして、その『かはゆし』の語源には『恥ずかしい』という意味の『顔映ゆし(かほはゆし)』があったとされる。したがって、『かはゆし』もまた、初めは『恥ずかしい』という自分自身の状態を表す言葉として使われ、やがて、自分の恥ずかしさだけでなく、他の者を『気の毒だ』と思う気持ちをも表すようになったと考えられている。そうして、更に江戸時代になって急激に増えるのが『いとおしい』、つまり私たちが最も普通に思う使い方であった。(略)『枕草子』の有名な『うつくしきもの』で始まる段で、清少納言は、爪に描いた幼児の顔や雛人形の道具、子供がみせる特定の仕草などを、『うつくし』と表している。つまり、今のような意味での「かわいい」という言葉がなかった時代、この感情は別の言葉で表されていたのである。言葉は変遷しても、私たち現代人の思う『かわいい』という感情を、人は古くから抱いてきたのである」(金子信久『かわいい江戸絵画』図録pp.9-10)。

にじみの想像力

 米国の画家ヘレン・フランケンサーラー(1928-2011)によって発案されたキャンバスに絵具をしみ込ませる技法「ステイニング」は、主に抽象表現に使われる。しかし日本の垂らし込みは、具象表現に使われた。どちらも絵具のコントロールの不自由さから生まれる偶発的な色のにじみが人間の想像力を刺激するのだろう。
 なかでも堂々とした芳中のボケ画風には、毒気のない単純ストレートなにじみ芸術として癒しの浄化作用が底流にあり、《白梅図》の背後に広がる自由な空間は、豊かさを増して味わい深く伝わってくる。1819(文政2)年に芳中は死去し、墓は大阪だと思われるが現在のところ発見されていない。
 来年の2014年は、中村芳中の年になりそうだ。《白梅図》を1992年に所蔵した千葉市美術館の学芸員である伊藤紫織氏が「光琳を慕う─中村芳中」展を立ち上げた。千葉市美術館(2014.4.8〜5.11)を皮切りに、細見美術館(5.24〜6.29)、岡山県立美術館(9.26〜11.3)と巡回する予定である。
 光琳から芳中への琳派の系譜として光琳の弟子の深江蘆舟(ふかえろしゅう, 1699-1757)や、光琳の弟乾山(けんざん, 1663-1743)の弟子、立林何帠(たてばやしかげい, 江戸時代中期)らの作品が展示されることも期待できる。福井氏は「多くの方に“かわいい芳中”を知っていただき、かわいいという感性がひとつではないことを体感してもらいたい」と語った。



福井麻純(ふくい・ますみ)

細見美術館主任学芸員。1973年名古屋市生まれ。1997年関西大学文学部哲学科卒業、1999年同大学大学院文学研究科博士課程前期修了、2002年同博士課程後期課程単位修得後退学。2002年細見美術館学芸員を経て、現在に至る。専門:中村芳中、神坂雪佳。所属学会:美学会、美術史学会。主な展覧会企画:「琳派展Ⅵ 中村芳中─光琳に憧れた上方文人」(2003)、「琳派展X 神坂雪佳 京琳派ルネサンス」(2007)、「琳派展XV 琳派の伝統とモダン─神坂雪佳と江戸琳派」(2013)など。

中村芳中(なかむら・ほうちゅう)

絵師。?〜1819(文政2)年。京都に生まれ大坂を中心に活躍。名は徳哉、字は芳中だが、方中、方仲、鳳中、鳳冲とも書かれる。号は達々(たつたつ)、温知堂、擔板漢(たんばんかん)など。師系など前半生は不明。木村蒹葭堂や十時梅厓ら上方文化人たちとの交流、池大雅の妻の玉蘭(ぎょくらん)との交友もあり、文人画から絵を始めたと言われる。初期は山水画や指頭画を描いていた。1799(寛政11)年俳諧仲間を通じて夏目成美らを訪ねて江戸へ出る。1802(享和2)年独自の琳派様式で『光琳画譜』を刊行。大坂を本拠地として琳派風の作品や俳書の挿絵、俳諧摺物なども描く。尾形光琳の画風に私淑し、琳派の技法である垂らし込みを多用した大らかで温かみのある作品が特徴。代表作:《白梅図》《四季草花図屏風》《白梅小禽図屏風》《扇面貼交屏風》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:白梅図。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:中村芳中, 江戸時代・文化年間(1804-1818)頃, 紙本着色一幅, 縦134.5×横66.5cm, 千葉市美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:千葉市美術館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:2013.10.31。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 9.3MB(350dpi, 8bit)。資源識別子:4×5カラーポジフィルム, FUJI 14943 BI DEEA (10.2×12.7)。情報源:千葉市美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:千葉市美術館

【画像製作レポート】

《白梅図》の写真は、千葉市美術館が管理。作品写真の使用目的を電話とメールで申請し、作品の4×5カラーポジフィルム(カラーガイド・グレースケール付)を郵送してもらう。ポジフィルムをスキャニング、350dpi・8bit・20.6MB・TIFF形式にデジタル保存、2,100円。使用代金は無料。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。画面に表示したカラーガイドとグレースケールを参照しながら、目視により色を調整し、縁に合わせて切り抜く。Photoshop形式:9.3MB(350dpi, 8bit, RGB)に保存。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 掛軸の作品は、掛軸上部の八双(はっそう)から掛軸下部に位置する軸棒(じくぼう)を入れて切り抜きたいのだが、ポジフィルムに写っていたのは本紙(ほんし)の周辺、中廻し(ちゅうまわし)までであった。絵に対する額縁も作品の一部として、またその時代の作品保管のあり方を記録するという観点からも、掛軸全体が写真に納まるように撮影してもらいたい、と思った。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]

参考文献

竹内尚次「芳中の「光琳画譜」」『MUSEUM』107号, pp.21-24, 1960.2, 美術出版社
辻惟雄「中村芳中について」『琳派絵画全集 光琳派2』(山根有三 編)pp.45-47, 1980.7.28, 日本経済新聞社
小林忠「中村芳中の垂込(画家と技巧⑩)」『日本美術工芸』第541号, pp.54-55, 1983.10.1, 日本美術工芸社
木村重圭『中村芳中画集』1991.4.23, フジアート出版
奥平俊六・片桐弥生・狩野博幸・木村重圭『琳派美術館(全4巻)②光琳と上方琳派』1993.7.7, 集英社
仲町啓子『美術館へ行こう 琳派に夢見る』1999.2.10, 新潮社
福井麻純「中村芳中とその時代─芳中にとっての光琳・俳諧・大阪─」『美学』第208号, pp.57-69, 2002.3.31, 美学会
図録『芳中・其一・弧邨─江戸時代後期の琳派』(平間理香 編著)2002.9.29, 石橋財団石橋美術館
福井麻純「〈細見美術館 琳派展Ⅵ〉中村芳中─光琳に憧れた上方文人─」『茶道雑誌』第67巻第11号, pp.43-48, 2003.11.5, 河原書店
日高薫『日本美術のことば案内』2004.3.1, 小学館
古谷紅麟・神坂雪佳・中村芳中ほか『近代図案コレクション 琳派模様』2005.7.29, 芸艸堂
Webサイト:中谷伸生「関西大学創立120周年記念講演会 大坂画壇の絵画」『図書館フォーラム第12号(2007)』2007.4(http://web.lib.kansai-u.ac.jp/library/about/lib_pub/forum/2007_vol12/2007_04.pdf)関西大学, 2013.11.10
図録『諸国畸人伝(江戸文化シリーズNo.26)』2010.9.4, 板橋区立美術館
福井麻純「中村芳中の扇面画の調査研究」『鹿島美術研究』(年報第29号別冊), pp.353-363, 2012.11.15, 鹿島美術財団
安村敏信『日本文化 私の最新講義01 江戸絵画の非常識──近世絵画の定説をくつがえす』2013.3.23, 敬文舎
山藤章二『ヘタウマ文化論』2013.2.20, 岩波書店
図録『かわいい江戸絵画』(金子信久・音ゆみ子 編著)2013.3.9, 府中市美術館
Webサイト:「「光琳を慕う 中村芳中」展が開催されます」『はろるど』2013.9.2(http://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/24df90ef674577d7d5becb8de6335ba0)はろるど, 2013.11.10
Webサイト:「collection online Nakamura Hochu」『The British Museum』(http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=1400249&partId=1&searchText=nakamura+hochu&people=147796&page=1)British Museum, 2013.11.10
Webサイト:「TRD通信 京都発大龍堂:通巻1918号 琳派展VI 中村芳中─光琳に憧れた上方文人─」『大龍堂ホームページ Salon de DAIRYUDO』(http://tairyudo.com/tukan/tukan1918.htm)大龍堂書店, 2013.11.10
Webサイト:「中村芳中 白梅図」『千葉市美術館』(http://www.ccma-net.jp/collection_img/collection_02-02.html)千葉市美術館, 2013.11.10





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