トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ5:“身体表現”の現在形]2000年以降のダンス・シーンを振り返る──「調整」と「逸脱」のあいだで

桜井圭介/木村覚2013年11月15日号

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1. 徹底的に「フザケる」──「吾妻橋ダンスクロッシング」からの視点

木村──今日は、ダンス、演劇、パフォーマンス・アートに加えて、それにあてはまらない表現にも言及していいということですが、まずは、桜井さんがキュレータを務めた吾妻橋ダンスクロッシング(2004-2013)★1のことから話を始めたいと思います。この10年続いたイベント自体にさまざまな変遷があったはずで、それを浮き彫りにすることがそのほかの動向を考えるきっかけとしてよいのではと想像するからです。

桜井──今回、10周年ということで、回顧と展望というか、「これまでの10年とこれからの10年」という視点で出演者を選んだのですが、率直に言って、これからの10年の可能性を充分に感じさせるようなプログラムにはできませんでした。これからを担う若手の比率を半分くらいにはしようと思ったものの、なかなか難しい、全体の3割くらいでしたね。

木村──それは、スケジュールの都合等で出演が適わなかったということではないですよね。

桜井──はい、まったくそういうことではありません。端的に、(とりわけダンスの)今後10年に期待が持てるようなラインナップにはならなかったということです。で、木村くんにはどう見えたか、感想を聞かせてください。

木村──ダンスの「運動」よりは、その運動を引き起こしている「身体」に問いを投げている作品が多かった印象を持ちました。身体という存在の「不安定さ」「不確実さ」へ向けた関心と言えばいいのでしょうか。例えば、安野太郎★2の音楽のパフォーマンスでは、リコーダーを自動演奏させる装置によって、ゾンビ的ななにかが舞台に上げられました。KATHY★3は以前から「吾妻橋」に出演していますが、いままでやってきた「運動」はほとんど現われない。ダンスに見えないんですね。その代わりにあったのは自分たちには見えない存在に対しての問いでした。見えないものと関わる身体をどう表象できるのかをめぐってのパフォーマンスでした。また、捩子ぴじん★4の作品は、自分が霊的なものに出会ったというものでした。嘘か本当かわからないけれど、霊的なものに遭遇した体験を語るもので、それもまた見えない存在というか、自分の身体とは別の「身体性」にフォーカスしていました。
 こういうものがダンスと呼べるかは議論になるところでしょうが、非常に面白くて今日的だと思ったんです。そこに引き付けて言えば、山崎皓司がひとりで舞台に立って、観客に話しかける快快★5のパフォーマンスも、この点で共通するところがあると思いました。金銭的に不自由な中年の女性を山崎が演じ、自分が世の中から見られていない、見捨てられていることの恨みつらみを吐露するというものでした。そのパフォーマンスのなかには、山崎皓司自身の役者としての存在の不安も織り交ぜられていました。これもまた「見えない存在」をめぐるパフォーマンスだったと言えるかも知れません。
 僕たちは演劇やダンスを見るときにはそこで運動している身体を見ているのだけれども、じつはそれを発生させている身体そのものにはあまり注目していません。そこで踊っているダンサーの人生、演劇をする役者の身体、現実にはそういうものが隠れてあるわけで、先にあげた作品では普段隠されている存在の不安が語られていると思いました。その踊る身体や踊る存在の不安を通して運動あるいは表現が立ち現われていたといえます。だから、美しい動きでも力強い動きでもなくて、いままであまり僕たちが気づいていなかったような動きが見え隠れしている。そこが僕が今回、「吾妻橋」を見て一番興味を持ったところなんです。

桜井──なるほど。存在の不安の表象あるいは症例であると。そう言われるとなんだか余りにも現在的な表現だったように思えてきました(笑)。僕としては、吾妻橋ダンスクロッシングで、ある種の社会的なメッセージとか3.11以降の状況に対する批評をあからさまに表現するというつもりはないんです。むしろいまの社会の「空気」に対して抗いたいと思っていて、つまり徹底的に「フザケる」という方向で行きたいと思っているわけです。いま、表現全般がそうだとも言えるけど、特にダンスの場合、とにかく動き回るとか、肉体や技術を誇示するとか、明るい笑顔でハツラツと踊りまくるという方向になってしまっています。それだと、人生讃歌や元気ソング、「絆」とかのスローガンと変わらないわけで、(少なくとも)いまの自分には役に立たない。いっぽうで特に美術で顕著な、震災や原発をダイレイクトに表現する傾向にも疑問があって……、かといってフザけまくればいいのかと言えば……。実際は、いま木村くんが言ったように、そんなにぶっちぎりのふざけ倒し大会になってないわけですし。どういうかたちのアウトプットであればいまの状況へのカウンターになりうるのか、難しいです。


8/17(土)1日限りの開催!「吾妻橋ダンスクロッシング ファイナル!」


KATHY's Summer Dream


11/24安野太郎のゾンビ音楽予告編ボイス付き

★1──あずまばしだんすくろっしんぐ:2004-2013 桜井圭介がキュレーターを務めたオムニバス型の公演。コンテンポラリーダンス、現代美術、演劇、お笑いなどジャンルを横断した種々のパフォーマーが出演する公演。2013夏の公演「ファイナル!を機に休止中。http://azumabashi-dx.net/
★2──やすの・たろう:1979- 作曲家、日本大学芸術学部音楽学科非常勤講師。主な作品に、《音楽映画第三番》《サーチエンジン》《デュエット・オブ・ザ・リビングデッド》など。http://taro.poino.net/
★3──きゃしー:2002- 女性3人のパフォーマンスユニット。http://www.zzkathyzz.com/
★4──ねじ・ぴじん:1980- 振付家・ダンサー。2000年〜04年まで大駱駝艦に所属し、舞踏家・麿赤兒に師事。05年より独自の活動を始める。主な作品に『おかあさんといっしょ』『syzygy』『モチベーション代行』など。http://pijinneji.blogspot.jp/
★5──ふぁいふぁい:2004-(2008年4月1日に小指値koyubichiから改名) 東京を中心に活動する劇団。主なメンバーは、北川陽子、天野史朗、山崎皓司、佐々木文美、大道寺梨乃、野上絹代、藤谷香子、河村美帆香、加藤和也、Olga Irimias、Sebastian Breu。主な作品に『My name is I LOVE YOU』『SHIBAHAMA』『アントン・猫・クリ』など。http://faifai.tv/

2. 2000年代半ばのピーク

木村──吾妻橋ダンスクロッシングの過去のラインナップを振り返ると、2007年の「The Very Best of Azumabashi」がピークと言えますよね。当時、僕は「いたずら」をキーワードにして批評しました★6。ボクデス★7は河童の格好をして会場の周りをうろうろしているし、会場に入るとChim↑Pom★8が、当時まだほとんど知られていない黄色いネズミ(《スーパーラット》)の展示を一生懸命説明していたり、宇治野宗輝★9のパフォーマンスはまさにふざけることそのままの表現のような躍動感に満ちていました。そのとき僕は同時に「アメーバ化した」という言葉で、明確なベクトルがあるというよりは、いろいろなものが蠢いているとも書きました。どこに向かっているかもうわからない、しかもそれはダンスに限定されない。それが2007年あたりである種のピークを迎え、同時にそこからよくわからない活動や表現がどんどん増えていく状態が面白かったです。

桜井──たしかにいまから振り返ってみると日本のコンテンポラリー・ダンスのピークは2005年くらいだったと思うんです。それで、なんか予感めいたものを感じて(笑)、2007年に早くも回顧展、「ベスト盤」をやっちゃったんだけれども、そのときにダンス以外のものがかなり入っていて、なかでもとりわけChim↑Pomの参加が自分にとってはものすごく大事なポイントなんですね。そして佐々木敦★10が掲げた「テン年代(=天然代)」がやってくる!KYは終わる!というポジティブな気持ちが、2008年、2009年と自分のなかで高まっていったんです。もうダンスとかはどうでもいい、とにかくわけのわからないポジティブな表現がくる、テン年代はすごいことになるというふうに思っていたわけです。しかし、震災によってそうではなくなってしまいました。

木村──桜井さんと僕を含めた何人かで、2005年12月に『美術手帖』のダンス特集(ポップ&アナーキーな革命前夜!?──dance?? dance!? DANCE!!)をつくりました。そのなかで、KATHYや身体表現サークル★11はすごく大きくて重要な存在でした。しかし、その後は、身体表現サークルが活動を休止したり、KATHYも僕が期待していたよりは活動が活発ではなくなりました。僕が見たかったダンスの担い手たちの活動が衰退していったり、それに代わる人たちが現われなかったりしたことは、2010年代への影響を考えるとすごく大きかったです。その代わりとして快快や大谷能生★12さんが、ダンスではない分野から出てきて、ダンスにも強い刺激を与えるという構図がありました。それが僕なりに理解する2000年代後半の主たる流れです。

桜井──面白いダンスがだんだん消えていくのと入れ変わるように快快や大谷さんが……、というのはまったくその通りですが、はたして「ダンスにも強い刺激を与える」ことができたのか? 僕はそこについてはかなり悲観的なんですよ。この問題に関して、一番大きな「残念」はチェルフィッチュ(=岡田利規)が、トヨタコレオグラフィーアワードでグランプリを受賞しなかったということです。ダンス界は岡田利規を拒絶した。もし彼がアワードを獲っていたらいまのようなダンス状況にはなっていなかったのではないかと思います。

木村──その点を踏まえてさらに補足すると、2005年ぐらいまでは日本のコンテンポラリー・ダンスへの注目がどんどん高まっていました。それまでは多くのひとはダンスに興味を示していませんでした。その閉塞的な状態から、これまでのダンス観とは異なる見方を提示したのがまさに吾妻橋ダンスクロッシングだったんだと思います。これによってダンスがひとつのメジャーな若者カルチャーとなった。そういう流れの延長線上で、僕は「超詳解! 20世紀ダンス入門」というレクチャーをして(急な坂スタジオ、2007年2月)、そこで佐々木敦さんにゲスト講師に来てもらいましたし、大谷能生さんも聞きに来てくれました。隣接領域で活躍されていた方々にダンスについて語り考えてもらうことが始まるわけです。その後、大橋可也&ダンサーズ★13の新作でも佐々木さんがスーパーバイザーで関わっていますし、大谷さんは今回の吾妻橋ダンスクロッシングでさまざまなかたちで出演しました。影響力の強い人たちが注目することで、それまでダンスを見なかった観客を生み出した面はあると思います。しかし、結局のところ、ダンスにおける復古主義的事態が切り替わるといった展開にまでは、これまでのところ至らなかったことも事実です。いま桜井さんの指摘されたチェルフィッチュの位置づけも、そうした復古主義の波の現われのひとつといえるのかもしれません。

桜井──佐々木さんなど他分野からの評価の影響力は、演劇に比べるとダンス・シーンではどうも弱いですよね。「内向き」なんですよ。井の中の蛙。そのあたりもなんとも残念な感じがします。


Chim↑Pom | Super Rat


身体表現サークル 01/02 吾妻橋ダンスクロッシング2004年7月公演


チェルフィッチュ「三月の5日間」

★6──たとえば、木村覚「コレオグラフィとしての都市・東京」(『10+1』No.47、INAX出版、2007)。URL=http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/763/
★7──ぼくです:2001- 小浜正寛によるソロプロジェクト。主な作品に『フライング・ソーサーマン』『蟹ダンサー多喜二』『ムニャムニャ君』『メガネデス!』『メカデス』『紙とロックwith peace』など。http://www6.plala.or.jp/BOKUDEATH/
★8──ちんぽむ:2005- 卯城竜太・林靖高・エリイ・岡田将孝・稲岡求・水野俊紀の当時20代の6名が、2005年に東京で結成したアーティスト集団。主な著作に『芸術実行犯』など。http://chimpom.jp/
★9──うじの・むねてる:1964- 現代美術作家。主な作品に『Love Arm(ラヴ・アーム)』シリーズ、『The Rotators』プロジェクトなど。http://the-rotators.com/
★10──ささき・あつし:1964- 評論家、早稲田大学教授。HEADZ代表。雑誌『エクス・ポ』『ヒアホン』編集人。主な著作に『映画的最前線 1988-1993』『ex-music』『(H)ear ポスト・サイレンスの諸相』『ニッポンの思想』など。
★11──しんたいひょうげんさーくる:2002- 常樂泰が主宰するコンテンポラリーダンスユニット。主な作品に『範ちゃんへ』『広島回転人間アートバトルバージョン』『PERFORMANCECEREMONY』など。
★12──おおたに・よしお:1972- 批評家、音楽家。1996年-2002年まで音楽批評誌『Espresso』を編集・執筆。主な著書に『貧しい音楽』『散文世界の散漫な散策──二〇世紀の批評を読む』『持ってゆく歌 置いてゆく歌──不良たちの文学と音楽』『植草甚一の勉強』など。共著に『憂鬱と官能を教えた学校』『東京大学のアルバート・アイラー』など。http://www.ootany.com/
★13──おおはしかくや・あんど・だんさーず:1999- 土方巽直系の舞踏家・和栗由起夫に師事した振付家の大橋可也が結成したダンスカンパニー。主な作品に『あなたがここにいてほしい』『明晰さは目の前の一点に過ぎない。』『明晰の鎖』『深淵の明晰』『帝国、エアリアル』など。http://dancehardcore.com/

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桜井圭介

作曲家。「吾妻橋ダンスクロッシング」プロデューサー。共著=『西麻布ダンス教室』『ダンシング・オールナイト~グルーヴィーな奴らを探せ!』など。

木村覚

1971年生まれ。日本女子大学専任講師。美学、パフォーマンス批評。

2013年11月15日号の
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