トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ6:“音”の現在形]聴くこと、見ること、知覚すること──音=楽=アートの現在形

畠中実/金子智太郎2013年12月15日号

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6. デジタル化とアーカイブ

金子──2000年以降の音の芸術とテクノロジーの関係をめぐる議論では、当然インターネットがあり、デジタル制作・配信環境があり、CDが衰退してライブが活気づき、また音ゲーやVOCALOID、新しい電子楽器のインターフェイスなどがあり、といった議論がよく交わされています。ひとくくりに言えばデジタル化の影響というものですが、できればもう少し広い視野で考えてみたいと思っています。過去のものとされるMIDIやCDもデジタル・コンテンツですね。サウンド・アートが用語として普及したと言われる80年代から90年代にはネットワーク化される以前のデジタル・テクノロジーとの関わりがあっただろうと。

畠中──サウンド・アートの領域でも、ネットワーク化によっていろいろな試みが行なわれました。インターネットも含め、ネットワークはひとつのテーマになるべきものでしたが、それほど展開しなかったとも言えます。

金子──1990年代はCDバブルの時代で、音楽再生機器を持っていなかった人もCDプレイヤーを手にするようになりました。また、カセット・テープやCDはレコードと比較して制作も流通も簡単なので、何百万枚という大ヒットが注目されがちですが、裾野も広がりました。1990年代にさまざまなアブストラクトな音楽、実験的な音楽が、CDを通じて普及したことは、2000年以降のサウンド・アートの展開の背景になっています。

畠中──参照項が増えたということですね。たとえば1960〜70年代の電子音楽などのレコードの再発はなかなかされなかったですよね。廃盤になればなくなってしまうものなので、入手することがむずかしいレコードがたくさんありました。もちろんレコードの時代にも再発や廉価版もありましたが、それが難しい音楽はなかなかそうならず、中古屋でとても高価でした。そうすると、参照できないので新しいものをつくるしかない。1980〜90年代までいろんなものがリニアに進んできたのは、古いものを捨ててきたからだとも言えるのではないでしょうか。でも、古いものが聞けると、ある種のリサイクルが行われるようになります。ポピュラー音楽は普通にリサイクルがあって、ある種の音楽が続いていきますね。本もそうですよね。どんどん文庫になって復刊したり、言説を再確認したり、立ち返るようになりました。
 マイケル・ナイマン★81の『実験音楽—ケージとその後』(水声社、1992)は、1990年代に邦訳が出ても、そこに載っている音楽は当時全然聞くことができなかった(笑)。すごそうな作品だなと思って、さて実際に聞いてみたら、読んで想像していたものの方がおもしろかったということもありました。音楽を読むだけで理解することはできなくて、また意欲がないと音を発見することもできなかった。再発は、神格化を削いでいくし、一方ですごいものを再発見できるという両面がありますね。

金子──多くのリスナーが再発を通じて、実践的な精神や手法を身体化していったと言えるのでは。また、それまで文章でしか接することのできなかった電子音楽・実験音楽の歴史を、それぞれがDJのように編集できるようになった。歴史の再構築ですね。

畠中──それでも抜け落ちてしまうものが伝説になっていったと思います。小杉武久さんの『Catch-Wave』(CBS/Sony、1975)も長く伝説の盤でした。昔は西新宿の中古屋で一枚なん万円とかの値がついていたりしましたよね。今はCDで再発もされたし、安くなっていると思います。(笑)

金子──2000年代から再発が加速したという印象があります。ボックス・セットはカタログ・レゾネみたいです。レア・グルーブ文化の延長で、民族音楽や放送局などのアーカイブから音源を集めてくるリリースも増え、またこうしたアーカイブはインターネット上でも公開されるようになりました。今年公開が始まった国立国会図書館の「れきおん」とか。DiscogsUbuWebなどもアーカイブとして重要な存在です。動画共有サイトは言うまでもないですが。

畠中──メディアの変化で言えば、レコードからCDに変わった時よりも、僕はiPodが出てきて良かったなと思いました。家に全てからしたら大した量ではないはずなのに家の多くの領域を占めてしまうような量のCDがあって、どこにあるかわからないようなものが一台の中に入ってしまう。そうすると作品への接し方がすごく変わりました。僕は、一枚しか入らないCDウォークマンが大嫌いで、歩きながら音楽を聞くこともありませんでした。

金子──iPod以前/以後で過去の音源に対する接し方は変わりましたか。

畠中──iPodに何万曲も入っていると、探している曲になかなか行き着かないということはありますね。散らかった部屋と状況はおなじなのかもしれません。聞き方ということではあまり変化していないかもしれません。もちろん、古い音源が「現在において聴けること」ということには大きな意味があるとは思います。

金子──細川周平★82さんの『ウォークマンの修辞学』(朝日出版社、1981)で扱われたテーマが、ネットワークと結びついたことでどう捉え直されるかという問題です。

畠中──サウンド・アートの体験ということで言えば、録音作品ではCDでは依然としてステレオ2チャンネルなわけですが、マルチチャンネルによる作品では、ステレオとも違う音場を体験することができます。たとえば、いまICCの無響室でevala★83さんが展示をしていますが(evala+鈴木昭男《大きな耳をもったキツネ》)、そうした音の運動や音響設計を含む流れもありますね。

金子──「アクースマティック」と呼ばれる実践ですね。そうした実践のより身近なかたちが映画のサウンドトラックでしょう。
 あえてCDの話から始めたのは、日本でも世界でもサウンド・アートと呼ばれる作品が次第に認知されていった80年代、90年代の実践については、まだまとまった検討がなされていないと感じるからです。1999年に制作された『現代美術用語辞典 ver.1.0』では、まだ音はひとつのカテゴリーになっていませんでした。ですが、日本では80年代にはギャラリーで音を使った展示があり、89年に栃木県立美術館で「音のある美術」展が開催され、91年に川崎市民ミュージアムで「sonic perception」シリーズが始まります。

畠中──去年、ZKM(カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター)で「Sound Art. Sound as a Medium of Art」という展覧会がありました。あれを見て、やはりヨーロッパには昔からサウンド・アートがあったんだなと、あらためて思いました。レコード盤などの資料が集められ、アーカイブされ、展示され、ひとつのジャンルとして体系化されていた。日本ではやはりサウンド・アートに類するものが展示の場に出てくるきっかけは、音響彫刻になりますか。

金子──そうですね。サウンド・アートではなく、サウンド・インスタレーション、サウンド・オブジェともと呼ばれていました。

畠中──彫刻だったから美術館に展示できたとも言えます。音響設備とか、映像設備を必要とした作品はこれまでもずっとあったわけですが、旧来の展示施設としての美術館では、なかなか展示することがむずかしかった。電気を使うことでも結構大変という美術館もあると思います。美術館の展示でなにか再生装置が必要とか、機材を使って実現される作品が展示されるようになることと、メディア・アートの受容は機を同じくしていたのだろうと思います。

金子──展示室に電源や防音設備がある状況は、サウンド・アートが登場するときに必要な条件でした。そういったものが美術館に実際に揃い出したのはいつ頃だったのでしょうか。

畠中──ICCが開館した時に(1997年4月19日)、床が二重床になっていて、床下で配線ができて、電源もそれなりに自在にとりだせるということは、すごいことでした。たとえば、美術館で音量や遮蔽の問題が解決され、いろいろなインスタレーションなどが可能になってきているということは、サウンド・アートのある種の変質、それぞれの作品のありように影響があると思いますね。

金子──2000年代前半には会場にヘッドフォンだけが置いてある作品もありましたよね。それまでの音の展示に対する挑戦でもあり、当時は不評を買った手法でもあります。

畠中──美術展示の中での音の展示はそういうものでしたよね。でも、ヘッドフォンで聞くことに、もっと意味を持たせるということも出てきていますよね。一概にヘッドフォンだからダメだとは言えないですね。

金子──カーディフの《Audio Walk》(1991- )、前林明次★84さんの《Sonic Interface》(1999)、クービッシュの《Electrical Walk》(2003- )など、鑑賞者がヘッドフォンをつけて野外に出て音を聞くという手法もありますね。

畠中──昔、大瀧詠一★85の《ヘッドフォンコンサート》(1981)もありましたし、いろいろ可能性があると思います。2チャンネル(ステレオ)ということにもまだまだ可能性はあるし、展示というメディアを通じてもサウンドのありようが変わっていくのではないでしょうか。

金子──ヘッドフォンやステレオの歴史も今では意外なエピソードで満ちています。スターンの『Audible Past: Cultural Origins of Sound Reproduction』(Duke University Press、2003)には聴診器の話が出てきます。聴診器は器具を通じて音を聞く実践として、歴史的に重要な意義があるとされていました。

畠中──確かに聴診器は今のイヤホンに近いですね。

金子──両耳で音を聞いているという認識にもさまざまな経緯があります。こうした研究が聴覚文化論、サウンド・スタディーの対象であり、サウンド・アートの理解にもつながると考えています。

畠中──ICCでの展覧会の変遷の話の中であったように、音のありようが変わってきていて、何をもって音とするかも変わってきています。真鍋大度くんのように、電気信号で顔の筋肉を動かす《electric stimulus to face》も、サウンド・アートだと言えなくはないと思います。サウンドは空気が振動して耳に伝わるものだけではない。個人的には、だんだんとサウンドである必要もなくなってきているように思います。そうするとCDに落とし込めない作品になっていて、そのような状況はサウンド・アートのひとつの向かうべき方向なのかもしれません。CDで出せるようではダメだ、みたいな(笑)。

金子──「視覚の優位」がある展示会場にサウンドを持ちこむことは、すべての五感に道を開くことにもなるでしょうね。また、サウンド・アートは五感の組み合わせの実験でもありました。逆説的ですが、サウンドでなくてもよいというのはサウンド・アートの行く末のひとつなのかもしれません。

畠中──その場にリアリティを持って立ち上がってくるようなものを、みんなが見たい聴きたいと思っているのでしょう。CDが売れなくても、ライブには人が入っているという現象も、複製物よりも体験に寄っているということなのではないでしょうか。その時、その場で誰かと盛り上がるという経験と、隣人に気を遣いながら小さな音で聴くのとでは、その体験の質は違いますよね。それと同じく、サウンド・アートもその時、その場である種のリアルを感じ取れるようなものであるべきだという考え方があり、僕もそのことを強く感じています。CDを制作して人に聴いてもらおう、ということをまったく想定していないような作品をつくっているアーティストが増えていることも確かです。2000年以前の状況と比較すると、かつてはCDというパッケージにもとづいた活動がありました。今は、ライブに人が集まるように、展覧会やイベントに人が集まって、ある音がハプニング、偶発的な出来事のように起こる何かを見たい、経験したいという、リアルへの欲望が出てきていると思います。そして、それはサウンドの方が映像の作品よりも強いリアリティが生み出せるのかなという気がしています。

★81──Michael Laurence Nyman:1944- イギリスの音楽家(ミニマル・ミュージック)ピアニスト。音楽評論家でもある。著書に『実験音楽 ケージとその後』(椎名亮輔訳、水声社、1992)。
★82──ほそかわ・しゅうへい:1955- 日本の音楽学者。専門分野は、近代日本の音楽史、および日系ブラジル移民文化。著書に『レコードの美学』(勁草書房、1990)、『サンバの国に演歌は流れる──音楽にみる日系ブラジル移民史』(中央公論新社、1995)など。
★83──えばら、日本のサウンド・アーティスト。port主宰、ATAK所属。
★84──まえばやし・あきつぐ:1965- 情報科学芸術大学院大学(IAMAS)准教授。
★85──おおたき・えいいち:1948- 日本のミュージシャン。

[2013年10月8日(火)、東京藝術大学芸術情報センター サウンドスタジオにて]

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畠中実

1968年生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]主任学芸員。90年代末より国内外における同時代の電子音響表現を紹介。2...

金子智太郎

1976年生まれ。東京藝術大学等で非常勤講師。専門は美学、聴覚文化論。日本美術サウンドアーカイヴ主催。最近の仕事に論文「環境芸術以後の日本美...

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