毎月1日、15日号発行の美術館・アート情報をお伝えするWebマガジン(次回2月1日更新予定)

トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ7:“映像”の現在形]脱領域的な表現手法と批評の展開

越後谷卓司/阪本裕文2014年01月15日号

 twitterでつぶやく 

1. はじめに──蓮實重彦の映画批評

越後谷──1984年のことですが、私は多摩美術大学の学生で、当時、東野芳明★1さんが各界の論客を招いて行う連続講座「20世紀文化論」が開講されていました。そのゲストのお一人として蓮實重彦★2さんがいらして、「映画はいかにして死ぬか」という講義を生で聞きました。後に他の講演と合わせて書籍化されますが、この演題は、本のタイトルにもなっています(フィルムアート社、1985年)。蓮實さんの批評は、当時、実験映画★3やヴィデオ・アート★4を志向していた私にも、すごく刺激的、かつ衝撃的で、いわゆる劇映画が対象であってもストーリーに即して観るのとは異なる、別の見方があることが提示されていました。
 この時期、1970年代に書いていたものがまとめられて本になっていますが、一貫して映画を表象批評の対象として見ています。そのような見方は、70年代には主流ではなかったのですが、ニューアカデミズム★5のブームもあって1980年代に浮上してきました。

阪本──松本俊夫★6さんも編集委員だった『芸術倶楽部』★7の第9号「特集:個人映画」(フィルムアート社、1974年)でも、蓮實さんは「個人映画、その逸脱の非構造」と題された文章を書いていますが、「個人映画」や「別の映画」という概念を設定することに対して批判的な意見を述べていましたね。大きな意味での映画から選別して「別の映画」(すなわち個人映画や実験映画)というありもしない境界つくってしまってはならない。何ものかとの違いに自己の存在根拠をおくのではなく、差異や変化そのものを生きるべき、という批判だったと思います。

越後谷──映画は映画であり、外国映画も日本映画も実験映画もないと。蓮實さんと松本さんは、あまり接点がないように思われるけど、『芸術倶楽部』の特集で蓮實さんに執筆を依頼したのは松本さんだった、という話があります。一方で、蓮實さんは、この時期に行われたある座談会で、松本さんの劇映画『修羅』(1971年)などは1980年代の新人による作品よりもいいと評価しています。

阪本──その後、松本さんによる「逸脱の映像とは何か」が『月刊イメージフォーラム 1980年12月号』(ダゲレオ出版、1980年)に掲載されます。このなかで、彼は蓮實さんの言説をある側面で評価しながら、差異を生きるものとしての「個人映画」を擁護したうえで、それが惰性的になったときに制度化されることこそが問題なのだと述べています。そして、蓮實さんのやり方で「個人映画」を批判する身振りは、結果的に商業の劇映画を補強してしまうだけではないかと反論します。今から振り返ると、その通りになった部分もあると思います。しかし、蓮見さんの言説は80年代の映画批評の分岐点として重要でした。蓮實さんの映画批評はそれ以前の批評へのカウンターとして機能しました。

越後谷──松本さんの蓮實さんへの反論として書かれた文章などをまとめた『逸脱の映像──拡張・変容・実験精神』(月曜社、2013年)が出たのは最近のことですね。当時、実験映画と劇映画のジャンルを横断するこうしたやり取りがあったにも関わらず、それが見えにくくなってしまったという意味で、このタイムラグは大きいと思います。
 蓮實さんの『監督 小津安二郎』(筑摩書房、1983年)が出た頃と、ヴィデオ・アートがさかんだった頃は、共に1980年代で同時期です。たとえば、寺井弘典★8さんのヴィデオ・アート作品『1 1/2』(1984年)の中に『監督 小津安二郎』を読んでいるシーンがさりげなくあったります。それは直接的な引用ですが、他にもヴィデオ・アートをやっている僕らの先輩などもみんな蓮實さんの本を読んでいました。蓮實さんが書いているのは劇映画に関することだから、といった感じで線引きするのではなく、ひとつの刺激として受け止めていました。僕の中でも、それらが別のものという意識はありません。もちろん斉藤信★9によるフレーム編集を使った作品『FRAME BY FRAME』シリーズ(1983年)と小津安二郎は同列に論じられませんが、小津映画を改めて見ると、特異な編集がなされていて、その意味では、両者は無関係だとも言い切れません。蓮實さんのフィールドはいわゆる劇映画ですが、ドキュメンタリーやビンク映画についても書いていて、それも衝撃的でした。かつては、文芸映画はいいもの、ピンク映画は下劣なものというような、ジャンルだけでの差別がありましたが、それらを水平に見ていく視点が提出されました。僕は、そういった流れの中で、ヴィデオ・アートを考え始めました。当時の学生の感覚と蓮實さんのジャンル横断的な批評は、決して遠いものではなかったと思います。

阪本──僕と越後谷さんは年齢が一回り違っていて、1980年代の空気は実感としては分からなかったりします。むしろ戦後の歴史を読み直しながら現代に近づいて行く感じでした。色々な資料を読んで歴史的に見ていくと、1960年代にアンダーグラウンド映画★10や実験映画があって、1970年代後半から表象論的な映画批評にモードが変わっていったように思います。その後『リュミエール』★11や『カイエ・デュ・シネマ』★12が刊行され、フランスの映画批評をベースとした言説が主流になっていきましたが、そこでは1960年代のアンダーグラウンド映画からヴィデオ・アートに至るまでの流れが切断されています。結果的にそれらの歴史的な流れは、現在という地点からは見えなくなってしまっています。
 一方で、越後谷さんが言われていることもよくわかります。表象文化論の人たちを見ていても、ヴィデオ・アートと映画の取り扱いに差がありません。ジガ・ヴェルトフ★13の『カメラを持った男』(1929年)とニューメディアを結びつけたレフ・マノヴィッチ★14の『ニューメディアの言語──デジタル時代のアート、デザイン、映画』(みすず書房、2013年)★15を翻訳した堀潤之さんも様々な興味を持っていますね。

越後谷──確かに1980年代のヴィデオ・アートは、1960年代のアンダーグラウンド映画があり、1970年代の実験映画があり、その流れから出てきています。
 初期のヴィデオ・アートと実験映画はかぶる時期がありますが、今振り返ると1980年代には、そういった時期の最後の熱い空気がまだ残っていて、僕はギリギリそれに触れることができました。実際、原美術館で「ビデオカクテル」という展覧会があったり、ビデオギャラリーSCAN★16による公募展があったり、動きが盛んでした。しかし、1990年代以降、ヴィデオ・アートは過去のもの、といった風潮があり、歴史化されてしまい、個々の作家は個別に地道に活動していますが、ひとつの運動体としての動きは沈静化していった気がします。今も持続的に続いているものは「イメージフォーラム・フェスティバル」だけです。

阪本──1980年代になって映画批評のモードが変わった時に、アンダーグラウンド映画や実験映画から継続する流れが見えなくなったということですね。

★1──とうの・よしあき:1930-2005 美術評論家。1954年、「パウル・クレー試論」で美術出版社の美術評論新人賞を受賞。針生一郎、中原佑介と並んで、戦後美術批評の御三家と呼ばれた。その批評のエッセンスは『虚像の時代──東野芳明美術批評選』(松井茂+伊村靖子 編、河出書房新社、2013)として刊行されており、artscape2013年7月1日号の「トピックス」に成相肇が書評を寄せている。
★2──はすみ・しげひこ:1936- フランス文学者、映画評論家、文芸評論家、元東京大学総長。専門のフランス文学研究の他、映画、現代思想、日本文学、スポーツ批評(野球)などを精力的に展開。著書に『表層批評宣言』『反=日本語論』『凡庸な芸術家の肖像』『監督 小津安二郎』『映画の神話学』『シネマの記憶装置』『映画 誘惑のエクリチュール』『映画はいかにして死ぬか』『映画狂人シリーズ』など多数。
★3──「Artwords」内、西川智也+阪本裕文執筆項目を参照。
★4──「Artwords」内、阪本裕文執筆項目を参照。
★5──1980年代初頭にフランス現代思想を中心に流布した、人文諸科学領域の新思潮。浅田彰、中沢新一などがこの渦中にいた。
★6──まつもと・としお:1932- 日本の前衛映像作家・映画監督、映画理論家。1969年、映画『薔薇の葬列』を監督。並行して実験的な短編映画を制作。実験的短篇映画に『石の詩』(1963)、『記憶痕跡』(1987)など。また、ヴィデオ・アート作品に、『新陳代謝』(1971)、『偽装』(1992)などがある。映画理論書として『映像の発見──アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(三一書房、1963)、『映像の変革──芸術的ラジカリズムとは何か』(三一書房、1972)、『映像の逸脱─拡張・変容・実験精神』(月曜社、2013)など。
★7──1973-74年、フィルムアート社より発行されていた写真・映像・美術・デザイン・建築・音楽を軸にした前衛芸術誌。
★8──てらい・ひろのり:1961- 日本の映像作家。多摩美術大学教授。1982年よりヴィデオ・インスタレーション、ヴィデオ・アート作品を発表。カンヌ国際広告祭(現カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル)ゴールド受賞、「ミュージックビデオ/新しい感受性をのせて」展、goo the ONE Spot project、上海万博日本産業館INAX360°、3Dプロジェクション・マッピングなどを制作。
★9──さいとう・まこと:1961- 日本のビデオアーチスト。言及されている「FRAME BY FRAME(DO-OR,TO-W-ER)」(1983-1984)は、ICC映像コレクションとしてアーカイブされている。http://www.ntticc.or.jp/About/Collection/Video/Saito_S/index_j.htmlなど。
★10──「Artwords」内、阪本裕文執筆項目を参照。
★11──1985-1988年に発行された季刊の映画批評誌。蓮實重彦が責任編集。
★12──Les Cahiers du cinéma:フランスの映画批評誌。初代編集長はアンドレ・バザン。日本語版の『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』は、1991年より梅本洋一が責任編集。2001年に休刊。
★13──Dziga Vertov:1896-1954 ソビエト連邦(現在のロシア)の映画監督。ドキュメンタリー映画の先駆者。「映画眼」「カメラ・アイ」を提唱、『カメラを持った男』(1929)は代表作となる。「映画眼=キノ・グラース」については、「Artwords」内、河合政之執筆項目を参照。
★14──Lev Manovich:1960- ニューヨーク市立大学大学院センター教授。ニューメディア理論家・批評家。業績等については、堀潤之の「レフ・マノヴィッチ「リアリティ・メディア──DV、特殊効果、ウェブカム」解題を参照。URL=http://www003.upp.so-net.ne.jp/jhori/newmedia/manovich_intro.html
★15──「Artwords」内、堀潤之執筆項目を参照。
★16──「Artwords」内、河合政之執筆項目を参照。


蓮實重彦『映画はいかにして死ぬか』
松本俊夫『逸脱の映像──拡張・変容・実験精神』
『季刊LUMIÈRE』創刊号
レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語──デジタル時代のアート、デザイン、映画』

▲ページの先頭へ

  • トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

越後谷卓司

1964年生まれ。愛知芸術文化センター・愛知県文化情報センター主任学芸員。「あいちトリエンナーレ2013」映像プログラム・キュレーター。共著...

阪本裕文

1974年生まれ。映像研究。名古屋市立大学大学院芸術工学研究科デザイン情報学科助教(2004-08)、稚内北星学園大学情報メディア学部情報メ...

2014年01月15日号の
トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

  • [シリーズ7:“映像”の現在形]脱領域的な表現手法と批評の展開
  • RSS配信
  • RSS配信

2017年01月15日号