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ネットがもたらす新たな作品評価
歌田明弘 |
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ADSLが破格破壊的な値段になりブロードバンドの時代がいよいよ現実のものとなって、このインターネット環境でどんなコンテンツが生まれるか、またそれによってどんな変化が起こるのかに関心が集まってきた。ソニー・コミュニケーション・ネットワーク(So-net)が提供を始めた「インターネット・ミュージアム・オブ・アート(IMA)」というウェブ上の有料美術館も、そうした状況における試みのひとつだろう。アート作品を載せているサイトはいくつもあるし、美術館のサイトも無数にあるが、それ自体が美術館を標榜する有料サイトは珍しい。入場料700円をクレジットカードで支払い、72時間内なら再入館可能な仕組みになっている。 写真家で編集者の都築響一氏がキュレーターを務め、月代わりの展示の予定で、第一回は都築氏自身の『賃貸宇宙展』が開かれた。 コンテンツは、東京に住んでいる人々の雑然とした室内を撮るという雑誌や本などで都築氏の活動を知る人にはおなじみのものだ。360度視点を回転させることのできるソフトも、週刊アスキーの都築氏の連載「Tokyo Stylever2」のウェブ・サイトで使われている。IMAでは、各部屋への入り口をドーム状に並べてパノラマ的な美術館を思わせるデザインにしている。また、各部屋を探索しているうちにドーム空間へと舞い戻るようになっていて、個人の部屋を経巡ることの迷宮的な感覚を強めている。 そうした展示内容もさることながら、このサイバー・ミュージアムの興味深い点は、美術館という制度そのものにたいする問題提起だろう。IMAのコンセプトを述べた都築氏の野心に富んだ文章はそれをはっきりと語っていて、一読の価値がある(入館せずとも読めるところに置かれている)。 都築氏の文章をまじえてこの「美術館の新しさ」をまとめると次のようなことになるだろう。 まず、1か月の企画展示期間を終えた作品群は常設展示になる。「つまりIMAは毎月、ひとつずつ展示空間が増えていく、いわばネットで増殖する現代美術館」である。増えていくのは、展示作品ばかりでなく、カタログや作品集、Tシャツなどアーティスト・グッズも増えて、ショップの品揃えが豊富になっていく。美術館の経営危機もあって、現代美術の作家は、作品の発表場所を得にくくなっているが、課金にまつわるセキュリティも確立されたブロードバンドのネット空間は、「非常に有効な武器」になると信じている、と都築氏は言う。 このコラムでも、デジタル空間の誕生で、ミュージアムの展示物のフローとストックのありようが変わってきているということを書いたが、このように企画展示を次々と常設展示に組みこんでいく方式はネットに向いている。 そうした点にもましてこの「美術館」の持っている革命的な点は、お金にまつわる部分だろう。入場料やショップの売り上げは、直接アーティストに還元されるという。「こんな、常識的にさえ思えることさえも、いままで美術館の展覧会では実現されたことがなかった。アーティストは一定の制作費を受け取り、それで会期中自作を展示し、会期が終われば作品を引き取る。入場者の数が多かろうと少なかろうと、収入にはかわりない。これが『美術界の常識』なのである」と都築氏は書いている。何げないことのように思われるが、よく考えてみると、これは意表を突かれる。「IMAでは、作品に対する入場者の評価が、そのままアーティストの収入に直結する」というわけで、これは、「市場で買われるということは、批評されるということだ」という経済学者の岩井克人氏の言葉を思い出させる。岩井氏は、市場経済を否定する共産主義では、市場という批評装置が働かず、結局、社会が沈滞し、資本主義の勝利へとつながっていったと説いている。 都築氏の文章を読んで、もうひとつ思い出したのは、かつて勤めていた出版社に詩人の田村隆一氏が酔っぱらって現われて口にした「詩の世界はお金が動かないからだめなんだ」という言葉である。生涯お金に縁がなく借金をし続けた田村氏の言葉は、半分は金欠の酔っぱらいである自分へのアイロニーだろうが、あとの半分は、岩井氏の言っていることとまったく同じく、お金による批評がないから腐敗するという正気の批評だった。「詩やアートは貨幣価値に変えられるものではない」というのは正論にちがいないが、基準が曖昧なことをいいことに、きちんとした批評が生まれず澱んでいくということもまたたしかにある。「アーティストとオーディエンスを常時接続する、デジタルな媒介装置」はこうした澱みを変えていく可能性を持っている。高度化するネットなしでは市場原理を導入しにくかった領域にも「お金」という批評装置が働くようになれば、澱みがちな世界の風通しがよくなっていくことも考えられる。 そのうえで、やはり必要なのは、ネットでも「貨幣に変えられない価値」のありかをはっきりさせていくことだ。どうやってそんなことが可能かといえば、それは、やはり言葉の批評によってだろう。生まれたばかりのメディアであるネットにはそれが決定的に欠けている。サイトを紹介するメディアはたくさんあっても、きちんとしたサイトの批評メディアはまだほとんどない。都築氏が批判的に書くように「つまらないホームページ」が無数に存在するのはたしかだが、それをレベルアップするのはお金だけではないだろう。 |
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