もともとは「前線」や「斥候」を意味するフランスの軍隊用語。芸術上の「前衛」をも意味するようになったのは19世紀前半頃とされるが、その後の1世紀を通じて、この語の定義は徐々に脱政治化され、「芸術の自律性」に即したものへと変容していった。従来の芸術を越境しようとする試みが、結局のところ「芸術」の美名のもとに回収されてしまう一例としてよく引き合いに出されるM・デュシャンの《泉》などは、そうした脱政治化された「前衛」に先鞭をつけたと言えよう。しかし、脱政治化の結果「芸術の自律性」へと自閉し社会との緊張関係を喪失した「前衛」が、もはや「前衛」の任を果たしえないことは、デュシャン以降の「前衛」を「ゲーム」と一蹴したT・ド・デューヴが批判する通りである。その意味では、1930年代の状況下で、もはや「前衛」が革命のプロパガンダとなりえなかった事態を描いたC・グリンバーグの「アヴァンギャルドとキッチュ」は、今日的な問題を先取りするものであった。
(暮沢剛巳)
関連URL
●デュシャン http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/people/m-duchamp.html
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