「美術作品を観る者」。およそ美術史の専門的文献以外では目にする機会のないこの日本語から真っ先に連想されるのは、美術館の「ホワイト・キューブ」に恭しく掛けられた絵画に、人々が熱心に見入っている光景であり、その光景が帯びている高次な芸術鑑賞としてのニュアンスは、「視聴者」としてテレビを観たり、「ファン」としてスポーツを観戦したりする経験とは明らかに異質だろう。確かに、音楽における「ロック」や「ポップス」、映画における「娯楽大作」のような圧倒的なポピュラリティをもつ美術は存在しないが、その半面「観者」としての芸術鑑賞を強いる近代美術の方が、現代美術よりはるかに多くの動員を記録するのもまた事実なのである。この事情はなにも日本に限らず、おおむね各国に共通しているのだが、英語の「beholder」が単に「眺める者」という程度の意味に過ぎないことを思えば、「観者」という語にはいかにもブルジョワ的、前近代的な含意が漂う。ある意味では、「観者」の更新、新しい造語の定着が今後の現代美術の課題かもしれない。
(暮沢剛巳)
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