学園闘争の嵐が吹き荒れた1969年、多摩美術大学の学生により結成された闘争組織。正式名称は「美術家共闘会議」。ただし、反体制を唱えて盛んな街頭デモを行なった組織は1年足らずで消滅し、翌年、新たに「美共闘REVOLUTION委員会」が刀根康尚、彦坂尚嘉、堀浩哉らによって結成された。こちらは体制に対して直接闘争を求めるのではなく、美術表現そのものに目を向ける組織であり、機関誌『美術史評』を刊行するなど70年代を通じて活動した。歴史のなかで美術表現自体が、制度性を強固に帯びてしまったことへの強烈な認識から、彼らはこの制度性そのものを拒否する「闘争」を開始したのである。結果、表現―制作という概念そのものが、根源から問い直されることとなった。彼らの多くはコンセプチュアル・アート的なスタイルをとったが、いずれの作家も70年代以降の美術を主導する存在となった。
(苅谷洋介)
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