「細部」または「部分」。普通は美術であれ、あるいは音楽や文学であれ、あらゆる芸術で優先されるのはいつでも作品「全体」の価値である。だから、たとえ「神は細部に宿る」(アビ・ヴァールブルク)ことがあったとしても、その「細部」は最終的には「全体」に統合されなくてはならない。あるいは、ある作品のディテールの仕上げがどれだけ確かなものだったとしても、それが全体の中で「浮いて」見えるほどのものになってしまうと、その作品はよくない作品とされる。逆に言えば、この「ディテール」に執着し、これを全体に優先させるということは、それ自体がひとつの倒錯をはらむフェティシズム的な営みとなる。このようなディテールへの嗜好を、わたしたちはロラン・バルトの芸術批評に見ることができる。彼の批評とは、全能の作者がつくり上げた作品「全体」をまずほとんど恣意的に断片化し、そうして得られたディテールに執着することで、ひとつの「全体」として固まってしまった作品の価値を複数化しまた転覆することを、もくろむものだ。
(林卓行)
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