精神が異様に高揚した状態。「喜悦」「恍惚」「脱自」などさまざまな訳語があてられる概念で、近年、美術批評家の伊藤俊治がこの概念に強い関心を抱いており、M・デーレン、M・コルビルアス、H・ミショー、G・ベイトソン、A・アルトー、O・ハックスレー、H・D・レイン、M・レリス、W・ベンヤミンといった映像作家、美術家、詩人、思想家らの営為を、「陶酔」と「官能」を軸としたネットワークとして20世紀芸術の流れの中で再編しようと構想しているという。以前の著作である『裸体の森へ』(筑摩書房、1985)や『聖なる肉体』(リブロポート、1993)でも同種の試みがなされていたが、その当時、T・リアリーの「神経政治学」などを彷彿させた「エクスタシー」の問題は、今や「テレプレゼンス」や「ヴァーチュアル・リアリティ」を抜きに語ることはできない。「陶酔」や「官能」もまた、今日的なテクノロジーのもとで再編されようとしている証左がここにある。
(暮沢剛巳)
|