第一次大戦直後にオランダで興隆した「デ・ステイル」――このユニークな芸術運動が短命に終わった主因のひとつに、中心メンバーの確執、すなわち、あくまでも垂直交差の構図に固執するP・モンドリアンと、そこに45度の斜交座標を加えようとしたT・ファン・ドゥースブルフの路線対立があったことはよく知られている。「エレメンタリズム」とは、後者の立場を譲らなかったドゥースブルフが自ら名乗った理念であり、45度の傾きはいかにして垂直交差の完成された構図の中に不安定感とダイナミズムを導入するか、彼なりの思念が到達した結果であった。その理念は「色彩建築」と呼ばれるヴァリエーションを生み、ストラスブールにある「カフェ・オーベット」の室内装飾に最も端的に反映されているのだが、その事実は総合芸術を志しながら、結局のところ絵画においてしかその理念を体現できなかったモンドリアンの「新造形主義」とは、いささか逆説的な対照をなしている。
(暮沢剛巳)
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