史上初めての万国博覧会(以下、万博)は、1851年にロンドンで開催された。国別形式の国際見本市を開催するというその発想は、16世紀の大航海時代以来の全世界的展望、博物学の進展や美術館・博物館の成立、近代産業が生み出す商品性などの諸要素が、大規模なスペクタクルとして結実したものであり、その成功以後、欧米先進国は競って万博を開催。スケールの大きなエンターテインメントとして大衆を魅了し、消費文化の広告塔としての役割を果たすと同時に、帝国主義的なプロパガンダの一翼も担うようになる。とりわけ、1855年から1937年にかけて6度にわたってパリ万博を開催したフランスは、この巨大スペクタクルを重要な文化政策とみなし、積極的に活用した。日本もまた、1867年のパリ万博に公式参加、1873年にはその出品に際して「美術」という用語を造語するなど、対外的な文化政策に万博を活用してきた一国だが、実際にその招致が実現するには、1970年の大阪万博まで百年余を必要とした。今現在「万博の時代は終わった」としばしば言われるのは、グローバル・ネットワークの進展に伴う世情の変化と、1992年のセビリア万博を最後に大規模な国際博が開催されていない事実に即してのことだが、2005年に愛知県での万博開催が決定するなど、その趨勢は未だ見定めがたい。詳細は、吉見俊哉の好著『博覧会の政治学』(中公新書、1990)を参照のこと。
(暮沢剛巳)
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