一批評家が、客観的・実証的な根拠よりも、自らの主観を優位に置く批評、あるいはそうした立場の総称。言語学、現象学、記号論、構造主義、精神分析など、美術批評がさまざまな理論的成果を通過した現在、印象批評はもっぱら蔑視される立場となった感があるが、しかしこれらの理論的成果がいずれもアカデミズムのディシプリンに内奥するものであることを忘れてはならない。すなわち、あまりに客観性・実証性へと傾斜した批評は、もはや自らが依存するディシプリンへと内属する研究との差異を喪失し、逆に批評としての根拠を失うことにもなりかねないからである。そもそも、立場はともあれ、批評とはまず一人称によって態度を表明する営みではなかっただろうか。ただ、T・S・エリオットやC・ボードレールのような詩人の批評が印象批評のルーツであるとの定説は一貫しており、印象批評であるか否かの判断が、批評家の言語に対する態度によって下されることは確かである。その意味では、日本の美術における印象批評の先駆は詩人・瀧口修造をおいてほかにいない。
(暮沢剛巳)
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