18世紀の産業革命以後、資本主義発達過程で生まれた新しい階層。19世紀末、地縁や血縁に縛られず都市に流入し増加する大衆に対して、大衆恐怖症ともいえる著作が多く著された。ギュスターヴ・ル・ボンの『群衆の心理
The Crowd』(1895)は、階級を侵犯し、秩序を脅かす存在であると大衆を定義し、また犯罪病理学者チェーザレ・ロンブローゾは犯罪者や娼婦の観相を採集しながら、大衆にヒステリーや梅毒といった病的徴候を読み取ろうとした。大衆が時として群衆crowdや暴徒mobなどと意味を共にすることからわかるように、ブルジョワにとってまさに大衆は他者であった。つまりは、受動的な存在としての非組織的・情動的・非合理的な非エリート層という否定な存在である。一方、マルクス主義によれば、大衆とは歴史の主体的存在であり、社会主義革命の担い手という肯定的な意味を担う。1895年に誕生した映画は、同時に多くの人間が鑑賞できるため、その観客は階級や年齢の異なる無数の人間、無定形な巨大集団という意味で大衆といえる。1930年代、ファシズムが大衆を国民に仕立て上げる際にこれらメディアを積極的に利用したことは周知の事実である。映画に加えてラジオ、新聞、広告は、マス・コミュニケーションによって広範囲の大衆に開放された文化的情報価値の中核をなす。現在、テレビやインターネット、コンピューター・ゲームが新しく大衆メディアに加わった。
(石田美紀)
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