水彩画家で美術論の論客でもあった大下藤次郎が1905(明治38)年に創刊した日本初の月刊美術専門誌。6年後に藤次郎が亡くなった後は、小島鳥水の協力を仰いだ未亡人春子がその業務を引き継ぎ、当初は藤次郎が経営していた水彩画研究所の機関誌的な側面が強かったその誌面は、やがて水彩画運動のパイオニア誌、そして総合美術史へと変貌していった。用紙の不足のために刊行が危ぶまれた戦時中にも『新美術』『美術』として活動を継続、日本美術出版から美術出版社へと社名をあらためた戦後には、新たに創刊された姉妹誌『美術手帖』ともども、日本の美術界のオピニオン・リーダー的な役割を果たしてきた。紙型が大型なこともあり、カラー印刷の発展と並行してその誌面はカタログ代わりとしても重宝されたが、美術館のカタログ印刷が普及すると同時に部数的には苦戦を強いられるようになり、1981年以降は季刊へと移行、現代美術を中心とする路線を展開していた篠田達美編集長時代の1992年夏号を最後に通巻963号(増刊号も含む)で休刊した。以後長らく復刊が待望されていたが、01年冬、『美術手帖』の増刊号という形態で再刊された。
(暮沢剛巳)
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