1960年、第12回読売アンデパンダン展に出品していた吉村益信、篠原有司男、赤瀬川原平、荒川修作等が結成したグループ。アナーキズムを標榜し、従来の一切の芸術概念に反旗を翻した「反芸術」(評論家東野芳明の言葉)を実践した。60年に東京で3回の展覧会を開くが、会場でもあった吉村の自邸「ホワイトハウス」閉鎖等の理由で、同年中にグループは消滅している。300個のゴム風船を展示した篠原の「ごきげんな四次元」や石橋清治の「朝の甲州街道で八分間車に轢かせたケント紙」等が特徴的な作品であるが、展覧会ポスターを全身に巻きつけて銀座をねり歩いた吉村のように、このグループはハプニングへの志向も含んでいた。50年代後半、アメリカやヨーロッパで巻き起こったネオ・ダダからの直接の影響を見る向きもあるが、実際には硬直した体制への批判から、日本でも海外と同時発生的に起きたものであろう。このような点から見ると吉村らの活動の頂点となる「作品」は《東京都美術館爆破計画》であると言える。
(苅谷洋介)
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