1937年、L・モホリ=ナギがアメリカ・イリノイ州シカゴに創設した美術学校。その名前の通りに、芸術と技術の統合、またその社会化を目指す教育方針は、当然のようにドイツのバウハウスの流れを汲むものであった。H・マイヤーとの確執が原因でバウハウスを辞した後は、ロンドンとアムステルダムで著作・制作活動に当たっていたモホリ=ナギだが、基礎デザインの授業で学生にフォトグラムを指導するなど、教育活動には人一倍熱心であっただけに、シカゴのある支援者から学校設立の誘いがあったときにはすぐさま応じ、渡米して数カ月のうちに開校へとこぎ着けた。折悪く、ニュー・バウハウスは資金難などで翌年には閉校に追い込まれてしまうのだが、やがてその流れを汲むインスティテュート・オブ・デザインが開校、同校は現在イリノイ工科大学の一部に編入されている。なお戦後間もない時期のインスティテュート・オブ・デザインで写真を学んだひとりに、若き日の石元泰博がいる。
(暮沢剛巳)
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