「日本画」と言えば一般には“伝統的”な水墨画や屏風絵が想起されるだろうが、じつのところ、それらの様式の総称としての「日本画」は江戸時代以前には存在せず、「洋画」と対置される形で、明治期に初めて“発明”されたものである。当時の文明開化の風潮のなかで、「国粋主義」の立場を主張した岡倉天心とA・フェノロサは、近代日本の美的イデオロギーを主張する目的で前狩野派の様式を採用、以後その近代化の徹底を図ることになった。その戦略は、内向きには東京藝術大学における日本画科設置などの美術教育の推進、外向きには万国博覧会などの国際舞台で展開されていくことになる。もっとも、「洋画」と対置されて生まれたその経緯からして、当時二人が理想とした「日本画」は、技法といい教育法といい、徹底的に西洋化されたものであった。以後100余年を経て、この逆説は完全に忘れられた観があるが、少なくとも近代以前には、既存の「日本画」など存在しなかった歴史的事実は正確に記憶すべきだろう。
(暮沢剛巳)
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