いわゆる「霊感(inspiration)」や「狂気(mania)」のような、神がかったものが芸術家という人間に「憑依」することで芸術が創造されるという考え方は、ギリシア時代、特にデモクリトスやプラトンによって、理論としてととのえられた。この理論が標的にしていたのは、芸術は技術によってつくられるという考え方で、この両者の対立はのちも、例えば才能と努力の対立、あるいは自由な即興と緻密な構成の対立などとして、繰り返し変奏されることになる。どちらをとるにしても、芸術の創造に超個人的なものを求めることは、個人主義の時代、つまり近代にはそぐわないものとなった。したがってこの時代には、あくまで芸術家個人に備わった異能、つまり「天才」の概念が「霊感」や「狂気」にかわって優勢となる。その意味では、現代の芸術家がドラッグや激しい身体運動などによる脱我=トランス状態に身を投じて、超個人的な霊感の到来を待ち受けているようなのは、このプレモダンの「憑依」の復活なのか。それとも「天才」にかわる新しい概念が、いま求められているということなのか。
(林卓行)
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