タトリンが《第3インターナショナル記念塔》モデルを構想し始めたのは1919年のことである。彼が追求してきたデザインと技術、美術性と機能性の総決算とも言うべきこのモデルは、後の構成主義理念の先駈けとも言える。構成主義は20年5月、モスクワに設立されたインフク(芸術文化研究所)において誕生し、初代所長カンディンスキーがドイツに戻った後、研究所はアレクサンドル・ロトチェンコ、ワルワーラ・ステパーノワ、アレクセイ・ガン、ステンベルグ兄弟を中心とする構成主義者たちの牙城となった。ロトチェンコは同じ大きさの構成要素からなる三次元的構成作品をつくり、これらの作品は21年5月「オブモフ(青年芸術家協会)」第3回展に出品された。翌年にはガンの著書『構成主義』(邦訳は『構成主義芸術論集』)が出版され、9月に「5×5=25」展が開催された。ロトチェンコ、ステパーノヴァ、ポポーヴァ、エクステル、ヴェスニンの5人がそれぞれ5点ずつ出品したこの展覧会は構成主義の「イーゼルから機械」へという方向性をはっきり示し、現代のインダストリアル・アート、グラフィック・デザインの基礎を築いた。しかしスターリン時代の闇に埋もれた後、構成主義の作品が再びモスクワでまとめて展示されるのは93年の「偉大なるユートピア」展、94年の「タトリン展」を待たねばならなかった。また、近年は、より広い地域における構成主義への流れが見直され、2002年には「中欧ヨーロッパのアヴァンギャルド」展が欧米(サンフランシスコ、ミュンヘン)を巡回。日本では、2001年、ステンベルグ兄弟のポスターによる「ロシア・アヴァンギャルド展」(東京都庭園美術館)が開催された。
(柴田勢津子)
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