戦争を賛美したとされるプロパガンダ芸術に対する評価は二極化する傾向が強い。すなわち、その戦争責任をモラルの観点から弾劾するか、あるいはその政治的側面を切り離して作品のロマン主義的な質を個別に評価するかであり、欧米諸国における多くの美術史はこのふたつの視点を折衷する形で書かれてきた。ところが、一連の「従軍慰安婦問題」論争を例に出すまでもなく、日本におけるこの種の議論はしばしば陰湿なものとなってしまう。もちろん皇国史観の立場から戦争を賛美したとされる「戦争画」もその例外ではなく、その屈折した評価のためにこの時代の絵画史はいまだ大半が空白のまま残されている。当時の「聖戦美術」が原因で戦後日本画壇と“絶縁”した藤田嗣治はもとより、裏返しの「戦争画」と呼ぶべき河原温の「浴室」シリーズ、あるいは斎藤義重の“沈黙”など、この観点からあらためて検証されるべき作家・作品・動向は決して少なくない。最近この問題を扱った書物としては、椹木野衣の『日本・現代・美術』(新潮社、1998)が挙げられるが、ほかにも意欲的な研究や批評の出現が待望される。
(暮沢剛巳)
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