「チューブ(管)」によって文化を論じ、かつ「チューブ(管)」ということを前面に押し出した主義。1982年、谷川俊太郎(詩人)、前田愛(日本近世・近代文学研究)、長谷川堯(建築論)が共同監修で『チュビスム宣言』(PARCO出版)を発表した。「我等は自身が一本の管(チューブ)に過ぎぬという冷厳な事実を、歓びと畏れをもって受け入れ、我等が過去において獲得し、未来において模索するであろうところのあらゆる思想が、その管(チューブ)の先端に咲く花の比喩で語られることを確認する」という谷川の宣言草案を冒頭に、医学者、物理学者、生物学者、文化人類学者など、さまざまな分野からの発言が連なっている。このマニフェストを、ポスト・モダニズムのひとつの表われと見ることはもちろん可能である。しかし、それは近代合理主義の一面的な批判ではなく、その内部に拡がりそれを支える豊穣な混沌としての「チューブ」に着目しているのであって、モダニスムをも包含した、より大きな文化概念を提示するものであったと言えるだろう。たとえば長谷川は、厳格な幾何学的形態をもって知られるル・コルビュジエの建築さえも、そうした合理主義に対立するチューブを抱えて成立していると述べる。人間を含む生物の身体が、内臓や血管といった管で連結しているように、一見無機質な機械も都市も、チューブによって有機的につながっているとする視点は、今日でも応用すべき可能性を十分に秘めている。
(坂本恭子)
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