どれも美術作品のありようについて、その感覚とのかかわりから記述する概念。美術作品の制作あるいは観賞には、主に視覚と触覚の二つの感覚がかかわる。この二つは共同で、具体的な形態/形式の創出あるいは把握に向かう。けれどもそのとき二つが対等とはかぎらない。アロイス・リーグルは、古代エジプトから末期ローマに至る美術の展開のうちに、はじめは劣勢だった視覚がやがて触覚を駆逐してゆくプロセスを、つまり「触覚性」から「視覚性」への移行をみる。(『古代ローマ末期の美術工芸』)。さらに「純粋視覚性」とは、「純粋に」視覚だけに訴えるような、つまり触覚などそのほかの感覚、さらには思考や記憶とはまったく無関係に存在する(とされる)ような、美術作品のありようを言う。これはまずコンラート・フィードラーによって理論化され、その後フォーマリズム美術批評が個々の作品の優劣を判断するさいの重要なクライテリア=批評基準となった。その一方でジル・ドゥルーズは、リーグルの議論をふまえたうえで、いわば「純粋に触覚的な」美術のありようをも考える。例えばジャクソン・ポロックの絵画に見られる、眼のコントロールをふりきろうとするかのような手の運動がそれである。ドゥルーズはそれを「手跡的(manuel)」なものと呼ぶ(『フランシス・ベーコン――感覚の論理』)。
(林卓行)
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