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「デザイン言語」という実験
慶応藤沢キャンパスの新たなフェーズ 後藤武 |
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デザインの基礎教育の必要性 慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスが設立されてから十年余りがたつ。このキャンパスにおけるアートやデザイン教育に関しては、かなり早い時期からコンピュータ・ミュージックやアートの先進的な教育が行われてきてはいたのだが、研究会と呼ばれるゼミナール単位の教育システムで、単発的な教育になりがちだった。多くの学生はデザインの基礎教育を全く受けないまま研究会に入るわけだが、限られた時間の中ではなかなかデザインの基礎教育までしている余裕がないので、研究会に入る前にもう少し基礎的な能力を磨いて欲しいという意見が多かった。その結果、デザイン教育のベーシックな部分を1・2年生の段階でやれるような教育システムが必要ではないかということになり、メディア・デザインの領域を切り開きつつある奥出直人教授と建築設計やデザインプロセス論を専門とする後藤とのコラボレーションによって、新たに「デザイン言語」という科目群が成立した。 なぜ「デザイン言語」か? 湘南藤沢キャンパスには、環境情報学部と総合政策学部という二つのが学部があるが、その下位概念としての学科は存在しない。学生は自分の関心にしたがってプログラムを組み、自由に科目を履修していくことになるわけだ。2001年度からは、その基本的な考え方のもとに、さらに専門教育の展開可能性を考慮に入れたクラスター制度が発足することになった。デザインに関するところでは、メディアデザイン・クラスター、環境デザイン・クラスターが生まれ、デザイン教育の基盤がこれで揃ったことになる。
デザインというのは、イメージや空間といった感覚に関わるものを操作する作業のことだろう。例えばダンスは身体の感覚をいかに操作するかというテーマを特化して突き詰めていったデザインだと言えるし、建築は空間と、人間がその空間をどう感じるか、つまり空間との関わり方を操作するデザインだ。デザインにおいては私たちの感覚が非常に重要な要素になる。デザイン言語は、その感覚というものを捉え直すこと、感覚に異化作用を及ぼすことを目的とした授業である。しかしデザインが感覚だけに特化しているかというと必ずしもそうではないはずだ。デザインが扱う感覚とは、独特のロジックを内包しているのではなかったか。デザインということばと言語ということば。このふたつを結びつけて、感覚と論理のアマルガムとしてのデザイン行為の側面を浮かび上がらせることができないか。そんな思いがあった。 デジタル/アナログの二分法を超えるために
さらに「デザイン言語」という名称には、この科目があくまでもリテラシー、つまりトレーニングによって使いこなすことのできる一つの能力であるという意味も含まれている。通常デザインは「センス」を前提にするが、それがあるロジックに基づいている以上、そのロジックを学ぶことが同時にセンスを磨くことになるだろう。だからデザイン言語はプロセスに焦点を当てている。デザインとは特殊な技芸の世界ではなく、それぞれのジャンルのマテリアルとツールを用いて問題発見と問題解決を行なっていく一連のプロセスなのだから、自然言語と同じように翻訳可能であり、ジャンルを越えて、応用が可能なプロセスである。またその一方で自然言語に言葉の壁があるのと同じように、マテリアルとツールによって表現は大きく規定される。デザイン言語のユニヴァーサリティと個別性にまたがりながら、創造的な思考が生み出されていくプロセスを追求していくことができれば、と考えている。
[ごとう たけし 慶應義塾大学環境情報学部講師・建築]
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