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とかち国際現代アート展
デメーテル開催前夜 馬場正尊 |
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デメーテルの正式名称は「とかち国際現代アート展」で、その名の通り現代アートのイベントである。10組のアーティストが帯広という土地で作品を発表している。ただし、そのフィールドが競馬場。そのことが、デメーテルという展覧会を独特のものにしている。なぜ現代アートの展覧会の会場に競馬場が選ばれたのか、その経緯はディレクターの芹沢高志がさまざまな機会に発言しているが、10組の作家の選択と「サイトオリエンテッド」と表現されるコンセプトは、まずこの競馬場という場所から始まったと言っていい。 蔡國強、オノ・ヨーコ、シネ・ノマド、岩井成昭、金守子、カサグランデ&リンターラ、ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルト、川俣正、インゴ・ギャンター、nIALL(中村政人、岸健太、田中陽明)。参加する10組のアーティストは、それぞれのスタンスで場所へのコミットメントの方法を表現していた。 ここでは、オープニング前後の様子をレポートする。幸いにも、最後の設営や調整を行うアーティストたちに直接話を聞くことができた。それぞれの表情を伝えてみたい。
7月12日、オープンの前日に帯広入りした蔡は、ほんの数日前にはNYのハドソン川で巨大な花火のパフォーマンスを行い大喝采を受けたばかり。3日間帯広に滞在し、15日には神戸で次のパフォーマンスが待っている。おそらく世界でもっとも多忙なアーティストの一人だろう。ちなみに、僕らがインタビューする前はNHKが取材をし、その前には『アエラ』の坂田栄一郎氏が写真を撮っていた。
言葉では言い表せない興奮が走った。自分の目の前3mで、小さくても「爆発」という現象を見ることはほとんどない。それは、花火よりかなり乱暴なものだった。根元的な野生のようなものが一瞬、鎌首をもたげたのが自分でもわかった。キャンバスの上の石や植物などをどけると、そこには和紙が焦げてできた図像が浮かび上がる。天に浮かび燃える丸い物体の姿、蔡はそれを壁に立て掛け、設計図とした。 オープン前夜、台風が北海道に上陸した。7月に北海道に台風が来ることなど歴史的に見てもほとんどない。ディレクターの芹沢高志は、半分あきれたように、でも半分は台風到来にわくわくしている子どものような表情をしていた(ように見えた)。実際は、そんな場合ではなかったとは思う。現場は徹夜の大騒ぎだった。 その台風の影響をモロに喰らったのが蔡の作品だ。直径30mの巨大なバルーン(UFOと呼ばれていた)が、この日、空に飛び立つはずだった。夕方から、イチかバチかでヘリウムが充填し始められ、その巨体が徐々に姿を現し始めた。夜になり作業のための照明がつけられ、それによってバルーンはライトアップされる。白い塊が次第に大きくなっていく風景は壮観で、その様子は、会場の端からでもよく見えた。この暴風雨のなか、果たしてUFOは浮き上がることができるのか、スタッフの全員がかたずを飲んで見守った。おそらく蔡も眠っていない。 次の日、まだ緊張の残る現場事務所で蔡をつかまえて話を聞いた。ニコニコしながら、「僕の作品はいろいろな環境が左右する。特に火薬を使うものはね。例えば、行政や警察の人が誰か許可してくれなければ、その作品は成立しないし、もちろんたくさんのボランティアやスタッフの協力がないと成り立たない。こんなふうに天気だって協力してくれないと苦労する。それが全部クリアできてやっとその一瞬が訪れる。そのためには、みんなが見てみたい、と純粋に思うようなものじゃなきゃだめなんだ。「オレが許可しないと、これをみんなが見れなくなる」、と思うと、役人さんもなんとか許可しようと思うでしょ。そして大きな爆発を見る。関わった人誰もが「あそこで、自分があんなふうにがんばったから今この爆発がある」と思える。そのとき、作品は大勢の人のものになっている。 中途半端なものではダメ。徹底的に無駄で、すごくお金もかかって、たくさんの人が巻き込まれる。そうでないと、計画は途中で途切れてしまう。そんなこと、アートか戦争でしかできない」。 最後に、Aの若い女性スタッフが、「蔡さんは、普通どんな生活をしているのですか?」という、僕からはできないような勇気ある、でももっとも聞いてみたい質問をした。「奥さんと子どもがいて、普段家にいるときは……」おそろしく普通の答えが返ってきた。 「SkyTV」という名前のついたこの作品は、1966年に発表されて以来、世界各国、さまざまな場所で発表されてきた。本人は会場には来ていなかったが、キュレーターのジョンがそのコンセプトと歴史を話してくれた。
川俣正は、北海道出身である。高校まで近くの岩見沢で過ごした。ここは故郷に近い。また、直接この競馬場に足を運んだわけではないが、ここで走る馬に賭けたことはあるらしい(おいおい、高校生だぞ)。そういう意味で、参加した作家のなかで、唯一、場所に対して具体的なコンテクストを持った作家であると言っていい。
「不在の競馬場」という作品は、その不思議な物語を現実化、意識化したようなものだった。川俣は、「ばんえい競馬」の出走馬に「デメーテル号」という名前をつけ、それを実際の競馬に出走させた。同時に、木馬を帯広の競馬場に置いた。 この二人の建築家は、ユーラシア大陸を横断し、フィンランドから車でやってきた。その車、赤いランドローバー冒険仕様が作品の一部として厩舎の前に止めてある。そしてその車が何よりも強度を持った作品だった。窓ガラスの一部はひび割れ、ウィンチには泥が絡みつき、車体には無数の小さなキズがある。誇らしげな顔をして止まっているように見える。車内を覗くと、釣りの道具やルアー(食料を調達した)、救急用のリュック(抗生物質の注射まで完備)、GPSの機材などさまざまなものが積まれている。長い道程と旅の物語を、車体がそのまま背負っているかのように見える。僕にとっては、それだけでも十分であった。
気になったのは、彼らの職業が建築家であること。しかし参加アーティストのなかでもっとも建築的ではない、というと語弊があるかもしれないが、とにかく接地性が薄く、孤独で、さまざまな制約から自由な作品を提示しているのが彼らだった。そのことについて話しかけてみると、「ときに旅に出たくなる。建築はあまりに現実的な作業であることが多い」という答えが返ってきた。 作品の周辺を掃除していたり、作品の補修をしていたのが本人たちだった。どんな作品をつくっているのかを尋ねて見ると、PCで自分たちの作品のスライドを見せながら、1時間にも及ぶレクチャーがその場で始まり、こちらが口を挟む暇もなかった。
会期が終わればまたそのまま使えるので、メーカーも提供しやすいもののようだ。帯広でも、地元の牛乳メーカー「よつ葉乳業」の緑色のケースが使われていた。作品には「よつ葉乳業」のロゴがたくさん入っている。いつも街中に散在している日常的な箱が、こんな空間になって再編成されている風景は、住人には親近感の湧くものなのではないだろうか。 この作品をつくっている二人、ニコラとヴェルナーは、やはり旅人の臭いがした。ここで発表されている「スリー・ウィンドウズ」という映像作品を、僕は東京の東長寺のP3ギャラリーの最後の展覧会として観た。静寂の寺の地下の空間のなかで、まんじりともせずに壁にもたれかかって1時間以上ずっと画面を眺め続けていたのを覚えている。観る者に、そうさせてしまう映像だった。終わりも始まりもない、長い長い旅のような映像。ここ帯広では、雨音と風音を薄いBGMとして感じながら改めてこの映像を観ることになった。
シネ・ノマドの二人に、この作品をつくることになった経緯を聞いてみた。遠く離ればなれの場所で、ニコラとヴェルナーの二人が偶然、同じラジオ番組を聞いていて、そこで流れたのがこの『スリー・ウィンドウズ』の被写体であるロバート・ラックスの詩であった。お互い、それが気になって仕方なく、再会した時、二人はそれの偶然に驚き、そしてそれは偶然ではないということを悟る。すぐにパトモス島に飛び、そしてラックスの撮影を開始するのだ。撮影終了後、ロバート・ラックスは亡くなっている。
岩井の作品は美しかった。厩舎のなかは真っ暗でなにも見えない。そのなかを、音を求めて怖々と歩く。どこか遠い場所からつぶやきのような音が聞こえてきたかと思うと、突然、頭のすぐ後ろで声がする。光のない世界だから聴覚はいつもの何倍も研ぎ澄まされる。
池のほとりに寝ころんで、アイヌ語の朗読に耳を傾け、というよりその声以外は何の音もしない空間で、ただじっとしている時間は、とても心地のいいものだった。 「ニアル」と読む。この作品は、不思議な成り立ちをしていた。作品というより、プロジェクトのプロセスと呼んだほうがいいかもしれない。その経緯が、デメーテルそのもののようにも思えた。最初は、芹沢が岸に、会場内のカフェをつくることを依頼した。しかし中村政人、田中陽明というアーティストが参画することによって、それが次第にプロジェクト化してくる。3人が始めて帯広に陸路で入った時、峠を越えて帯広の郊外を通過していて街の風景がおかしなことに気がつく。そこは、まるでフィクションの世界のように人工的でよそよそしい、ちょうど住宅展示場を歩くような感覚だったらしい。しかし、そこには実際、人が住んでいる。後で地元の人に尋ねてみると、帯広では住宅展示場の家をそのまま売却して街ができていることがわかった。そうやって、帯広の郊外は広がっているらしい。あのよそよそしい空気と、バラバラのデザインの住宅が均質に並ぶ不思議な風景はそうやってできていた。
競馬場という場所を選んだことが、デメーテルを特別なものにしていることは間違いない。なによりも作家性の強い行為は、場所を選ぶということではなかっただろうか。この場所を選んだことで、それに対応できるアーティストもおのずと決まってくる。それくらい強い場所の力のようなものが、ここにはある。
芹沢のディレクターとしてのメッセージはそこにこそある。この競馬場で行われる「ばんえい競馬」という北海道独特の競馬は、いわゆる競馬とはずいぶん違って、北海道の各地を巡回する。会期中、競馬場は人口700人の街になり、それが終わると誰もいなくなる。1年のなかの数日間だけ街となる、幻のような場所だ。川俣正は、自分の作品のタイトルを「不在の競馬場」と名付けたが、それはまさに場所自体の名前のように思えた。 |
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