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文化財の保存と公開をめぐる論考 ―「シンポジウム 応挙寺と美の運命」リポート 影山幸一 |
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その土地に根付いた地域ならではの文化財のあり方、保存と公開という相反する文化財の永遠のテーマともいえそうな大きな問題の解決策をめぐって、真摯な論議が小さな町から始まった。
シンポジウムは、第一部「建造物とその環境を襖絵と一体化して観じ考える学はいかに可能か。またそれを一体化して保存するにはいかなる方法が可能か」(13:00−15:00)という長いタイトルで現代の美術鑑賞、保存、展示の問題が広く提示され、第二部は「襖絵収蔵後の見学形態はいかにすべきか」(15:20−17:20)で第一部を踏まえ大乗寺の運命を考える視点から議論が深められていき、第三部(19:00−21:00)では住民との話合いの場を持ち、全体を整理するという三部構成で進行した。 司会は木下長宏(近代芸術思想史/横浜国立大学)が三部すべてを通して務めた。パネラーは、北澤憲昭(近代日本美術史・美術評論家/跡見女子学園大学)、北村眞一(景観工学/山梨大学)、中川 理(近代建築史/京都工芸繊維大学)、並木誠士(日本美術史・美術館学/京都工芸繊維大学)、村上裕道(兵庫県教育委員会社会教育課文化財室)、山梨俊夫(美術史/神奈川県立近代美術館)、山岨(やまそば)眞應(大乗寺副住職)の7名で舞台正面に並び、OHPとパソコンを使用しながら発言が展開されていった。 寺院における保存と展示の問題、レプリカの意義や建築と美術品、あるいは宗教体験と美術鑑賞、さらに文化財行政や観光資源のあり方など検討材料が具体的に多種出てきた。 オリジナル作品が収蔵庫に入ることにより、応挙が生みだした絵画と建築、絵画と自然との思考空間そのものが断ち切られることが懸念されたわけだが、精密なレプリカの存在が新しい空間を生む可能性もある。「新しい襖空間を創造するチャンスと捉えてはどうか。デジタルなるものは別の本物」(北村氏)や「レプリカとオリジナルを味わえる絶好の機会と捉えては」(村上氏)と革新的に考えることも「レプリカを見ることで擬似的になるのは残念だが、諸室に入り間近に襖絵を見つめられるように望む」(山梨氏)や「作品は本来の場から切り離されることによって失うものは大きい。次善の策だがレプリカによる部屋の擬似体験を提案する」(並木氏)といったオリジナルにウエイトを置く捉え方も、また「本物・複製の区別に意味を失いかける段階まできてしまった。これは経験の希薄化として現実を確かめることに意義を失うという事態で深刻である」(中川氏)や「目に見えるものと気配が大事、レプリカはモノというより装置性が問われる」(北澤氏)と、鑑賞者の体験・認識の価値観の問題まで、様々に思案した意見が出た。そして、山岨氏は「大乗寺としてはオリジナルも精密なレプリカも、見て、感じてもらえるよう工夫していきたい」と宗教の場であることに配慮しつつ、最良な状態での公開を考えているようであった。 7月12日(土)にはこの議論をさらに深めるフォーラム「〈美の運命〉を再考する」が、京都市の京都芸術センターで開催されることになっている。 オリジナルの劣化時間を遅らせるとともに、デジタルアーカイブによる作品画像のデータ化は、後世へ応挙の画像を継承する永続性を備えることにもなる。同時に、応挙一門のオリジナル作品の保存・展示について最適の解決策を今後も探求してゆくことは、応挙が現代の我々に与えた課題であろう。もしかしたらこのシンポジウムも応挙作品の一部なのかも知れない。障壁画と共存する建築、建築を支える亀居山、これら景観を含めた全体が応挙美術保存に値する文化財であると私は思う。しばらくは応挙の美の運命は終わりそうにない。
[かげやま こういち]
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