鋭い問題意識のもと、明確な主題を押し出して開かれる展覧会は日本では珍しい。それだけでも賞賛に値する。ただそうした意気込みに力が入り過ぎたのか、多くのテーマが一気に噴出して焦点がぼけてしまった嫌いがある。ヌードを主題とした夥しい数の写真があるからではない。ヌードの外延を広くとりすぎて、その内包が限りなく零に近くなってしまったのではないかと思われるからだ。
前日見た白川と同時期にデュッセルドルフのアカデミーで学んでいるので、どうしても比べたくなる。彼の場合、ドイツに残って制作発表を続けた。そのせいか、普遍化=抽象化が彼の創作の方向を決定づけた。しかし現在その普遍性の有効性が問われている。私には、竹岡の作品がモダンの美しい墓標に見えてしまうのだが。