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『TATE MODERN the handbook』
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Tate Modern: The Handbook Iwona Blazwick (Editor), Simon Wilson (Editor) Tate, 2000 |
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夏は国際展の季節である。今夏もまた、世界各地で「リヨン・ビエンナーレ」「シドニー・ビエンナーレ」「ヴェネツィア建築ビエンナーレ」などの大規模な国際展が開催されているが、それ以上に美術界を席巻した話題といえば、5月12日のテイト・モダン・ギャラリー開館のニュースだろう。このニュースは、単に大規模な美術館が開館したという事実のみならず、「国家」レベルでの文化的ヘゲモニーという側面からも、多くの注目を集めたのだった。
同館が建設されたのはテムズ川南岸のサザーク地区。テイト・モダンが同地区に誘致されたのは運転を休止した発電所の再活用という側面があり、同館館長のニコラス・セロータ卿も、この公共性の重視を念頭において同館を「市民のための美術館」と位置付けているのだろう。ではテイト・モダンの具体的な運営方針は? 直接足を運ぶ機会はなくとも、同館のオフィシャル・ガイドブック『TATE MODERN the handbook』を紐解くとその一端に触れることができる。なんと言っても驚くのは、同館のコレクションが、従来のクロノロジーや流派に則しておらず、大きく4つにカテゴライズされた分割にしたがって展示されていることだ。その4つのカテゴリーとは「風景・事物・環境」「静物・物体・現実生活」「歴史・記憶・社会」「裸体・行動・身体」で、「風景――」ではモネとポロックが、「裸体――」ではロダンとシンディ・シャーマンが、それぞれ併置されている、といった具合になっている。新設の現代美術館ならともかく、1897年以来の伝統を誇るテイト・ギャラリーのこと、この大胆な方針は観客の度肝を抜き、既に多くの批判を浴びているが、このガイドブックの編者でもあるイオゥナ・ブラジヴィックはフランシス・モリスとともに同書に「美術館、墓場――」という挑発的な一句で始まるテクストを寄稿し、ポスト産業社会における美術館の新しい役割を力説している。確かに、MoMAにせよポンピドゥーにせよ、その活動が現代美術の世界的趨勢に強い影響を及ぼしているのは、いずれも美術史を大胆に再構成した諸々の企画展の成功によってであった。「現代美術の後進国」と蔑まれた低迷期を脱して、デミアン・ハーストに代表されるニューウエーブの台頭でにわかに活気付くロンドンのアート・シーンが、21世紀の世界美術の勢力分布を塗り替えるのか否か、その拠点となるであろうテイト・モダンの活動には今後も関心を払っておきたい。
近代日本美術の誕生と国民国家
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北澤憲昭『境界の美術史――
「美術」形成史ノート』
ブリュッケ、2000 |
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「国家」と「美術」――英国政府の文化戦略が強く反映されているテイト・モダンは一件不似合いな両者の緊密な結びつきを物語る格好の具体例だが、では何かその結びつきを原理面から考察した書物は? 北澤憲昭の『境界の美術史――「美術」形成史ノート』はそうした読者の要望に十全に応えうる本格的な研究書である。著者の北澤は、ひたすら現在進行形の動向を追いかけるジャーナリズムとは一線を画し、近代日本における「美術」概念の探求に徹してきた美術評論家であり、今から10年以上も前の処女作『眼の神殿』は、「美術」という概念がそもそも明治初期に万国博覧会への出品のために為された造語であることを指摘してその自明性を否定し、美術ジャーナリズムのみならずアカデミズムの側からも高い注目を集め、佐藤道信らの研究にも強い影響を与えたのだった。同様の指摘は、今回の新著でも全体の基調をなしており、「美術」のみならず「日本画」や「工芸」といった概念もまた、近代以降の「日本」という「国家」の概念形成と強く結びついている事実を、様々なケース・スタディを通じて説得力豊かに論証している。この議論の射程は狭義の「美術」にとどまるものではなく、例えば建築史に関心のある読者に対しては、やはり明治近代において「造家」と「建築」という概念が形成されていったプロセスに対応していると説明すれば、その奥行きの広さが理解されるだろう。なお付言しておけば、同書において北澤がこだわる「国家」とは言うまでもなく「国民国家」、すなわち、 昨今のポストコロニアリズムやカルチュラル・スタディーズでもしばしば言及され、また国語の大学受験問題でも出題される、近代が生み出したイデオロギー装置としての「国家」概念のことである。優れた歴史研究とは、同時に極めてアクチュアルな問題提起ともなっていることをあらためて教えられる一冊だ。
もの派のマニフェスト
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李禹煥『出会いを求めて――現代美術の始原』(新版)美術出版社、2000 |
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さて、歴史の再解釈という点で言えば、近頃再版された李禹煥の『出会いを求めて――現代美術の始原』も一瞥を与えておくべきだろうか。言うまでもなく、李は60年代末のアートシーンを席巻した「もの派」の中心を担った作家であり、本書はそのマニフェストとも呼ぶべき書物である。最近はあまり話題に上ることのない「もの派」だが、戦後の日本美術史上最も重要な動向であることは間違いないのだから、その再評価という面からも本書の再版は歓迎すべきことだろう。だが、なぜいま「もの派」なのか――当然のように沸き起こるこの疑問に対しても、今まで述べてきた「国民国家」の議論が有効なように思われる。近代以降、国際マーケットにおける日本美術の受容に際しては、絶えず「ジャポニズム」の問題が付きまとっていた。美術史用語としての「ジャポニズム」は一定の歴史的限定を伴っているが、それが極めて現代的な問題でもあることは、前回本欄で取り上げた「スーパーフラット」からも明らかだ。そして「もの派」も、もちろん例外ではあり 得ない。一般には「もの派」は、当時の学生運動や ミニマリズムの世界的趨勢に対応し、またオブジェとイメージという二元論からの脱却を目指した動向と見なされているが、李をはじめとする多くの作家の作品には、どうにも「日本的」としかいいようのないウェットな情感がうかがわれるし、30年余り経た現在、その情感を「日本」という表象と密接に関連付けて、すなわち一種の「ジャポニズム」として再評価したとしても、決して誤読にはあたらないだろう。それにしても驚くのは、しきりに身体論や現象学に言及している難解な本書が、刊行後数年のうちに六刷を重ねたという事実(しかも本書に限らず、版元の田畑書店からは続々と現代美術の評論集が刊行され、多くの若い読者に読まれていたのだ)。今日の研究水準から言えば、何とも鈍重な本書の概念規定を批判することは容易いが、現代美術の言説がこれほどに高い関心を集めていた当時の状況は、素直にうらやむほかはない。
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