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Artscape Book Review
暮沢剛巳
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文化政策と文化産業

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池上惇ほか編『文化政策入門――文化の風が社会を変える』
文化政策入門
池上惇ほか編
『文化政策入門――
文化の風が社会を変える』
丸善ライブラリー、 2001

欧米に追いつき追い越せ――キャッチアップ型の経済成長至上主義が、長らく戦後日本を支配してきた価値観であることは誰しも認める事実だろう。だからこそ、新聞やTVは毎日のようにGDPや景気予測のニュースを報道し、われわれもまたその数値の上下動に一喜一憂してみせる(海外のメディアによく接する読者にはおわかりのことと思うが、これは日本特有の何とも奇異な現象なのだ)、そんなルーティンがもう何十年ものあいだ反復されてきたのだった。だが、数値上のキャッチアップがほぼ達成され、またかつてのような高度成長が二度と望めないことも疑う余地のないいま、経済成長一辺倒であったわれわれの価値観も重大な修正を迫られているのではないか――本書『文化政策入門――文化の風が社会を変える』は、そのような素朴な疑問を起点として、従来の経済政策に対して「ココロの豊かさ」をもたらすための文化政策の重要性を説いた提言集である。なるほど、日本の文化政策と言えば、経済政策の陰に隠れ、およそ従来は否定形でしか語られてこなかった。「予算が乏しい」「専門家の数が少ない」「ハコばかりつくって中身が伴わない」「官僚主義」「伝統偏重で新しい芸術への理解がない」等々、その否定的な評価は枚挙に暇がないし、ましてや不況が慢性化した昨今、文化政策のための財源はいよいよ逼迫しているのが現実だろう。しかしだからこそ、と本書の著者たちは、国家はもとより地方自治体、NPO、公共施設、企業メセナなどさまざまな立場から文化政策の重要性を強調する。多くの著者の多様な論点を要約しようとすると、どうしても概論的な言い回しになってしまうことは免れないのだが、前述のユニットが各々の立場から独自の文化を発信することこそ、経済政策によっては不可能な「ココロの豊かさ」をもたらす鍵であると説くのである。
言うまでもなく、こうした文化政策の重要性に立った学問としては、ミュゼオロジーやアート・マネージメントなどが挙げられるわけだが、歴史が浅く専門家の数も少ないこれらの研究領域は当然、ディシプリンとしてはまだまだ低い地位 に甘んじている。その意味でも、本書の提言の母胎となった京都橘女子大学の文化政策学部(今春開校のこの学部は、おそらく日本でも先駆的なものであろう)が、どのような研究と教育を展開していくのかにも注目したい。

有馬哲夫『ディズニー千年王国の始まり――メディア制覇の野望』
ディズニー千年王国の始まり
有馬哲夫
『ディズニー千年王国の始まり――メディア制覇の野望』NTT出版、2001
もっとも、何とも折り合いの悪い経済政策と文化政策のインターフェイスを探ろうとする試みが、以前にもなかったわけではなく、M・ホルクハイマーとT・W・アドルノが『啓蒙の弁証法』で提起した「文化産業」などはその最も優れた先例にほかならない。二人がこの概念を構想したのは、直接はレコード産業の発達に伴うジャズ音楽の普及に刺激されてのことだったが、言うまでもなく、「芸術」を前近代的なメチエから開放して、「エンターテインメント」「スペクタクル」「産業」などさまざまな側面 へと展開することを意図したこの概念は、ほとんど無限の応用が可能である。その点で、有馬哲夫の新著『ディズニー千年王国のはじまり――メディア制覇の野望』は優れた応用例と言えるだろう。
もちろん、ウォルト・ディズニーといえば「アメリカン・ドリーム」を体現した立志伝中の人物なだけに、その人物像に関してはすでにさまざまな評伝や研究が積み重ねられている。ただ、本書が出色なのは、そのほとんどが始祖・ウォルトの死を以って完結している従来の評伝や研究とは逆に、ウォルト以後のディズニーの興亡を精密に描いた点にある。カリスマ的な創業者を失った後の企業は低迷を余儀なくされるのが通 例で、その点ではもちろんディズニーも例外ではなかったのだが、ウォルト亡き後しばらくのあいだ迷走を続けたディズニーが、その後いかにして復活を遂げ、アメリカでも屈指の巨大メディア産業として君臨するに至ったのか――多くの資料を駆使しつつ、その経緯を正確に辿る本書の記述は、大いに説得力に富んでいる。 多くの読者は、本書のタイトルからJ・アーチャーの『メディア買収の野望』を連想するかもしれないし、またその読後感は、確かにアーチャーの「ノベログラフィ」との親近性を孕んでもいる。だが、本書がメディア論を専門とする研究者によって書かれた一種の「文化産業」論であることを忘れてはならないだろう。映像ソフトとテーマパークの並行関係を明らかにする「シナジー」の分析には、とりわけそうした側面 が強く投影されている。

Guy Julier, The Culture of Design
The Culture of Design
Guy Julier,
The Culture of Design
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Sage, 2000
さて、「文化産業」の最も適した応用ジャンルのひとつがデザインであるが、残念なことに、そのような観点から書かれた本格的なデザイン論を、日本語の新刊ラインナップに見出すことは困難なので、その遺漏を補う文献としてGuy Julierの『The Culture of Design』を挙げておきたい。タイトルからしてわかるとおり、本書はデザイン全般 をケース・スタディとした文化論であり、デザイン研究はもとより、カルチュラル・スタディーズや社会学の研究書としても読める多角的な構成の書物である。もちろん、消費文化の解明という関心からデザインにスポットを当てるカルチュラル・スタディーズの分析作業は、これまでにも多くなされてきたことであるが、本書の特徴は、その分析の対象を最新のブランドや高級デザインに限定することなく、ニコラス・ペブスナーやヴィクター・パパネックらの古典的なデザイン論、あるいはフォーディズムのような両大戦間の資本様態にまで広げてみせたことにある。一方でこうした古典的なデザイン研究に接し、他方ではM・ド・セルトーやP・ブルデューらの消費社会論に接することによって、デザインと消費文化の接点を探求する手がかりを得られる緩やかなアプローチは、カルチュラル・スタディーズならではのものと言えるだろう。今後ますます重要なものとなっていくだろう「文化産業」というパースペクティヴをより確固たるものとするためにも、本書のような書物の翻訳、もしくは同一の視点に基づく書物の刊行が待望される所以である。


関連文献

野田邦弘『イベント創造の時代――自治体と市民によるアートマネージメント』(丸 善ライブラリー、2000)
ホルクハイマー+アドルノ『啓蒙の弁証法』(徳永恂訳、岩波書店、1990)
ジェフリー・アーチャー『メディア買収の野望 上・下』(永井淳訳、新潮文庫、 1996)
有馬哲夫『デジタルメディアは何をもたらすのか――パラダイムシフトによるコペルニクス的転回』(国文社、1999)
ステュアート・ホール+ポール・ドゥ・ゲイ編『カルチュラル・アイデンティティの諸問題――誰がアイデンティティを必要とするのか?』、柿沼敏江ほか訳、大村書店、2001)
Mike Featherstone, Consumer Culture and Postmodernism, Sage, 1991
ヴィクター・パパネック『生きのびるためのデザイン』(阿部公正訳、晶文社、1974)

[くれさわたけみ 文化批評]

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