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Artscape Book Review
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美術の内へ/外へ

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中ザワヒデキ『西洋画人列伝』
中ザワヒデキ
『西洋画人列伝』
NTT出版、2001


川俣正『アートレス』
川俣正
『アートレス
−マイノリティとしての現代美術』
フィルムアート社、2001

 ゴールデンウィークに前後して、美術家による著作が相次いで送られてきた。中ザワヒデキ『西洋画人列伝』、川俣正『アートレス』、森村泰昌『「まあ、ええがな」のこころ』の3冊だ。これらはヴィジュアル中心の作品集ではなく、いずれも文章が主体の著作である。
 美術家が本を著すのは珍しいことではない。真っ先に思い浮かぶのは岡本太郎だ。彼は生前から著作を主要な活動のひとつにしていたが、没後数年たついまでも著作集が刊行されている。また、池田満寿夫と赤瀬川原平(尾辻克彦)は芥川賞作家としても知られているし、草間彌生、菅木志雄、大竹伸朗らも文章家として名高い。だが、彼らの著作の多くは小説やエッセイ、文化論であり、本来の美術家としての活動から一歩距離を置いたものだ。
 森村の『「まあ、ええがな」のこころ』もそうだ。彼はすでに何冊か本を出しており、本書も軽妙洒脱なエッセイ集という趣である。美術家らしいちょっと変わった視点でものごとを切る語り口はエッセイスト顔負けだが、しかし文章が達者であればあるほど「常識的な芸術家」という側面が浮き彫りにされ、彼の毒々しいセルフポートレート作品まで中和されてしまうように感じるのだ。いわば美術家の「文人化現象」であり、それによって本来の作品も「文人画」として見られてしまいかねない。本書ではないが、彼は最近、自分の活動について「ざっくばらんに言ってしまえば、そっくりショーもどきの手法で芸術をやっているのだ」(週刊文春2001年5月31日号)とまで述べている。いいのか、こんなこといって。まあ、ええがな。
 それに対して中ザワと川俣の本は、みずからの美術家としての立場を鮮明に打ち出すために書かれた直球勝負の一書であり、一種のマニフェストといえるものだ。しかも彼らにとっては初の「活字」による著作であり、どちらも過去に発表した文章を下敷きにしながら数年がかりで原型をとどめないほど書き改めたというから、意気込みが違う。そして、興味深いのは、彼らの視線がまったく正反対を向いていることである。

中ザワヒデキ『西洋画人列伝』

 中ザワヒデキの『西洋画人列伝』は、(西洋)美術史をかたちづくってきたジョットからウォーホルまで60人の画家を取り上げ、彼らの美術論を語った労作である。この60人の顔ぶれはきわめて教科書的なもので、著者の趣味を反映した人選ではない。ちなみに、昨年小学館から刊行された画家別の画集『週刊美術館』(全50冊86人)と比べてみると、実に52人までが重なっていた。してみると、このあたりが西洋美術を代表する(少なくとも現代の日本ではそう見られている)巨匠画家ということになろうか(もっとも、両企画とも編集者の藤原えりみ氏が人選に関わっているのだから、重なるのは当然かもしれないが)。
 さて、「画人列伝」というとヴァザーリの『芸術家列伝』を思い浮かべるが、中ザワは60人の画家についての伝記を著すのでもなければ、彼らの作品について客観的に解説するのでもなく、画家たちひとりひとりについて一人称で持論を語らせるという自伝スタイルを採っている。この手法が、美術史家の当たりさわりのない事実の羅列よりよっぽどとっつきやすく、読みやすいことはたしかだ。だが、たとえば「ルネサンス」という言葉さえなかった時代のジョットが、「私の芸術を解するということは、取りも直さず偉大なルネッサンスへの足掛かり、近世さらには近代への道のりを理解していただくということにほかならないでしょう」(p.6)と語るなど、現代の視点で過去の自分を評価するというねじれ現象を引き起こしてしまうのは避けられない。にもかかわらず、あえて一人称の語り口を採用したのは、ここで語られていることがそれぞれの画家の独白であると同時に、中ザワ自身の美術観の表明でもあるからだ。「あとがき」にもあるように、本書で繰り返し述べられているのは「色彩論と形態論の二項対立、同語反復に至る図式的な美術史観、時おり顔を出す受注芸術と純粋芸術の逡巡など」だが、これらはすべて美術家としての中ザワヒデキのテーマであり、制作のモチベーションにほかならない(このことは最近のレントゲンクンストラウムでの個展を見ればうなずけよう)。いってみれば、森村が美術史の名作に入り込んでセルフポートレートをつくったように、中ザワは画家たちになりすまして(あるいは画家たちが中ザワに降臨して?)一人称で持論を展開しているのであり、その意味で本書は中ザワの自伝=セルフポートレートといってもいいのである。それにしても60人もの巨匠の口を借りてみずからを語る(騙る?)とは、なんと欲ばりで贅沢な!
 本書はこうした画家の列伝に加えて、7つに分けられた各章立てにそれぞれの時代の概説が述べられている。これがとても簡潔かつ要を得て役に立つ。たとえば、19世紀の美術は「色彩重視」と「形態重視」の両極を揺れ動きながら展開したという第4章の図式や、20世紀の美術は「表現主義(生)−反芸術(死)−抽象と超現実(死後)」のサイクルを3回繰り返したという第7章の指摘は、いささか強引ではあるけれど(それゆえに)説得力があり、思わずうなずいてしまった。さっそくどこかで使わせてもらおう。
 このほかにも、盛期ルネサンスのあとを襲うマニエリスムを、「ちょうど短歌の歴史において、素朴さの『万葉集』、優美の『古今和歌集』のあとに、余剰美の『新古今和歌集』が成立する事情に似ている」(p.5)とか、ウッチェロのスケッチについて、「壷を描いたものなどは、あたかもコンピュータ・グラフィックスの『ポリゴン図形』(多角形の面の張り合わせで構成される立体図形)のようです」(p.12-13)といった、時空やジャンルを超えた大胆な記述が散りばめられていて、いかにも該博な中ザワらしい。ここらへんが従来の美術書では絶対にお目にかかれない、本書ならではの醍醐味といえよう。

 ところで、本書の骨格となった「ヘタウマ西洋美術・画人列伝」が『ポパイ』に連載されたのは1992-93年のこと。それを本にまとめるために1997年から書き直し始めたという。つまり、連載開始から本が出るまで足かけ10年を費やしたことになる。いくら美術史が自分の関心事であるとはいえ、「美術評論家でも美術史家でもない」「美術家である」中ザワを、これほどの時間と労力を傾けて執筆に向かわせた理由はなんだろう。
 中ザワはもともと美術内部から出発した美術家ではない。大学は美大ではなく総合大学の医学部だし、26歳で美術の道に進んだのも「バカCG」をウリにしたイラストレーション、つまり「商業美術」の世界だった。その彼が「純粋美術」の世界に転じるのが1997年、本書のリライトを始めた年である。つまり、彼は「純粋美術家」として再出発するにあたって、いちど美術の内部にどっぷりと入り込み、美術史をみずからの問題としてひととおり「体験」してみる必要があったのではないか。
 ちなみに、中ザワには1989年に出した『近代美術史テキスト』(トムズボックス)という伝説的な「手書き印刷?」の著書がある。これは、印象派以降1980年代まで、およそ1世紀の近代美術の流れをたどったものだが、全15章のうち最後の2章は「ヘタうま」や「イラスト」に割かれている。これを出したのが、ちょうど彼が医学を捨て「商業美術」に専念しようとしていた時期であることを考えれば、彼が自分の進むべき道を近代美術史の延長線上に位置づけようとしていたことは明白である。同様に『西洋画人列伝』も、「純粋美術家」としてのみずからの立場を確立するために、どうしても必要な著書だったに違いない(そのもとになった雑誌の連載が「商業美術」時代に書かれていたというのは驚きだが)。

川俣正『アートレス−マイノリティとしての現代美術』

 さて、中ザワが美術の外側から核心部へと侵入しきた美術家だとすれば、川俣正は逆に、美術の中心から外側へと侵出し続ける美術家だといえる。
 川俣は東京芸大の油画科を出て博士課程まで進み、ACCの奨学金を得てニューヨークで学び、ヴェネツィア・ビエンナーレをはじめ、ドクメンタ、サンパウロ、シドニーといった国際展を総なめにし、現在は母校の教授に就きながら相変わらず世界中を飛びまわっている。その経歴を見る限り、彼ほど美術の中心に位置しエリートコースを歩んできた美術家はいないはずだ。だが本書を一読すれば、彼がそんな「アート」に満ちた世界に憎悪に近い念すら抱いていたことがわかる。そして皮肉なことに、彼が現在のポジションを維持していられるのは、そのような「アートフル」な世界から逃れようとしてきたその実践ゆえになのである。
 本書のタイトルである「アートレス」とは、まさに「アートフル」の対抗概念として提示されている。川俣によれば、「アートフル」とは「無自覚な文化教養主義の飾りとしてしかアートが存在しない」世界のことであり、「アートレスの提言」は「あくまでも既存の美術言語や流行、スタイル、例えば『綺麗なもの』、『美しいもの』、『美的価値』や社会的な規範からなる常識的言語に裏打ちされた『美』なるもの全般に対する、懐疑を意味している。それ以上に『アート』そのものに対しての存在意味を問うことでもある」(p.24)。
 だから「アートレス」とは、アートそのものを否定するのでも「アートをなくそう」と主張するのでもなく、あらかじめ「アートである」ことを保証された状態を突き崩し、「アートとはなにか」を問うことなのだ。そのために彼は美術の外の「アートレス」な世界へ侵出したのであり、その過程で起こるさまざまな出来事や思考の変遷をつづったのが本書である。
 ちなみに、これも「最初の文章がわからなくなるくらい書き換えた」(あとがき)とはいえ、既発表の文章を基礎にしているせいか、必ずしも全体的に統一がとれているわけではないし、繰り返しも少なくない。だが、その粘着質なしつこさこそ彼の持ち味であって、サラッと書き流されたりした日には、彼の実践のスリリングな迫真性も薄まろうというものだ。

 前半の第1-2章では、1990年前後に相次いで実現した「トロント・プロジェクト」と「プロジェクト・オン・ルーズヴェルト・アイランド」から、現在進行中の「コールマイン・プロジェクト」までが述べられている。彼が画廊や美術館から飛び出してサイト・スペシフィックなインスタレーションを始めたのは、1982年の「アパートメント・プロジェクト」からだから、ほぼ20年におよぶ彼の活動の後半に当たる。ここでは、川俣が作品という「ものづくり」から、しだいに場そのものにこだわるようになり、制作プロセスを見せたりコミュニケーションやコラボレーションを重視する「ことづくり」へとシフトしていく経緯が詳細に追跡できる。
 後半の第3章では、それ以前の活動やゲリラ的プロジェクトについて、第4章では、美術館の問題や地域おこしと現代美術の関係について、珍しくストレートに発言している。彼が「アートレス」な世界に飛び出したからといって、「アート」について無関心でいるわけでないことは、とくに第4章を読めば理解できよう。
 ところで、彼自身は「あとがき」で「『場(サイト)』について、しつこいほど本書にかいたように思う」と記しているが、第三者が読んで意外なほど目につくのは「個人的に興味がある」「興味がない」というセリフである。彼にとって「興味がある」のは、さまざまな人たちと関係性をつくり出すことであり、彼らとどれだけシンパシーを感じられるかであり、そのために「限りなく普通のこと」(p.231)をすることだ。これは「普通のことをする」のではなく、むしろまったく逆に、「普通のように見えながら普通でないことをする」という意味だ。
 たとえば、彼のインスタレーションは工事現場みたいな様相を呈するが、それが工事現場に似て非なるものであるがゆえにさまざまな事態を巻き起こす。彼にとってそれが「アートであるか否か」は問題ではなく、それを個人の表現として行っていくこと、そして、その過程で予期せぬ出来事に出くわすことに「興味がある」のだ。
 このように川俣は、サイト・スペシフィックなインスタレーションの現場から、そしてあくまで個人的な興味という針の穴から一点突破し、世界に連なろうとする。それが彼のいう「グローカル(グローバル=ローカル)な視点」であり、本書を通底する思想である。その意味で、美術史全体に網をかけ、そのなかからみずからの理論を抽出していく中ザワとは見事な好対照を見せるのである。

[むらたまこと 美術ジャーナリスト]

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