. |
『YOUR PRIVATE SKY
――バックミンスター・フラー アート・デザイン・サイエンス』
|
J・クラウセ+C・リヒテンシュタイン
『YOUR PRIVATE SKY
――R.バックミンスター・フラー アート・デザイン・サイエンス』神奈川県立近代美術館 2001
|
まだ入梅前の6月のある日、久しぶりに鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れた。同所の境内に所在する神奈川県立近代美術館で、始まったばかりのバックミンスター・フラー展を鑑賞するためである。詳しくは諸々の展評に譲りたいが、この展覧会、フラーの残した大量の図面や模型によって、その独自な合理主義を体験できるように仕立てられ、彼の全貌を知るためのまたとない好機を提供してくれている。今後も愛知県美術館、ワタリウム美術館を巡回予定であるそうだから、特に関東・東海圏在住の方には是非とも一見を薦めておきたい。
そして、ここからが本題なのだが、同展の会場にて販売されているヨアヒム・クラウセ+クロード・リヒテンシュタイン編の『YOUR PRIVATE SKY』もまた、展覧会そのものと同様、フラーの全貌を知る上で格好の導き手となっている。本書は厳密には展覧会カタログとして作られてはいないが、その内容は展覧会の構成と密接に対応しており、フラーが90年近くに及ぶ生涯の中で試みた様々な活動に、可能な限り多面的なスポットを当てている。その指針は何より、「船乗り、機会技師、万能家……途方もない人物像だが、フラーを正統に評価しようとするならば、このような羅列なしですますことはできない」という序文の一節に明らかであろう。数年前に翻訳された『クリティカル・パス』が本人の手による大部な自伝であったとすれば、こちらの『YOUR PRIVATE SKY』は他者の眼を通じた、より実証的な伝記であると言えるかもしれない。そう言っても差し支えないほどに、本書に盛り込まれた伝記的エピソードは豊かなものである。
もっとも、いくらその活動が多岐にわたるとはいえ、フラーのデザイン原理にはある一貫した思考が通底していたことを忘れてはなるまい。それを一言へと還元すれば「技術圏(テクノスフェア)」、すなわち、われわれ人類の技術はあくまで宇宙が作り出した原理に準拠すべきものであり、それに即した「適正技術」こそ人類の発展に貢献し得るという考え方である。その意味では、「宇宙船地球号」「テンセグリティ」「ダイマクション」等のデザイン原理が未だ刺激的であり続けている事実は、フラーの思考の正しさを証明するものだと考えることができるだろう。本書は、そうした適切なフラー理解に対しても大いに資する1冊となっている。
『Mutations』
|
Mutations
Arc en reve de center d'architecture, 2000
|
ところで、長期間に渡って20世紀のテクノロジーと伴走したフラーの「技術圏」が極めてユートピア的な発想であったとすれば、21世紀のデザイン原理は実はディストピア的な発想を起点としているのではないか? 思わずそんな不遜なことを考えてしまったのは、「Mutations」のカタログを繙いたときのことであった(ボルドーで開催されていた展覧会は見る機会を逸したまま終了してしまったが、今でもWebを通じてその一端に接することは可能である)。何しろ、黄色のビニール装というカバー・デザインからして悪趣味なこのカタログは、内容のほうもそれに劣らず「非常識」かつヴァナキュラーであり、800ページという大部な書物が本来持っているはずの重厚感からは程遠い代物だったのである。
なかでも挑発的なのが、途中4箇所に渡って挿入されている、ハーヴァード大学での研究をベースとしたレム・コールハースのプレゼンテーションで、オペレーション・システムとしてのローマの都市、ショッピングに支配されようとしている世界の都市空間、5つの都市がクラスター状の景観を形成する珠江デルタ地区(PDA)、膨張しつづけるラゴスといった、揃いも揃ってヴィヴィッドなそのケース・スタディは、ユートピア的なアーバニズムの裏をかくような形で展開されており、われわれの陳腐な先入観をひっくり返してしまうに十分なだけの力と刺激に満ちている。
ちなみに、コールハースの他に同展の組織に参画しているのはステファノ・ボエリ、サンフォード・クインター、ハンス・ウルリヒ・オブリヒトの三人で、カタログの寄稿者としてもサスキア・サッセンやフリードリヒ・キットラーなど、90年代に世界各地で開催されたANY会議を髣髴させる顔触れが揃っている。とすれば、「グローバリゼーション」や「世界資本主義」を基調としたその主張が、旧来の伝統主義やユートピア思想と鋭く対立するものであることも、そして、ここで言うディストピアが、ある意味ではわれわれが身を委ねるほかはない¥¢$(コールハースは「世界資本主義」をこのように喩えている)のめまぐるしい奔流の別名であることも、火を見るよりも明らかであると言えるだろう。
『メディアの予言者』
ところで、20世紀のユートピア思想を体現した人物としてフラーの名を参照したからには、もう一人、マーシャル・マクルーハンへの一瞥も欠くことはできまい。実際、「自分が火星人であったら今の地球のメディアをどう見るだろう」というフラーの問いは、極めてマクルーハン的なものでもあった。「宇宙船地球号」と「グローバル・ヴィレッジ」の親近性を引き合いに出すまでもなく、60年代的な時勢の下で「適正技術」によるネットワーク構築の重要性を構想していた点で、この両者は紛れもなく一つの地平を共有していたのだった。
|
服部桂
『メディアの予言者――マクルーハン再発見』廣済堂出版 2001 |
その意味で、服部桂の『メディアの予言者』は、現時点でマクルーハンを再読、再評価する意義を明らかにした好著と言えよう。本書のことは、とりあえずはマクルーハンの全体像をコンパクトに紹介した入門書と呼んでも差し支えないのだが、持て囃されたり忘れ去られたり様々な変遷を辿った、60年代以降の日本におけるマクルーハン受容史を事細かに跡付け、『グーテンベルクの銀河系』や『メディアの理解』の陰に隠れがちな他の著作にも丁寧な解題を施し、そして概論的なコンピュータ思想史におけるマクルーハンの位置付けを解明するなど、今まであまり顧られることのなかった分野の記述に力を注いでいるあたりに、マクルーハン解釈の新たな地平を開こうとする著者の意気込みを感じ取ることは容易い。地味ではあるが、しかしこれらの堅実な作業を経由することによって、われわれ読者は「インターネットの先駆者」云々といった浅薄なキャッチフレーズに踊らされず、カトリシズムや身体性を基盤とした、マクルーハン独自のメディア理解へと近づく手がかりを得ることができるのだ。
本書に目を通すこと、ある意味でそれはマクルーハンとフラーの親近性を再確認する手続きにも擬せられる体験だが、言うまでもなく、それを21世紀の現在へといかに召還するのかは、読者であるわれわれ一人一人の課題である。
参考文献
R.バックミンスター・フラー『クリティカル・パス――人類の生存戦略と未来への選択』(梶川泰司訳、白揚社、1998)
R.バックミンスター・フラー『宇宙船地球号 操縦マニュアル』(芹沢高志訳、ちくま学芸文庫、2000)
マーティン・ポーリー『バックミンスター・フラー』(渡辺武信+相田武文訳、鹿島出版会、1994)
レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳、ちくま学芸文庫、2000)
『Anyone――建築と思想をめぐる討議の場』『Anywhere――場所の諸問題』『Anyway――方法の諸問題』『Anyplace――空間の諸問題』『Anywise――知の諸問題』『Anybody――建築的身体の諸問題』『Anyhow――実践の諸問題『Anytime――時間の諸問題』(いずれも磯崎新+浅田彰監、NTT出版)
マーシャル・マクルーハン『メディアはマッサージである』(南博訳、河出書房新社、1996)
ポール・レビンソン『デジタル・マクルーハン――情報の千年紀』(服部桂訳、NTT出版、2000)
|
|