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Artscape Book Review
暮沢剛巳
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いかにして情報をデザインするか

. 渡辺保史『情報デザイン入門』
『情報デザイン入門』
渡辺保史
『情報デザイン入門』
平凡社、2001

この数年、様々なメディアで情報デザインという言葉が取りざたされるようになったが、これは考えても見れば不思議なことでないだろうか。ファッション・デザイン、インダストリアル・デザインなどを例に取ればすぐわかるように、デザインとはモノや商品のスタイリングを意味する言葉である。にもかかわらず、本来「かたち」を持たないはずの情報をデザインするとは一体どういうことなのか?……ごく常識的に判断するならば、この素朴な疑問に対する回答は一つしか考えられない。それはすなわち、多分に比喩的な言い方ではあるが、情報デザインとはデジタル環境における情報の加工法である、いわゆるWebデザインやCADと同義の概念なのである、という類のものである。
しかし、渡辺保史の『情報デザイン入門』を一読した読者は、この「常識」によっては情報デザインの一面しか捉えることができないのだと教えられた気分になるだろう。渡辺は情報デザイン=Webデザインという見方を退け、この目新しい概念の射程をわれわれの生活圏全般にまで押し広げようとする。なるほど、何も最新のコンピュータ・テクノロジーに限らずとも、新聞、書物、家電製品などわれわれを取り巻くすべての人工物には何らかの情報が含まれているわけで、その情報の使い勝手をよくすることにはデザインとしての側面があるという説明には素直に納得させられる。例えるならば、そのデザイン・コンセプトは書棚の雑多な中身をきっちりと分類・整理するようなものと言えよう(その点、散らかり放題な拙宅の書棚はおよそ情報デザインの例としてふさわしくないのだが)。
なかでも、とりわけ興味深い実例が地図であろう。道路交通地図にせよ地下鉄の路線図にせよ、厳密な地形図から程遠い「かたち」をしているのはその中に含まれている情報の性格ゆえなのだし、またかなり特殊な例かもしれないが、本書の中で取り上げられている「時間軸変形地図」や「Web Hopper」に至っては、サイバースペースへの示唆に富むばかりか、情報空間のデザインに無限の方向性が潜んでいることを教えてもくれるのだ。そして地図の話題以外にも、ギブソンのアフォーダンス概念を情報デザインの観点から手際よく紹介するなど(本書のアフォーダンスの記述は、私の知る限り最も平易なものの一つだ)、本書には情報デザインへとアクセスするための多くのヒントが散りばめられている。まだまだ未成熟な概念であることは否めないが、今後この領域への注目がさらに高まることは間違いないだけに、平易な本書は特に今までコンピュータやデザインになじみの薄かった読者にお薦めの一冊である。
 
佐倉統『遺伝子vsミーム』
『遺伝子vsミーム』
佐倉統
『遺伝子vsミーム』
廣済堂出版
、2001

既存の情報の加工法としての情報デザインへの関心を足がかりに、今度は当の加工される対象である情報そのものの考察へと関心を拡げてみよう。やはり近年目覚しい発展を遂げている生命科学は、コンピュータ・サイエンスとの遭遇によって、遺伝子をも一種の情報システムとして取り扱うことを可能とした。生命から生命へ、先祖から子孫への伝達――遺伝子をプログラミング言語に見立てた概念の代表格は何と言っても「ゲノム」と「ミーム」だが、この両者を比較した場合、後者の知名度が大きく劣っていることは誰の目にも明らかであろう。もちろん、知名度が相対的に低いとはいえ、ミームの問題提起がゲノムにも負けず劣らず重要なものであることは、佐倉統の『遺伝子vsミーム』のような良質な入門書を一読すればわかることである。
そもそもミームとは、リチャード・ドーキンスが遺伝子のアナロジーから導いた概念である。遺伝子が上に述べたような伝達構造をもつ生命情報の単位であるならば、それと同様な文化情報の単位を構想することも当然可能なわけで、またそのような経緯で考案されたミームが、人間の文化現象を記述するのに極めて有効な概念であることもまた確実には違いない……。そのような期待感は、本書の通読後さらに増幅されることになる。もっとも、ミームによる文化現象の記述が最も有効であるのが、現代社会のネガティヴな側面を解釈するときであるのはいささか皮肉な事態と言えるかもしれない。本書の中でも、大都会の生活で蓄積されるストレスや荒廃する教育や医療などの例が取り上げられては、「ミーム」対立によって整合性のある説明が逐一与えられていく。(確かに、人間の髪や皮膚の色の差異など、DNAのレベルで見ればほとんど取るに足りないものなのだろうが)旧ユーゴスラヴィアの民族紛争の例はやや極端にも感じられるが、その極端さを踏まえてもなお、これら現代社会の諸問題がかつてとは大幅に異なった環境を生み出したわれわれのミームに起因している以上、根本的な解決のためには「もう一つの」ミームを作り出さねばならないという著者の主張は、素直に耳を傾けるべき価値があるだろう。
 ただ、本書の中で検証されている芸術系の事例が、アメリカの作曲家チャールズ・アイヴズ一つだけに限られているのはいかにも惜しい。芸術を情報の記憶/伝達という側面から説き明かした先例としてはルロワ=グーランの優れた仕事があるわけだが、ミームがそれに勝るとも劣らぬ可能性を秘めた概念であることは、他でもない本書によって既に立証されている。著者の次回作でもいいし、あるいはミームに精通したほかの誰であっても構わない、芸術の地平におけるこの文化伝達子の役割を解明した仕事の出現が待ち望まれる。
 
前田ジョン『MAEDA@MEDIA』
『MAEDA@MEDIA』
前田ジョン
『MAEDA@MEDIA』
UNIVERSE, 2001


なお、今回のテーマでもある情報デザインをアートの問題として考える際に好適なのが、日米を股にかけて活躍する日系米人のメディアアーティスト・前田ジョンの作品である。その作品がいかなるものなのかはICCで開催中の個展で直接確かめるのが手っ取り早いが、会場に足を運べない場合には作品集が重宝するだろう。ここで紹介したいのは、何冊かある作品集の中でも最も浩瀚で、しかも先日廉価なペーパーバックが刊行されたばかりの『MAEDA@MEDIA』の英語版である。
 シアトル在住の豆腐屋の子として生まれた前田は今年で35歳、あのニコラス・ネグロポンテが所長を務めるMITメディア・ラボ副所長の要職にありながら、精力的に制作活動を続けている作家である。500ページにも及ぶこの大著には、彼が考案した数々のプログラミング言語がぎっしりと詰め込まれているが、決してテクノロジー偏重に陥ることなく、創造性と職人技とが見事に噛み合ったその高精度なプログラミングには、ただただ目を見張るほかはない。展覧会場で見かけたキャプションによると、前田は米「エスクァイア」誌によって「21世紀に最も注目すべき21人」の一人に選出されたという。その事実が必ずしもこの若いアーティストの評価を決定付けるわけではあるまいが、その仕事がはじめて日本で本格的に紹介されようという矢先に、情報デザインという概念が浸透し始めた偶然の一致は、恐らく両者にとって決して不幸なことではないはずである。

★――ちなみに、本書の中では情報デザインの好例としてクリスティアン・メラーや江渡浩一郎の作品が取り上げられているが、彼らの作品をはじめ多くのメディアアートの本格的な紹介に取り組んできたCANONアートラボは、この夏をもってその活動を事実上停止することになった。諸々の事情が折り重なった上で決定なのだろうが、日本におけるメディアアートの牽引車的な役割を思えば、事実上の活動停止はなんとも残念なことである。

参考文献
渡辺保史『はじめてナットク! マルチメディア』講談社ブルーバックス、1995
佐倉統『現代思想としての環境問題』中公新書、1992
港千尋『洞窟へ――心とイメージのアルケオロジー』せりか書房、2001
サイモン・シン『暗号解読――ロゼッタストーンから量子暗号まで』青木薫訳、新潮社、2001
辻井重男『暗号――ポストモダンの情報セキュリティ』講談社、1996
前田ジョン『Design By Numbers――デジタル・メディアのデザイン技法』大野一生訳、ソフトバンクパブリッシング、2001
前田ジョン『MAEDA@MEDIA』、大野一生訳、デジタローグ、2000
『前田ジョン・デジタルの先へ』展覧会カタログ、NTT出版、2001
『Partner of Forerunners――Canon's Cultural Support Activities』キヤノン、2000

[くれさわたけみ 文化批評]

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