Jennifer Gough-Cooper &
Jacques Gaumont Marcel Duchamp:
A Life in Pictures
Atlas Press(@las), 1999
とはいえ、学問や批評の領域でいかに重要な議論ではあろうとも、唯名論云々といった話題は、美術史に通暁した上でさらに言語哲学などに精通していることも要求される、いわば上級者向けの切り口である。デュシャンという名前に必ずしもなじんでいない読者のためには、もっと平易でとっつきやすい、いわば初心者向けの切り口で書かれた書物の方が好適であろう。そこで紹介したいのが、『Marcel Duchamp: A Life in Picture』である。洋書である以上万人向けとは言えまいが、内容としては高校生にも読める平易な英語で書かれたバイオグラフィーであるし、またわずか30ページ程度(しかもその半分は図版である)にまとめられているので、少なくとも私の知る限り、日本語で書かれたどの類書よりもコンパクトな入門書なのは確かである。
ちなみに、本書の冒頭でも若干の言及があるが、母方の祖母は銅版画家、また二人の兄ジャック・ヴィヨンとレーモン・デュシャン・ヴィヨンは画家と彫刻家といった具合に、デュシャンの生まれ育った家庭環境は極めて「芸術的な」ものであったようだ。しばしばその反芸術志向が強調されるレディメイドが、実は「芸術的な」環境抜きに成立しえなかった事実は、あらためて芸術の唯名論的な本質を浮き立たせているようにも感じられる。なお本書では、紙数の制約もあるのだろうが、1912年のミュンヘンに関する記述はほとんど皆無。デュシャンの何を重要とみなすのかは、人によって、立場によって大いに変わってしまうものなのである。