“20世紀最後の年”というのが強調された2000年は、いろいろと20世紀を振り返る機会が多かった。つい先日も『美術手帖』が「20世紀の美術100」という特集号を出したばかりだし、NHKのBSも新年の特番として「20世紀美術の100選」なるアンケートを要求してきた。それぞれに解答または協力する立場にあったので、気軽に引き受けてしまったのだが、予想外に大仕事になってしまって悔やんだものだ…(ボランティアだったし)。それではっきりしたのが結局、だれでも「20世紀美術ってどうだったの?」ということを断言して欲しいのだろう。だが、そんな簡単にひとことで言えないのが、アートヒストリーの特性かもしれない。時間が経てば「ルネサンス」や「ロココ」といった美術史に相応しい20世紀を象徴する呼称が生まれてくるだろうが、いまはディケードという10年ごとに括って流れをつかむ方法がほとんである。とはいっても、この分析で見えてくることも結構豊富なので、まんざらでもないサーヴェイの方法である。
ここでまったく個人的な視点で勝手に20世紀総括をしてしまおうというのは、なんだか二番煎じと思われそうだが、大手メディアが捉えるスクウェアな見方に少しでも新鮮な味わいが提供できれば幸いである。
20世紀の夜明けは、印象派やフォーヴィスムといった19世紀の遺産のなかでぬくぬくしていた状況だった。しかし、マルセル・デュシャンの出現によって突然目覚めることになった。「泉」(1917年)というオブジェがわれわれの目の前に現れて20世紀美術はずいぶん愉快なものになったというるだろう。デュシャンやブルトン、マン・レイといった賑やかな仲間たちが、ぬるま湯だったアートサロンを引っ掻き回したといえる。それにトリスタン・ツァラは、20世紀最初のインディペンデント・キュレ−タ−といえる存在ではないかと思っている。彼の吸引力によって集まったユニークなアーティストたちが、怪しいことを思いついて実行してしまったという感じだ。「キャバレー・ヴォルテール」で夜毎に繰り返されたパフォーマンスやイヴェントは、今日のオルタナティヴ・スペースの原点といえるかもしれない。チューリッヒ・ダダに始まってドイツやニューヨークに飛び火したダダの影響力もすごかったが、これを出発点として20世紀美術は、ローカルからインターナショナルにフィールドを拡大化した時代といえるだろう。
ヨーロッパ的クロノロジーとして確立されてきた西洋美術史の流れが2つの世界大戦によって分断されたが、反対に世界中のアーティストが祖国を捨て国際社会で生きるようになるという状況も生み出した。多くの才能あるアーティストが、ヨーロッパからアメリカに移住したことによってアメリカは今世紀最大のアートワールドを構築したし、またアメリカまで渡れない、渡りたくないロシアや東欧などの異邦人のアーティストがパリに集結して、“エコール・ド・パリ”として成長するなど戦争によって新展開をみせたこと、ファシズムやホロコーストによって失った才能や時間は計り知れないが、「芸術の死滅」を逃れたことは大きい。
さて、アンドレ・ブルトンによって宣言された“シュールレアリスム”が戦前からヨーロッパで大きな影響力をもっていたが、戦後もその影響は続いた。超現実主義によって自由な発想、表現が可能になり、無意識や狂気、潜在意識が、ヴィジュルアル化される不思議な情景を描いた絵画や彫刻が受容されるようになったのである。シュールとは、基本的に美術表現のひとつの運動のことを指しているが、アーティストが自由業として生活するための精神的サポートになった出来事だったといえるだろう。その意味でいえば、70年代に「ラヴ&ピース」をスローガンとしたミュージシャンや若者たちより“自由”というものを先に獲得してたのかもしれない。しかし絵画や彫刻と言ったオーソドックな表現に留まったことで、その後に出現してきた抽象表現主義という暴れん坊に飲み込まれてしまったといえそうだ。
アメリカの現代美術の原点が抽象表現主義であることは、周知の事実だが、アクション・ペインティングやアンフォルメルといった描く行為自体や痕跡による表現を通じて、そこに存在する人間=自己追求が中心的な主題になったことでアーティストのインディペンデントの立場は加速的に進んだと言える。非個性や抽象性といった表面的な事柄とは裏腹に、そこにはアイデンティティの模索といった今日まで続く自己探究の冒険が始まったのである。「カラー=フィールド・ペインティング」や「ハード・エッジ絵画」、そしてミニマル・アートとスタイルが引き継がれても、その追求は鋭利な刃を渡るように先鋭さを増していって、アーティストの自己=アートいう図式は確立されていった。
アメリカのミニマル・アートとイタリアのアルテ・ポーヴェラが、最近になって類似性や同時代性によって比較されることが増えている。アルテ・ポーベラが、伝統的な美術の素材以外のものや日常的なマテリアルを用いることで「貧乏芸術」とジェルマ−ノ・チェラントに命名されたことで、一気に社会性を帯びたといえるだろう。日常生活がアートに密着化することで、美術の立場は大きく変貌することになった。ハイ&ローといったカテゴリーでは、トップレベルを突っ走っていたヴィジュアル・アートが、それだけではない何かを作り出すようになった。つまり、社会と美術の狭間に存在する関係性がクローズアップされることになるのである。つづくポップ・カルチャーの台頭によって、美術は完全に生活の中に分け入っていって、積極的にアートの新しい価値観を探り始めるようになったのである。
70年代に、爆発的に起こったランドアートやアースワークなども美術の新しい価値観を模索するための斬新なアプローチだった。あまりに自然の力が強大で人間なんてちっぽけだなと改めて考えさせられたきっかけにもなったと思うが、その後もクリストやジェームス・タレルによって引き継がれているスペクタクルなアプローチだ。別のスタイルで自然と共生するアートを目指す作家たちもいるが、彼らは等身大で自然と向き合うという、かなり素直で消極的なアプローチといえるかもしれない。
その後も80年代、90年代とさまざまなアートム−ヴメントが起こったが、ここでどうしても触れておきたいのが、ルイーズ・ブルジョワのことである(ここまで書いたら少し疲れてしまった。それにコンクルージョンを考えなくちゃ…)。今年1年間は、ブルジョワに関することが身近に起きたこともあって何だか気になってしかたがなく過ごしてしまった。1911年生まれの彼女は、まさしく20世紀とともに生きてきたといえるだろう。しかし、ほとんどの時間を無名で過ごしたという苛酷なアーティスト人生だったといえる。それが、80年代後半の大ブレークによって、年齢に関係なく認知されるべきときが来れば華が開くということも証明してくれるアーティストである。孤高の作家だった彼女は、当然あまり20世紀のム−ヴメントとは関係がなく、独自の世界観だけで制作を続けてきた。全作品がオートバイオグラフィというのも考えるだけで寒気がするが、その孤立した環境の中で自分だけを見つめるという狂気にも近い行為によって作品が創られている。だが、逆に言えばアーティストが自己開放を可能にするのは、アートに拠るものだけだといえそうだ。少なくても彼女に限れば、アート無しでは生きていけなかったはずだからである。彼女の作品は、本人の年齢とか華奢な体つきとは無関係に、桁外れにダイナミックであり、巨大な大きさにも驚かされてしまう。また、ナイ−フで女性的な抽象形態を創作していると思っていれば、蜘蛛や男根といった大胆で男性的なモチーフをサクッと出現させてしまうので思わず目を丸くしてしまうのだ。それがまた、なんの衒いもなくアートと彼女が同一化しているようで奇妙でもある。ロバート・メイプルソープが撮影した彼女のポートレイトを見たことがあれば納得するだろう。あの満面の笑顔を見れば、彼女はいつまでもアートを創りつづけるだろうと確信できる。決してひるむことなく…。
さて、ではルイーズ・ブルジョワが20世紀のナンバーワン?ということを聞かれても、ここではYESとは答えられない。ただ、彼女のような存在が今世紀にいたことで20世紀美術が単純なアートヒストリーで終わらないで済んだことは貴重だ。ひょっとしたら、すでに仙人のように不老不死の身になっているのかもしれない。だからこのまま21世紀になっても彼女は創りつづけているような気がしてならない。それだったら、20世紀の評価で留めておくのはおかしいじゃないか…。
ルイーズ・ブルジョワについて、もう少し知りたければユーロスペースで開催された「第6回アート・ドキュメンタリー映画祭」は、お薦めだった。彼女のポートレートがなんと2本上映されていたからだ。1本はナイジェル・フィンチェ(英)による横浜美術館で上映していた作品で、もう1本が「親愛なるルイーズ:Chere Louise」女性監督ブリジット・コルナン(仏)による作品だ。後者は、今回日本語字幕付きで日本で初公開で、ヴィデオ化もされた。この作中にあのルイーズ・ブルジョワが作詞、作曲、歌のCD「Otte」が部分的にバックミュージックとして使われている。このドキュメンタリーを制作したのが、CDの制作者でもあるブリジット・コルナンだからである。前者はイギリス国営放送BBCのプログラムのために制作されたイギリス版。監督のナイジェル・フィンチは、アートドキュメンタリ−の巨匠と言われていたが、エイズで夭逝した。このふたつのドキュメンタリーは、まったく異なるプログラムとして制作されたのだから、類似性もなければ関係性もないのだが、それぞれの作品にフランス語と英語という異なる言語でインタビューに答えているのが興味深い。母国語と生活語という作家には、親しい言語であるはずだが、話す言葉でこんなにも表情が違うのかと驚かされる。また、そこには、男性/女性監督という制作者側の差異やテイストも明確に反映しているといえそうだ。両作品を見比べればルイーズ・ブルジョワの魅力がずっと広がるし、アーティストという生き物を観察する方法にドキュメンタリーとは、かなり有効だとうなずくだろう。
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