井上雅人●ファッション
前世紀、ファッションは生産/消費システムの中において制度としてゆっくりと完成された。年に2回行なわれるコレクションという消費を加速させる装置の存在は、美を追求する行為そのものに大きな影響を与えた。絶えず移りゆくことが、構造にたいしては安定をもたらすということの発見は、究極の美へと一歩一歩近づくという進歩的な芸術観を嘲笑うようでもある。
そういった趨勢の中で、衣服における著作権の問題が浮上してきているということは注目すべきことであろう。ブランドの悪質なコピーといった単純で分かりやすい構図もさることながら、イッセイミヤケやリーバイスが訴訟を起こした相手が、知名度の高い企業であったということは示唆的である。衣服を知的財産として保護しなければならないのは、それらが技術的には容易に複製可能であるからにほかならず、高品質で低価格な商品を中心としたユニクロのようなブランドの出現と表裏の問題でもある。表現する行為を保護する必要性は論を俟たないが、そもそも階層的に差異を構築していくファッションのシステムとどうやって融和させていくのか、議論を要するところであろう。
その一方で、グローバリゼーションの流れにも着目しなければならない。いままでファッションはパリ・コレクションを中心とした世界マーケットとアメリカナイゼーションによって形成されると説明されてきたが、ここにきて日本を中心としたアジアマーケットの存在が強調されつつある。しかしこのことは、日本企業やアジアマーケットの成熟化や、日本を通してのアメリカナイゼーションといったことを単純に示唆するわけではないし、ましてやローカルの消滅、反対にアジアという地域意識の芽生えとして説明されるものでもない。グローバリズムやナショナリズムなどが複雑に絡んだ重層的な文化現象として、主体と集団と社会のせめぎ合いとして、細かく考察していかなければならないのである。
ファッションの差異を強調するシステムは、模倣的消費から批評的消費へと道を開き、マーケットや文化を細分化させた。もちろんファッションということばは狭義には衣服の流行を指すが、ロラン・バルトがモードという言葉を使って指摘したように、「購買のリズムが消費のリズムを越えて」いる状態は衣服に限ったことではない★。ファッションという現象は、「消費」を軸としたライフスタイル自体と、切っても切り離せない問題なのである。
★――Roland Barthes, Systeme de la Mode, Paris: Editions du Seuil, 1967.[邦訳=『モードの体系』、佐藤信夫訳、みすず書房、1972、p.408]