「可愛い」が「いい」のか
「自分がいいと思って作った絵本が、かならずしも売れる絵本とならないことが悩みです」とある編集者が語っている。この場合「いい」とは何かがわからないと話にならない。しかし、この「いい」という価値判断は人それぞれによって多様であり、「売れる」というような客観的な基準にならないところがやっかいだ。
「売れているもの、つまりメジャーな絵本の絵は写実的で説明的すぎて面白くない」とこの編集者は言う。彼が興味を持っているのはオリジナリティのある絵を描く作家の絵本だ。
「ぼくが嫌いなのは、子どもの世界はなんでも可愛くなければならないという先入観で、人も犬の花も自動車もすべて可愛く描いてある絵本だな」とはある教育者の言葉。
この人によれば「可愛い系」の絵本はよく売れているという。実際、世間の母親や保母さんたちは、子どもの教育には「可愛い系」の絵本が無難と思っている人が多い。
「なんでも可愛くしちゃうとさ、子どもたちは『絵』の本当の良さがわからない人間になる気がするな」その教育者はため息をついた。私もこの人と同意見だ。「可愛い」というのはたぶんに固定概念的な判断であり、自分の心で感じたものではない場合が少なくないからだ。
|
田島征三――絵本作家と画家の両立
子どもには「可愛い系」の絵本をという通念と徹底的に対決してきた絵本作家に田島征三がいる。彼は日本の第一級の絵本作家としてよく知られているが、田島は絵本だけを描いているのではない。
彼はなによりも心に訴える魅力ある絵、力強い表現の絵を描こうと日夜頑張っている絵描きなのだ。
泥絵具や水干や油絵具などを駆使したタブローをエネルギッシュに制作し、リトグラフやシルクスクリーンの版画を幾種類も作り、全国各地で次々と個展を開いている。
田島征三は農耕生活のかたわら驚くほどの絵画作品を描き続けてきたが、「絵本作家」であることから現代美術の世界ではほとんど無視されてきたと彼はぼやいている。
「絵本を創っても絵を描いても、ぼくは自分の立っている所がなんとなく中途半端な場所のように思えてならなかった。絵本を創れば芸術的過ぎて子どもにはわからんと言われ、絵を描けばどうせ絵本の画家の絵だから子どもむけだろうと見に来てもくれない」(田島征三『畑の恋人』)。
彼はグラフィック・デザイン出身で絵本を中心に仕事をしてきた経緯のために、どうやら画家仲間に入れないらしい。
|
|
田島征三
『いろいろ あっても
あるき つづける』
|
|
絵の魅力の発見
|
田島征三『いろいろ あっても あるき つづける』
|
彼は次のようにも言う。
「ぼくは絵本作家であるが、芸術作品として絵本というメディアを使って表現してきた。そのことは、絵本の周辺には絵のわからない人間ばっかりいるので、ほんとうには理解されなかった」(同前)。
彼はオリジナリティに貫かれた自分流の絵を描き、その絵を用いて絵本を構成している。別段なんの矛盾もないのにもかかわらず、双方のジャンルから疎外されきたことが、長いこと彼の悩みであった。
この当時私は田島征三について次のように書いた。
「周知のように彼は絵本のすぐれた描き手でもあるが、彼の絵画はいま絵本的絵画に必要な説明的要素を削ぎ落とし、カタチとマチエールだけの絵画に変貌しつつある。むろん彼は絵本の制作をやめてしまったわけではない。これまで描いてきた彼の絵画が同時に絵本の原画でもありえたとすれば、彼の近作はそうした絵本の原画とは別個のカタチとマチエールの即物的な絵画を描きはじめたのだ」(『今日の美術とサブカルチャー』)。
田島がこの悩みを訴えたのは1986年の初夏だった。それから13年後、つまりいまから2年前、『いろいろ あっても あるき つづける』(光村教育図書)という斬新な絵本を出した。
この絵本はこれまで彼が描いて、印刷した様々な絵をコラージュしたもので、絵も抽象度が高く、説明的でないものになっている。先に私は田島征三が絵本の原画とは別個の絵を描きはじめたと書いたが、彼はこの新作絵本で、どんな実験的な絵画でも絵本の原画になることを実証してみせたのである。
もちろん、当然のごとく「こんな絵本は子どもには難しすぎる」という頭の固い出版社からの批判はあったが、子どもたちは「変な絵だけど面白い」とよろこんだ。なかには色と形とマチエールが相乗的に織りなす絵というものの魅力に気がついた子どももいたことと思う。絵本は絵だけでなく言葉や詩や物語も大切な要素だが、なんといっても絵の魅力に左右されるメディアである。
|
「子どもの心」
近年ポール・クレーの絵に谷川俊太郎が詩をつけた絵本(『クレーの天使』講談社)が話題となったが、詩情あふれるクレーの絵はそのままで絵本になり、子どもの心に豊かなイメージとなって棲みついたことだろう。
優れた絵本は、読者である子どもの心に忘れ難い喜びをあたえる。その時、読者である子どもが、あまりにも幼く自らの感動を言葉にしえなくとも、その絵本は彼の感受性の土壌とも言うべき無意識の文化を形成し、彼の人生に様々な影響をおよぼすことだろう。
また「子どもの心」とは子どもだけにあるものではなく、大人のなかにも静かなランプの灯影のようにいつまでも存在し続けていることを忘れないようにしたいと思う。
絵本には大人のフアンが数多くいるのは、彼らのなかの「子どもの心」が絵本のポエジーをオアシスのように求めているからである。 |
|
谷川俊太郎
『クレーの絵本』
|
|
|
|
谷川晃一『へんしーん』(偕成社)より |
[たにかわ こういち 画家]
|