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FOCUS=子どもと美術
藤崎伊織
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ハプニングとサバイバル――ヤノベケンジの市場最大の作戦

 ハプニングとしてのキッズアート
 
連日の猛暑が続く夏休み、全国各地では様々なアート・イベントがたけなわである。本州最北端の地・青森ももちろんその例外ではなく、7月13日〜24日にかけて「キッズ・アート・ワールドあおもり2001――市場最大の作戦」というイベントが開催されていた。タイトルと開催時期から容易に察しがつくのだが、要は子どもたちを主な対象にした体験型のイベントで、作品展示とワークショップを二本の柱とするこのアートプロジェクトには、美術・建築・写真・映画の各部門から若干名の著名なアーティストが参加した。ヤノベケンジも、このイベントに招かれたアーティストのなかの一人である(ちなみに他の参加アーティストは、PHスタジオ、佐藤真、北島敬三、そして地元出身の中野渡尉隆の4組)。
 ヤノベケンジに白羽の矢が立ったのは、このイベントの内実を考えれば至極まっとうな判断といえるだろう。キッズアートというと、どうしても「お絵かき教室」的な啓蒙型のプログラムのようなものを考えてしまいがちだが、この「キッズ・アート・ワールド」の場合、その「市場最大の作戦」(史上ではないので、念のため!)サブタイトルが示している通り、メイン会場は市内の市場、他の会場としても、広場、商店街、遺跡が用いられるなど、とにかくゲリラ的な色彩が濃厚なのだ。その点、「アトムスーツ」や「ブンカー・ブンカー」など、強い視覚的インパクトを持つ一方、エルゴノミクスにも配慮して、着たり乗ったり、実際に使用することのできる作品を作ってきたヤノベは、確かにこのゲリラ的なイベントにうってつけのアーティストであろうし、また実際に多くの旧作を持参したことからも、その入れ込み具合が伝わってくる。
 ちなみに、今回のイベントの核とも呼ぶべきワークショップに、ヤノベは「アトミックカフェ」と「トレイン侵攻大事変」の二つの企画を軸に取り組んだという。何はともあれ、この企画がどのような意図の元に発案されたのか、気にかかるところではある。

――正直に言えば、あまり「キッズアート」という枠に押し込めて考えるのは好きじゃないですね。いいものはいい、クオリティの高いアートの持つ力には、大人も子どももあまり関係ないはずですから。ただ、子どもに対して何らかの刺激を与えてあげようって配慮はあってもいい。だから僕の場合、ワークショップでもなんか課題を提示して、作らせて誉めるっていう風に教師然と振る舞うよりは、強烈な刺激を与えて、それを自分なりに消化するように仕向ける方がいいのではと思って、そういうやり方でやってます。その意味では、僕のワークショップはアートカフェのようなもの。だから「アトミックカフェ」って名前を付けたんです。

 
インタビューの最中、ヤノベは一度ならず「ハプニング性」について言及していた。偶然性とでも言い換えればいいのだろうか、制作、鑑賞、ワークショップなど、アートに関連する諸々の活動のなかで、唐突に現れる予期せぬ出来事。もちろん、特に教育活動の現場で、綿密なプログラムを立て、遂行することで「ハプニング性」のリスクはある程度回避できるのだろうが、ヤノベは逆に「ハプニング性」にアートの醍醐味を見ているようでもあった。子どもの主体性に過度に介入しようとしないヤノベ独自のスタンスは、この「ハプニング性」という立場から説明できるような気がする。
「ブンカー・ブンカー」▲「ブンカー・ブンカー」(水戸芸術館での展示風景)
撮影=中川理仁
写真提供=レントゲンクンストラウム
リバ・プロジェクト ─スタンダ─」
「アトム・カー」
▲「ビバ・リバ・プロジェクト ―スタンダ―」(「ex- Kcho×Kenji Yanobe」資生堂ギャラリーでの展示風景)
撮影=桜井ただひさ
写真提供=資生堂ギャラリー
▲「アトム・カー」(「Luna Project」キリン・アート・スペース原宿での展示風景) 
写真提供=レントゲンクンストラウム
 万博とサブカルチャー――文化的記憶のその後
 一方で、強烈な刺激がアートの覚醒へと至るというヤノベの確信は、多分に自分自身の経験からもたらされているようにも思われた。1965年に大阪に生まれたヤノベは現在30代半ば、幼少期には生家の近くで開催されていた70年大阪万博の光と影を目の当たりにし、また今なおシリーズが継続されている「ウルトラマン」や「仮面ライダー」を見て育った世代である。そうした幼少期の文化的記憶は、当然のことながらヤノベの作品やスタンスにも深い影響を与えている。

――実家が万博会場から近かったから、開催期間中の盛り上がりだけじゃなく、終わった後の撤収作業で、未来まで失われてしまうような、さびしい光景まで全部見えちゃいましたね。でもそこにはひょっとして、何もかもなくなってしまったから、また一からはじめられるっていう、創作意欲の原点のようなものがあったのかも。それと、子どもの頃からよく漫画やSF映画を見ていましたけど、そういうサブカルチャーに接した経験が自分の美意識の根底にあることは確かです。アートってその根底を支える美意識がなければ作れないものだけど、美術史の授業で教えられるような知識を自分の基盤に据えることには無理を感じた。僕が「アトムカー」や「アトムスーツ」を作るようになったのは、自分の以前からの美意識に忠実であろうとした結果でもあるんですよ。

 サブカルチャー受容に裏打ちされた美意識。ヤノベと同世代の私には、その文化的な記憶を形作ってきた背景が何なのか、ほとんど手にとるようにわかってしまう。同世代といっても、私の場合は万博を訪れる機会もなく、またそれが国家的な大イベントであったことを知ったのもずいぶん後の話なのだが、その不在の記憶ゆえにかえって、後に図鑑などを眺めて知った、万博が演出していた当時の「未来」には、強い憧憬を抱くことにもなった。それは、万博の表も裏も知っていたヤノベの記憶とは、コインの表裏のような関係を為しているのだろう。半面その文化的記憶は、このイベントに参加した子どもたちとは世代的にも断絶している点なのだが、ヤノベは世代差による文化的記憶の違いをさして意に介していないようでもあった。「いいものはいい」――そこにあるのは、感受性の鋭い子どもであれば、かつての自分がそうであったように、必ずや現代のサブカルチャーから何かを貪欲に摂取してそれを将来何らかの形で展開するはずであり、その可能性に世代差は関係ないという確信なのかもしれない。

サバイバル――キッズアートの今後
 
ところで、ヤノベがキッズアートに関わるようになった経緯で、是非ともたずねてみたいことの一つが「サバイバル」であった。この「サバイバル」という発想がキッズアートにとって重要な意味を持っているのは、例えば「アートの力を借りて文化を創造する」ことを軸に、「サバイバル」を通して社会、教育、リテラシーやアイデンティティなど今日のアートが直面する様々な問題を掘り下げようとしたニコラス・ペーリーの『キッズ・サバイバル』(菊地淳+三宅俊久訳、フィルムアート社)のような書物によっても強調されていることである。一方では、周知のように、ヤノベもまた「アトム・カー」にガイガー・カウンターを取り付けたり、「アトム・スーツ」を着用してチェルノブイリに足を踏み入れたりと、「サバイバル」を主なテーマの一つに据えて活動してきたアーティストである。彼にとって、「キッズ・アート」と「サバイバル」がどのような接点を持つのかは否が応でも気になるところだし、また21世紀を迎えて、「サバイバル」から「リバイバル」へと関心が移行しつつあるというヤノベだが、今回のワークショップでも「サバイバル・システム・トレイン」を設置するなど、その関心はまだまだ衰えをみせていないのだから、両者の接点がなおさら気にかかってしまう。

――僕の作品は、着たり乗ったり、実際に使えることが特徴の一つなんだけど、98年頃には、その特徴を自分の身を守る装置を作って、社会的なメッセージを発信することに関心が向いていたんです。言うまでもなく、「サバイバル」っていうのは生き残るっていう意味ですけど、生き残るってことは言い換えれば生存本能、創作意欲なんかと同じで、人間の一番奥底に潜んでいる部分なんじゃないか。僕自身自分の精神や肉体の脆さを人一倍自覚していたから、それを補う装置に関心が向かっていったということもあって、生存本能そのもの、「サバイバル」そのものをテーマとした作品を作ってもいいじゃないか、ってね。ちなみに、僕のいう社会的なメッセージっていうのは、今言ったとおり人間の生存本能とか根源的な欲望に関わるもので、別に環境問題云々とかそういうことじゃないですよ。
 先のペーリーの書物によれば、子どもたちが文化的に何を為しえるかを見定めようとするとき、どうしても既存の学校教育では限界があるため、その外部で展開されるキッズ・アートへの関心が必然的に高まる、およそそのような見取り図が描かれるものらしい。「サバイバル」への関心も、まさしくその延長線上に位置しているものであり、今回のようなワークショップをはじめ、学校外での様々なアート活動をどのように位置付けるかが、キッズ・アートの今後の課題と言えるだろう。無論、そんな簡単に解答の見つかる問題ではないが、子どもに大人の雰囲気を味わわせ、強烈な刺激を与えた上で、最後には「サバイバル」まで体験させようというヤノベの発想が、キッズ・アート本来の趣旨にも即した、一つの指針となりうるものであることは確かである(ちなみに、ヤノベ本人に確認してみたところ、ペーリーの書物のことは知らなかったという。彼独自の「サバイバル」は、あくまでアーティストとしての経験則によって導かれたものなのだろう)。ヤノベにとってのキッズ・アートとは、ある意味ではアートの本来の姿を縄文的な祭りのなかに再生しようとする試みなのかもしれない。ヤノベの作品には、一貫して強い終末観が指摘されてきたが、「ハプニング性」然り「サバイバル」然りで、そこには力強く前向きな未来志向も潜んでいることもまた、確かなのである。

追記
本稿の脱稿直後、「青森では子供たちへの洗脳はまずまず成功です」と書かれたヤノベ氏からの短信を頂いた。彼が今回青森の地に移植した想像の種は、果たして未来にどのような花を咲かせるのだろうか?
[ふじさき いおり]
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