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FOCUS=横浜トリエンナーレ
暮沢剛巳
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総合から混沌へ

特筆すべき「カラー」の不在?
9月1日、みなとみらい地区を主舞台に横浜トリエンナーレが開催した。釜山、上海、台北など隣国の諸都市の国際展のニュースを聞くたび、なぜ日本では本格的な国際展が開かれないのだろうと残念に思っていただけに、2年程前だっただろうか、国際交流基金がこの国際展の開催概要を発表したときには、「いよいよか!」と心が躍ったことを今でもよく覚えている。そして、以後様々な紆余曲折を経た上での開幕……。もちろん、その成立の経緯にせよ肝心の内容にせよ、この種のイベントにつきものの批判は少なくなかったし、そのすべてがクリアされたわけでもないことは十分に承知しているが、ここではまず日本でも初めての本格的な国際展の実現を素直に祝福し、関係各位の努力にも敬意を示しておきたい。
そして実際に、展覧会そのものも興味深いものだった。玉石混交とはいえ、これだけの数の現代美術作品を一同に目にするのは、やはり滅多にない壮観な体験だし、関心のあり方も各人各様とはいえ、パシフィコ横浜と赤レンガ倉庫を始めとする各会場を散策するプロセスで様々な発見があることは、既に三度会場を訪れ、足裏の血豆をつぶしながら歩き回った私自身が、誰に言われるまでもなく知っていることである。だが、自ら実感した面白さを素直に認めた上でなお、このトリエンナーレ全体がどこか散漫な印象を与え、それゆえに全体像を語りづらいことは述べておなかければなるまい。
その散漫な印象は、何よりも「メガ・ウェイヴ――新たな総合へ向けて」というスローガンに象徴されているようにも思われる。国際展というと、国別の参加が求められ、賞制度を設けるなどさながらオリンピックのような雰囲気を演出するヴェネツィア・ビエンナーレ、絶大な権限が与えられたディレクターの意向が強く反映されるドクメンタ、領域を彫刻に特化した上で地域との密着を強調したミュンスター彫刻プロジェクトといった具合に、それぞれ他との差別化を図って明確なカラーを打ち出すのが通例なのだが、この横浜トリエンナーレの場合、今回が初めてということもあってか、どうもこれといって特筆すべきカラーがない。スローガンそのままに、展覧会全体が漠とした雰囲気の中に包み込まれている印象を受けるのだ。

イスタンブール・ビエンナーレ――東京サテライト展
私がこのトリエンナーレから漠とした印象を受けてしまうのは、まさしく同時期に、東京でもサテライト展が分散開催されているイスタンブール・ビエンナーレとの対比にもよるのだろう。イスタンブール・ビエンナーレの方については、私は東京のサテライト展しか見ていないのだが、それでもAD(Artistic Dirctor)の長谷川祐子が掲げた「EGoFUGAL(近代からの離脱)」というテーマを通じて、映像や写真を中心とした作品がある種小回りの効いた統一感のもとに再構成されていることが強く実感された。対して横浜トリエンナーレの方は、ADだけでも4名もいて、しかも誰がどのパートを担当したのかもわからないほど渾然一体となっている。もとより参加人数でも、約60名のイスタンブールに対して横浜は110名に達するなど、この両者は規模からして違うのだから単純な比較は成り立たないだろうが、それにしても、やはりこの横浜トリエンナーレに、相対的にメッセージ性が希薄なことは確かであろう。 

新鮮な驚き――ジュン=グエン・ハツシバ
批判がましいことばかり書き連ねてしまったが、もちろん悪いことばかりではない。全体を規定する枠組みが希薄ということは、逆にいえばそれだけ参加作家の裁量に委ねられる部分が多いという美点でもあって、既に述べたように、そのような自由度の高さは、混沌の中で様々な刺激的な作品と出会う機会を与えてくれる。いくつか強い関心を引かれた作家・作品ついて手短に述べておくと、たとえば、頭まで水に浸かった海底で、ときに頭を海面に出して息継ぎをしながら人力車を引っ張る若者たちを映したジュン=グエン・ハツシバのヴィデオ作品は、デジタルなメディアを活用したアナログな表現(不覚?にも私は、洗面器に顔を突っ込んだ宮島達男のデジタル・カウンター・パフォーマンスを思い出してしまった)は非常に新鮮だったし、同じ映像作品では、フィオナ・タンのものも、裏表両面から見ることのできる双方向性が面白かった。テクノロジーを利した作品としては、遺伝子をモチーフとしたエドワルド・カックのインスタレーションが、展示空間の構成もメディアの特性の生かし方も見事で、「社会彫刻」の名にふさわしい完成度を誇っていたように思う。

存在感ある塩田千春の巨大ドレス、ゲリラ的な小沢剛の「トンチキハウス」
国内作家の作品も、負けず劣らず刺激的なものが多かった。メディアアート系の作品が概して鮮烈な印象を欠いていたのは残念だったが、塩田千春の巨大なドレスは、パシフィコ横浜の広大な会場でも見栄えのする重厚な存在感を備えていたし、小沢剛のトンチキハウスも、メイン会場から離れていた立地条件の悪さは残念だったが、コミュニケーションやセルフ・エデュケーションといった観点からも興味深いゲリラ的な試みだった。草間彌生、一柳慧、赤瀬川原平ら「大家」の作品も、新味には乏しいながらも、さすがというべき存在感を発揮していたように感じられた。唯一R指定を受けていた都築響一のインスタレーション「国際秘宝館」の猥雑な創造性も、「TOKYO STYLE」で知られるこの人ならではの批評性が発揮されていた。
まだまだ印象を書き記しておきたい作家・作品は少なくないが、キリがないのでとりあえずこの程度にしておこう。このような記述の仕方が、とりとめのない印象の羅列でしかないことは承知しているが、しかし敢えて強弁するならば、横浜トリエンナーレの本質はこのとりとめのなさにこそある。これまた既に述べたように、「新たなる総合」という無色透明(?)なスローガンのもと、国籍も年代もバラバラな110名もの作家が参加したこの国際展に対しては、そもそもスローガンを軸とした総論や、特定のジャンルだけにスポットを当てた各論といった批評の方法は決して賢明ではないのだ。ここでは、自ら味わった刺激を忠実に伝えるためにも耳障りのいいキャッチフレーズや強引な力技によって無理に全体を「総合」するような愚は犯さないでおこう。

「パッサージア(Passasia)」という広がり
もっとも、いかに独自のカラーが希薄であるとはいえ、この種の国際展は昨今の思潮が否応なしに反映されるものなので、ここにもその趨勢を窺うことは不可能ではない。そうした趨勢に対応する指標としては、たとえば4人のADのうちの一人、建畠晢が個人的なテーマとして掲げた「パッサージア(Passasia)」という概念をあげることができるだろう。Asia as Passage――アジアを相対化する必要を強調したというこのオキシモロン的な造語(余談ながら、私はこの言葉を聞いて竹内好の『日本のアジア主義』を思い出してしまった)は、言うまでもなく昨今の流行でもある「マルチカルチャリズム」の文脈を強く意識したものだが、一口に「アジア」といっても、伝統様式を強く残した大型彫刻を作るヘリ・ドノから、美容整形の現場から集めてまわった脂肪というグロテスクなマテリアルから美しい柱を作り上げてしまった孫原+彭禹に至るまで、このトリエンナーレで展開されている「アジア」の広がりは到底一元的に捉えられるものではないし、また一方でPassageという単語が必然的にはらむベンヤミン的なコノテーションは、文字通りにみなとみらい地区を展覧会のためのPassageとみなした、このトリエンナーレのゾーニング的な性格にも対応していたのだった。いかにもこなれないこの「パッサージア」という概念が、みなとみらいの現場で発案者の意図を超えた広がりを獲得していくプロセスからも、このトリエンナーレがいかに混沌としたものであるかが強く実感されるだろう。
もちろん、この「新たなる総合」のなかにいかなる混沌を見出すのか、それはもはや私が差し出がましく意見すべきではない、読者各位の眼と足に委ねられるべき問題であろう。興味を持たれた読者は、是非とも滅多にないこの機会を利用して、みなとみらい地区を包み込む混沌のなかから一つでも多くの刺激を受け取って欲しいものである。

[くれさわたけみ 文化批評]
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