第7回イスタンブール・ビエンナーレがまもなく閉幕を迎えようとしている。オープニングは9月21日。世界を震撼させた、あのアメリカ同時多発テロからわずか10日後のことだった。周知のように、2004年に開館が予定されている、金沢21世紀美術館学芸課長の長谷川祐子氏がキュレイターを務めた。米英軍によるアフガン空爆開始後、日本からトルコへの渡航は延期勧告が出され、より多くの人々が見る機会が断たれてしまったのは、じつに残念というしかない。
イスタンブール・ビエンナーレの創設は1987年にさかのぼる。以後、89年、92年、95年、97年、99年と開催されてきた。ほぼ同時期にスタートした国際展としてはリヨン・ビエンナーレ(1991年創設)があるが、イスタンブール・ビエンナーレを際立たせる特徴は、何よりもその立地であろう。南北を海に挟まれ、モスクの尖塔が林立するこの美しい歴史的都市は、ボスポラス海峡を隔ててアジアとヨーロッパを結ぶ交通の要衝で、いわば東西両文明が出会う結節点に位置している。また、イスラム圏ながら、政治、経済的にヨーロッパとのつながりも強い。
過去のビエンナーレも、こうした地政学的特徴を反映して、現代美術の最新の動向を紹介しつつも、非西洋的といえるコンセプトを掲げてきた。第3回展以降、ひとりのキュレイターが展覧会のコンセプトから作家選出までを行うディレクター制を採用し、これまでルネ・ブロック(第4回)、ローザ・マルティネス(第5回)、パオロ・コロンボ(第6回)がゲスト・キュレイターを務めてきた。イスタンブール・ビエンナーレのもうひとつの特色としては、新進作家の積極的な発掘が挙げられる。たとえば、第4回展(95年)ではスーチャン木下、ウィリアム・ケントリッジ、シリン・ネシャット、第5回展(97年)ではオラファー・エリアッソン、森万里子、ピピロッティ・リスト、第6回展(99年)では木村友紀、マイケル・リデカー、エマ・ケイらが出品作家に選ばれている。
「エゴフーガル―次なる創発にむけて」
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この意図のもと、地元トルコをはじめ、ヨーロッパ、南北アメリカ、アジア、アフリカなど、世界23か国から総勢63名(組)の出品作家が選ばれた。日本からはエキソニモ、八谷和彦、河原温、永田宙郷、小谷元彦、SANAA、曽根裕が参加。会場は毎回多少の変動があるが、今回は、ダルフィネ国家造幣局跡、アヤ・イレーニ教会、地下宮殿、ベイレルベイ宮殿の4か所がメイン会場となった。 観光名所としても知られる地下宮殿は、4世紀から6世紀の間に造られた巨大な地下貯水池。前回トニー・アウスラーがインスタレーションを行ったこの幻想的な空間には、韓国の女性作家イー・ブルらの作品が展示された。日本のSFアニメ「ゴースト・イン・ザ・シェル―攻殻機動隊」に触発されたサイボーグを思わせる彫刻は、そのアニメからの映像インスタレーションとともに、進化した新しい身体感覚を表現する。
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同じくトプカプ宮殿内の
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「エゴフーガル」に収斂した多様な作品
「ヨーロッパとアジアの架け橋」とは、イスタンブールの表現としてしばしば使われるキャッチフレーズだ。イスタンブール・ビエンナーレの会期とほぼ同時期に、そのヨーロッパとアジアで、より大規模な国際展が開催されている。49回目を迎えたヴェネツィア・ビエンナーレと、第1回横浜トリエンナーレだ。「メガ・ウェイメ―新たな総合に向けて」と銘打たれた後者の副題は、すでに批判もあるとおり、焦点や具体性に欠け、その点では、今年のヴェネツィア・ビエンナーレのテーマならざる曖昧な標語「人類の大地(Plateau of Mankind)」と大差ないといえるだろう。実際、両展ともイヴェント的な成功とは裏腹に、展覧会としては散漫な印象を拭い去れなかった。そうした観点からすれば、「エゴフーガル」という独自の造語によって、コンセプトの大枠をしなやかに示しつつ、多様な作品をそこにみごとに収斂させてみせた今回のイスタンブール・ビエンナーレは、一歩も二歩も優っていたというべきだろう。