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 野村 浩………………………………中村ケンゴ

ケンゴ

野村さんは東京芸術大学の油絵科出身ということですが、学生時代から現在も続いているいくつかのキャラクターを使った作品シーリズを制作していたんですよね。

野村浩 事務所にて
野村

そうですね。もちろん油絵科だから油絵を描こうと思って入ったわけなんですけれど、大学では別に絵を描きなさいと言われるわけでもないので、何をしたらいいのかなと考えていたんですが、やっぱりもはや絵は描けませんでしたね。

ケンゴ

それはどうしてですか。受験の段階で、例えば予備校で石膏デッサンとか油彩であるとかさんざんやらされていたわけでしょう。

花の子エリカ

花の子エリカ
(c) Hiroshi Nomura

エキスドラ 池袋にて 1997

池袋の「エキスドラ」 1997
(c) Hiroshi Nomura

野村

だから絵を描こうとするとそういう受験の絵みたいなものになってしまうんですよ。これは大きいです、みんなそうだと思いますよ。……実は僕は芸大まっしぐらだったんです、青春時代は(笑)。高校1年から予備校に通って、地方なんだけど。やっぱり入るなら芸大だと思ってずっとやってたわけです。でもいざ大学入ってみると描く題材が無いわけじゃないですか。さんざん与えられたものを描いてきただけだから。それで何をつくろうかいろいろ考えるわけだけど、1年、2年と過ぎていく中で、やっぱり、自分に根差したものというか、日常的なものに何かを求めていく中で何かをつくりたいと考えるようになったんです。

ケンゴ

作品にはどこかで見たような漫画のキャラクターのようなものが登場しますが、たしかにこういったイメージは僕達の世代においては日常に溢れているイメージではありますね。漫画のキャラクターのようなイメージに行き着いたのはどうしてですか。

野村

別にめちゃくちゃ漫画が好きなわけじゃなくて、例えば「エキスドラ」にしても、その(イメージの元になっている)ドラえもんがすごく好きなのか、とかそういうことではなくて・・・。僕個人がつくったものだけど、全体的にというか、こういう気分だろうと。複数大量生産されるようなイメージ、ですね。

ケンゴ

自分のまわりが?

Eyes(りんご)

眼 (りんご) 1992
(c) Hiroshi Nomura

Eyes(アマリリス)

眼 (アマリリス) 1992
(c) Hiroshi Nomura

野村

そう。だから僕が好きなものというより、みんなが認知しているものという意味の方が大きいのかな。りんご(を使った作品)にしても僕が朝から晩までりんご食べるほど好き、ということではなくて、りんごが持ってるイメージがあるわけじゃない。そういうものに魅かれることが多いんでしょうね。

ケンゴ

「ポップ」と言ってもいいものでしょうか?

野村

いいでしょうね。

ケンゴ

その「エキスドラ」というキャラクターが誕生して今に続く作品のシリーズが始まるわけですが、主に写真という形式を使って制作されていますよね。作品の写真はどれもちゃんとセッティングしているわけでもないし、ピントも合ってない(笑)。撮りっぱなしですよね。野村さんの部屋も一緒に写っていますし(笑)。

野村

そう。写真に写っているとおり、きたないところに住んでるわけですよ(笑)。そういう感じを見る側に見せることが大事だと思っている。

ケンゴ

その作品のキャラクター、「エキスドラ」や「花の子エリカ」ですが、彼等が登場する場所は、今野村さんが言ったとおり、非常に日常的な生活の光景の中ですよね。

野村

大きなものを扱おう、ということではなくて小さなものを大きくしようということなんですね。小さな自分の世界を神話化させようというか。つまりある神話を持ってきて、その大きな世界を表現しようということではなくて、自分でつくりあげた小さなところをこじ開けて大きくしていこうということなんです。

ケンゴ

小さな、ある意味ではくだらないこと、そんな何でもない日常の場で撮り続けたイメージが積み重なって、ある物語が現われてくるということですか。

アート君

「エキスドラ」の始まり 1997
(c) Hiroshi Nomura

野村

そう。他人の物語を借りてくるのではなくて、自分がつくりだした物語をどうリアリティあるものにするか。ただ、僕個人だけの世界で物語を広げていくのかというとそうではなくて、いろんな人がその物語を共有できるようにしているんです。

ケンゴ

たしかに野村さんの作品にするキャラクター達はどこかで見たことがあるような親しみのあるものですものね。

野村

「これは僕の世界です」ということは言えるんですが、そう言いつつもそういった他の世界のものを少しずつ混ぜ合わせて架空の自分の世界をつくりあげているわけです。そうすることで他人と共有できるし、なおかつ自分でつくっている気でいられる。キャラクターを複数つくっているのも、要するに自分をたくさん増やしているわけなんですよ。

アート君

「エキスドラ」の始まり 1997
(c) Hiroshi Nomura

ケンゴ

「エキスドラ」、「花の子エリカ」、「アート君」、りんごや花といったキャラクター達ですね。

野村

自分というものを複数化して、もしかしたらひとつのものしかつくれてないのかもしれないけれど、それを嘘でもいいから次々と割り込ませていくわけ。だから非常に個人的な世界でもあるし、他人が参入できる間口の広い世界とも言えると思うんです。「アート君」というキャラクターにはもうひとつ「A君」という名前があるんです。「A君」というのはみんなが共有している名前。

ケンゴ

仮名、匿名性としての「A」ですね。

野村

「アート君」というのは僕個人のキャラクターとしての名前。つまり僕のキャラクターでありみんなのキャラクターであるという意味があるんです。

 

The Genesis of the Exdora World 1997

「エキスドラ」の始まり 1997
(c) Hiroshi Nomura

ケンゴ

最近はペインティングも手がけているそうですが、絵は描けなかったんじゃないんですか(笑)。

野村

もちろん彼等(キャラクター達)がいなければ描けないんですけれど。それまでの作品は自分のイメージを現実の世界に重ね合わせるというやり方だったんですが、だんだんイメージの方が強くなってきたわけです。

ケンゴ

イメージが膨れ上がって独り歩きするようになったということですか。

野村

そう。そうなると写真では限界があるので、じゃあ、それなら絵も描こうと。写真で説明し過ぎるとフィクションが削ぎ落とされてしまうので。

ケンゴ

彼等の物語はまだまだ続くわけですね。

野村浩 サイン
野村

そうですね。僕はけっこうしつこいんですよ(笑)。この世界の答えがいつかでればいいけれどね。

(東京、青山のデザイン事務所にて)

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