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キュレーターノート
森 司
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第一回:2000.7.5〜

  7月5日
 「野村仁―生命の起源:宇宙・太陽・DNA」のオープンまで後1ヶ月となった。ヒト月なんかあっと言う間に経ってしまう。これからヒト月は、野村展準備一色の毎日となる。楽しくもキツイ。何度経験してもシビレル。集荷に突入するまでの2週間は、DVDビデオの仕上げにかかりながら、各手配と段取りに追われる。数日前に納品されたポスターの刷り上がりはとても良く、個人的には大層満足。さらに開発されたばかりの不思議な光沢感のある用紙カルレを使ったチラシも評判が良い。何はともあれ良いことだ。

7月6日
 展覧会準備に追われ、気になる展覧会を見に出かけることもままならない日々だが、前々から予定していたクリスト&ジャンヌ=クロードのライヒスタークのプロジェクトの映画「議事堂を梱包する」のドイツ文化会館での試写会に出かけた。DVDビデオのテロップ原稿の整理をしているためか、いつもなら気にしないフィルムそのものの処理がとても気になる。しかしおかげで、ずっと気持ちが定まらず、揺れていたが音入れの必要を痛感。今とりかかっている、野村仁を代表とするソーラー・パワー・ラボが昨年実施したソーラーカーによるアメリカ大陸横断のドキュメントフィルムの始まりと終わりには音楽を入れる決心がついた。クリストのフィルムそのもは、一見の価値あり。9月16日から24日まで国際交流基金フォーラムで上映される。9月16日にはクリスト&ジャンヌ=クロードの講演会が2時から予定されるらしい。詳しくは、電話03−3475−7734「議事堂を梱包する」上映委員会までお問い合わせあれ。

7月7日
 野村仁展関連事業で講義をお願いする池内了教授が学会でつくばに来ているので朝なら時間をいただけるとのご連絡をいただき、担当の水谷と挨拶にうかがう。9月23日(土・祝)午後2時から3時30分「泡立つ宇宙とソーラーパワー」。要電話予約029−225−3555。自分の企画の宣伝だけで今日はおしまい。

7月12日
 野村展で水耕栽培システムで展覧会会場でサラダ菜を育てる作品を展示するため、種の発芽のお世話をしてくれる農家の方に種等をお届けにあがりながら、今後の段取りの最終確認を行い、諸々お願いして辞す。午後は、小中学校の理科の先生方のあつまりにお邪魔し、展覧会の説明と関連事業の説明をする。

7月14日
 野村氏と電話を使ってHAASプロジェクトのドキュメントビデオのためのテロップ挿入位置の確認を双方モニターを見ながら行う。

7月15日
 久しぶりに画廊を歩く。この間逃した展覧会は数知れず。まだまだその状況は続く。その後、デザイナーのカズヤコンドウ氏の吉祥寺の事務所を訪ね、明日に予定している編集に持ち込む、タイトルと音源、最後の構成等々打ち合わせを行う。

7月16日
 10時から秋葉原にある編集スタジオ、モリゴさんで、HAASのアメリカ横断記録の最終編集作業に突入。徹夜明けのデザイナー、カズヤコンドウ氏と合流し、作業にかかる。彼の用意したタイトルCGのレンダリングやCDからの音源のダビング等、手早くさばいてもらったあと、テロップ入れや、ノイズカット等の編集作業を敢行する。スタッフロールも縦に流れる本格仕様。音楽は、野村作品の中から、月と鳥のスコアー曲を使った。43分のマスターテープは作家のOKが出しだい、DVDビデオへと加工され、カタログにビルトインされる。もちろん展覧会会場でも見ることができる。がんばって全編みていただきたいものだ。全ての作業が終わったのは22時30分。皆既月食を見ることはできなかった。

7月17日
 発売を予定している8枚のポストカードの色校正をし、さらに2紙校正をだしてもらうことにする。今回の野村展には火星の風景を3Dメガネで立体視する作品を展示する。そのためのメガネのデザインの最終決定をして金型の手配にかからないと8月3日の納品に間に合わない。今日がそのデッド。毎日何かの締め切りが待ちかまえている。でそのメガネだが、イイカンジのデザインだ。カタログにも3D対応の2色刷りを観音で掲載する予定なので、カタログにもこのいかしたメガネが付いてくる。なんだかんだで22時はすぐにやってきた。

7月18日
 早朝に部門会議。午後、野村仁展で使用する液化酸素の搬入ルートの確認と輸送体制の確認を行う。-183度の液化酸素は淡いブルーのとても綺麗な色をしている。これを6本のガラス魔法瓶にそそぎ込んだ作品を展示する。夕方、地元新聞社の記者の野村展に関する取材。この間に、16日にスタジオ編集したHAASのテープを確認した野村氏と連絡を取り合う。テロップの修正案が出され、急遽、明日、スタジオにて手を加えることになり、先日お世話になったモリゴの菊池さんに連等等をして午前中の2時間の予約を入れる。マスターテープを明日の12時までに入れないと、その後のスケジュールが狂い、8月3日の納品がアウトになる。13時までに必ずいれることで了解をとる。その一方で、20日からの作品集荷に関する一連の確認の連絡を入れる。14時間があっというまに過ぎた。集荷から戻れば、展示。8月5日のオープニングに一気に流れ込む。これからはモノ(作品)が動く。事故がないことを願いながら、各種保険の加入手続きを終える。

7月26日(20日〜25日)
 7月20日から出た出張から、雨の中戻る。前日3時過ぎまでイタズラに夜更かしをしたため寝過ごし、慌ただしく家を出た。降り立った豊田市駅は、蒸しかえっていた。おもわず乗ったタクシーの運転手が「今日はまだ良いですよ。昨日は37度までなりましたから。」と話してくれる。この時はキンキンに冷え切ったタクシーの中で聞いたためか、実感がない。集荷3日目の京都市芸大での集荷中に気温が35度を越えていると聞いた途端、気持ちが夏ばてモードに入ってしまい、心身共に持ち直すまで今日までかかった。結果として、猛暑のなか、私は野村仁展のための4日間に渡る作品集荷の旅をしていたことになる。
 どのような作品を集荷したかは、この後の日付で必ず記すことになるだろうから、この間におきた幾つかのことをノートしておく。20日は豊田市美術館を訪ねたアン・ハミルトンに期せずして合うことができた。外に出ることは良いことだ。夜間、京都入りし、21日は奈良方面と京都4カ所で作品をお借りし、夜は、西宮市大谷記念美術館で1日だけ開催される、藤本由紀夫展「美術館の遠足」に出かけていった。8時頃に香櫨園駅からぞろぞろと美術館に向かう人で流れができるその光景自体を楽しみながら、たどりつくとそこは人で沸き返っていた。見知った作品が気持ちよく展示された様は、気持ち良かった。
 この美術館から国立国際美術館に移った、大学同期の中井(康之)の案内で会場を回ったあと、早々に引き上げ、駅で久しぶりに楽しいお酒を飲んだ。店を後にして、暢気に乗っていた電車は宿の最寄り駅までの最終であった。なんと危ない
 22日は京都芸大と宇治に作品を集荷。集荷後に、野村先生と渇いた喉を、三条のビアガーデンで潤し生き返る。
 23日は朝7時30分に出発し、和歌山県立近代美術館に作品を借用に行く。この後の予定が変更になったので、久しぶりに気持ちがゆっくりしたためか、和歌山から戻る列車ではなんばまで瀑睡する。
 24日午前中は、中井が担当する「近作展25 東島剛」の展示作業3日目の会場を訪ねた。飲んだ日に、会期中にお邪魔できないことを残念がったら、快く誘ってくれた。東島氏には95年に自分が企画した「絵画考」に大作を出品してもらいお世話になった。彼自身にも久しぶりに合いたかったこともあって訪ねた会場は、まだ一部の作品は壁に借り置きされた状態ではあったが、作家の6年間の歩みが一望できた。やはり実力のある作家だと思う。作品のセレクションもムダが無く、一見然り気なく、その実かなり手際のよい仕込みが企画した中井学芸員になされている同展は、ミロスワフ・バウカ展と併せて9月3日まで開催される。是非、足を運ばれることをお勧めする。彼らと昼食を取ったあと、満たされた気持ちで京都芸大に向かう。今回の展覧会のために用意された作品がその全貌の一部を見せてくれたのは夜の8時を廻った時だった。自然と笑みがこぼれてしまう。予定している場所に展示された完成した姿を見たことで、一気にその部屋全体の空間が立ち上がり、予定する3点の作品が場を満たすシーンが頭に浮かんだ。9時過ぎに大学を先生と出て、そのままご自宅をお邪魔して、カタログその他の打ち合わせを深夜までさせていただいた。明けた今日25日は大阪から戻りそのまま、DVDビデオの制作をお願いしている事務所に入り、再テスト版を見せてもらう。一端、8月26日(土)2時から「変化する水惑星―地球」の講義をお願いしている松井孝典教授を東大に水谷と訪ね、ご挨拶と打ち合わせをする。1時間ほど、水谷から留守中の経過を聞いた後、また、秋葉原にもどり、ディスク版での確認を終え、最終OKを7時前にだす。これで8月5日のオープニングに間に合うことが確定した。26日から壁面工事がはじまり、27日9時には作品が搬入される。集荷が終わり、明日からは展示作業へフェイズが変わる。

[もり つかさ 水戸芸術館現代美術センター学芸員]






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