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キュレーターノート      森 司 .


第二回:2000.7.27〜
8月27日
展示作業を始めた7月27日から1ヶ月経った今日、やっとのことでキュレーターノートに向かう。予定をしていた展示会場風景の再撮影が明日、28日の朝からとなったため、予定外の休みが入った。昼飯前に、久しぶりに近所の書店を覗いたら、新潮社から鈴木正文氏を編集長とする新刊雑誌『ENGINE』が並んでいた。迷わず買う。鈴木正文氏は車雑誌『NAVI』の編集長をある日降板した。車からファッション、生活領域までカバーするスタイルが強く見え始め、これから面白くなるぞと個人的に思っていた矢先のことであった。『ENGINE』の表紙を目にした時に、不思議と待っていたものがそこにある気がした。その予感はあたっていた。一冊の雑誌に目を通すのにこれほど時間を要したのは久しぶりのことだ。長く続いてくれると良いと思う。
昼食時のワインで気持ちよくなり昼寝をした。夕方になって近くの市民プールに今年初めて泳ぎに行く。来年は海に行きたいものだ。
夜になって(正確には28日の日付になっている)、夏休みの宿題をかけ込みでするような学生のように、あわてて日誌を書き始めた次第だ。(締め切りはもう目の前)本当にこの1ヶ月は1日の区切りのない連続した毎日で、弾丸のように24時間x30日=720時間は過ぎ去っていった。
スケジュール表を見ることさえ久しぶりだ…………
………7月27日
9時30分集合にしてあるので、安全をとって8時30分入りをする。案の定9時には、クレーンが着き、関西からも作品が到着し、翼を固定する作業を担当する松下アートとモノ工房の宮本さんらが到着。簡単な段取り確認をし、それぞれの作業にとりかかる。3時には作品の搬入は終り月岡梱包輸送さんは引き上げた。22時まで作業をし、一つ目のYS11の尾翼の仮固定と二つめの尾翼のための支持帯の取り付けまで終わる。
7月28日
朝から作業。22時過ぎに二つの翼がしっかりと壁に固定され、仮設の壁面の処理も終わる。
7月29日
大雨の影響で新幹線が遅れただけ、到着が遅れはしたものの、昼前に野村先生が会場入りする。食事前に会場の確認を貰い、午後からの作業段取りの打ち合わせを行う。翼に隕石を設置する映像の撮影のために、「土曜美の朝」のNHKのクルーは朝からスタンバイして待っている。午後、野村先生が隕石の設置をしている間、30日のNHK−BS2「おーい、ニッポン 今日はとことん茨城県」のための打ち合わせと明日朝の「おはよう日本」のための打ち合わせを行う。そうこうしている間に、明日、ソーラーカー《サンストラクチャー99》を生放送中に走行させるためのスタッフとして、実際にアメリカを横断してきたHAASのメンバー5人が到着する。彼らには8月6日の報告会もお願いしているので、夜食事をしながらの打ちせを持つ。この日は、芸術館最寄りのホテルに泊まる。
7月30日
朝3時近くまで起きていたため5時の起床は辛い。身体をベットから矧がすようにして起き出してシャワーを浴び芸術館に向かう。5時30分入りの指定で6時からテスト。7時20分頃に生本番と言うわけだが、身体がまったく起きていないため、声が出ず、質問にまともに答えることもできない状態で7時を廻る。本番ではなんとかなったようで助かった。(翌日、ヴェニスに住む知人から向こうでは夜の国際放送として流れる「おはよう日本」で見たよとメールを貰う。ずっと後になって隣のおじさんにも言われた。)8時過ぎにホテルに戻り朝食を取りに食堂に行くと、野村先生が食事を終える時だった。「見ましたよ」と挨拶される。野村先生とそこで10時頃まで話し込む。BS2「おーい、ニッポン 今日はとことん茨城県」は10時からスタートしているものの、ソーラーカーの登場は、午後2時過ぎ。10時30分過ぎに野村先生と前後して会場入りしたら、HAASのメンバーによって完璧に準備は終わっていた。BS対応だけの日程にしてあるので展示作業はお休み。出番が終わった5時過ぎには館を後にして、野村先生と二人でゆっくりと食事をする。
7月31日
今日から展示作業が本格化する。今回展示をお願いした山九の福井さんのチームが9時30分前に会場入りする、仮置きされた作品を展示予定場所に移動させ、順次解梱作業を始める。二つの無限大の形をした作品の展示を終える。
8月28日
避難訓練をしている脇で、早朝からインスタレーション風景の再撮影。本撮影は8月7、8日の両日。初日も10時過ぎまでの撮影をし、8日は朝6時からの撮影といったハードスケジュールでの撮影で、取りこぼしのない撮影をしてもらっていたのだが、撮り下ろし写真のみで構成する巻頭40頁のレイアウトを見ながら野村先生宅でカタログに関する打ち合わせをした結果、作品物撮りも含めて複数カットの撮影をお願いすることになったからだ。撮影はカメラマンの中野正貴氏。リトル・モアから写真集『TOKYO NOBODY』の出版に合わせて、リトルモア・ギャラリーにて8月18日(金)から9月8日(金)まで個展が開催される。その取材等の合間を縫って駆けつけてもらった。明日29日は来年度事業計画のための企画会議がある。そのための準備を急いでしなければならいないが、その前にもう少し、8月1日から今日までのことのことを書かないと……
………というわけで、8月1日、展示作業2日目
8時にギャラリーに入って展示計画を練る。作品が開梱されて会場に仮置きされると、具体的に座りの悪いところが見えてくる。不具合が目に見える。肌で感じると言ってもいい。会場と作品が声を合わせて教えてくれる。「ここは間違っている」よと。その声を耳におお急ぎで適切な展示場所を探し求め、誰もいない会場を歩き廻る。急がないと人が来る。そうすれば空気が乱れ、ささやき声はかき消される。そう、展覧会は人知れず朝作られるものなんだ。
9時を過ぎたころ、山九さんのチームが入ってくる。今しがた決めたばかりの変更を迷うことなく告げ作品の場所を移動する。借り置きをして正解がどうか作品が教えてくれるのを、息を殺してしばし待つ。作品が全てを教えてくれる。僕はそう信じている。
そうこうしている内に「土曜美の朝」のためのNHK撮影スタッフが2回目の収録のために到着。10時前に野村先生も入る。昨日8室に仮置きしたユンボにコスチュームを着せながら本展示作業に入る。10時30分、13日まで学芸実習を受ける9人の学生さんたちに、実習担当学芸員として挨拶をし2週間の流れについて説明する。そして急いで現場に戻る。その間20分。午後から取りかかった3室の隕石の壁への取り付けは思いのほか時間を要す。この間を利用して、先生と一緒に先のパワーシャベルに宇宙服を着せる作業に専念。7室に展示する予定の作品を都内集荷に行っていた水谷学芸員(本展サブ担当)が夕方到着。
なんだかんだの作業は深夜まで及び予定外のホテル泊まり。ホテルでシャワーを浴びている時に、展示プランの間違いに気がつく。より座りの良いプランが頭に浮かぶ。たぶんそれが正解なんだろうと思いながら床につく。
8月2日(水曜日)展示作業3日目
7時過ぎにホテルを出て、展示室に入り、作品の位置を検証する。どうやらイメージが立ち上がって来そうな予感が出てきた。そのプランを昨日同様、山九さんに伝え、作品を移動させる。掛けてみれば判定はでる。後はまだ半分以上も残っている展示を迷わず進めるだけだ。展示には技量が出る。どこまで見えているのか一目瞭然だ。それ故に面白い。出来つつある空間とそうでない空間が展示作業中は入り交じる。ある部屋の精度が上がると、その代償として作り込みの甘い部分の粗雑さが浮きだってくる。最終的には空間のテイストを同一の方向性とレベルに仕立てあげつつ、それでいてリズムある良い感じの粗密感を誕生させなければならいない。と思いながら展示をチェックしていく。しかし幸いにして今回は上手くいった。広い空間を生み出すことが出来た。実空間よりも広く見える展示会場で、息づきはじめた作品たちを見て嬉しくなる。終わりの見えた9時過ぎに1日の作業を終え、野村先生と二人で近海モノを美味しく食べさせてくれる店に出かけ、幸せな気分に浸る。瀬戸内海の海の幸で育っ
た野村先生は、夏牡蛎と秋刀魚の刺身と天然ホヤ(海鞘)といった東ならではの海の幸を喜ばれていた。

8月3日(月曜日)展示作業4日目
まだ未展示の部分があるというのに、朝のチェックで気になってしまった箇所の修正を山ほどお願いする。10時に液化酸素が到着。初めて6本のガラス魔法瓶に液化酸素を注ぎ入れる。

8月4日のフェイス説明会でこの作品がいかに魅力的で危ないものか知らさせる。そのため、明け方4時までの作業が続き、夜が明けた5日のオープンを迎えることになる。そのまま関連事業と撮影。さらには実習生対応に13日まで追われることとなる。
お盆に休みをとり、翌週の8月21日から24日までは大阪に泊まり野村先生とカタログに掲載する写真の整理と確認を終える。気がついたら夏が終わろうとしていた。
[もり つかさ 水戸芸術館現代美術センター学芸員]
野村仁−生命の起源:宇宙・太陽・DNA
会場:水戸芸術館現代美術センター
会期:2000年8月5日〜10月15日

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