キュレーターノート | 森 司 | . |
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第4回:2000.10.1〜
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10月2日(月) 曇り。冷えた感じが気持ちいい。休館日のため、静かな職場に少ない電話。郵便物の整理をし、明日提出の重要書類の作成他。最近3年目を迎える愛用のマックがフリーズし易くなった。今日も幾度かフリーズする。思い切ってデータやアプリケーション類を大量に捨てる。気分としてシャープな感じが蘇る。不思議なことにマックには浮気心が通じるらしい。前回は本気で買い換えを検討したとたんダウンし、どうにもならなくなって今のこれを買った。でも今回は買い換えは当分先、デジカメが先だ。不幸は重なるようで、目茶データの重いメールが何十本も入ってきてくる。 10月3日(火) 小雨がぱらついたが、午後から秋晴れ、体感温度は気持ちがいい。予定の電車に乗り損ない特急に乗る羽目になり、通勤に1900円の特別出費。時間をお金で買った。10時から部門会議。11時15分から酸素注入の儀。作品を借用する和歌山県立近代美術館の浜田学芸課長が来館。D2000の仲間の一行(マクドナルド上山さん。アサヒビール山城氏。日産渡辺氏。村田真とメセナ協議会の荻原さん)が来館。彼らは、きむらとしろうじんじんの野点WSに参加し絵付けを楽しんだ後、野村展を視察。ギャラリーガイドする。 10月5日(木) 曇りのち晴れ。気持ちがいい。午前中は液化酸素注入当番を務め、午後はネットプロバイダーに連絡したり、OFF日のじんじんさんと館内カフェでお茶したりと、総じてゆっくり目に過ごし、6時30分に退館。 10月6日(金) 今日も、曇りのち晴れ。午前中根つめてデスクワークをこなす。午後、米子を震源地に大きな地震、大惨事にはならず。 10月7日(土) 液化酸素が納品されると思い、早めの水戸芸術館入り。でも納品は水曜日で空振り。浮いた時間で机廻りと郵便物の整理をし11時から液化酸素注入。午後2時からキュレータートーク。宇都宮市美術館の岡本氏がご家族で。その他来客多数。 10月9日(月) 上野で「ジャンポールゴルチェ展」を堪能。装飾イベントに参加し、お土産に記念写真と香水をもらう。日暮里に移動する頃には雨もあがる。アートフォーラム谷中で「ゲムシェン ゼエムルパ」を見て、ART BY XEROXが主催する「寿限無2000展 FAKE」の会場SCAI THE BATHHOUSEに向かう。ちょうど泉澤氏がギャラリーガイドをしている現場に遭遇。お話上手だ。続いて「ART LINK上野−谷中2000/スキマ・プロジェクト」参加作品、増山士郎の「ITAZURART2000」を見る。落ちている500円を拾おうと触れるとストロボフラッシュが点滅。さらに郵便受けを覗くとその時の映像が流れている。何とも楽しい。面白い作家だ。交番に「初音の道」を聞き、且つ、芸工展の地図を手がかりに初音の道を探索。アートリンクと芸工展やらが同時に開催されていてよく分からない状況。赤塚べつ甲店ほかを覗きながら谷中学校に。その先の薬膳カレー店で3時からの昼食。4時過ぎてから「初音の道・道草散歩」主宰の椎原さんと谷中学校で合流し、CASAで開かれている初音の道環境アートプロジェクト展を見る。KNOT WORKSの櫛田拓哉、刈込英之のふたりから「回覧植物」の話を聞く。その後、渋谷経由でナディフに向かい、武満徹「SONGS」+大竹伸朗展を見る。記念にポストカードを購入。かなりいけてる。ゆっくりし過ぎて、慌ててタクシーで東京オペラシティアートギャラリーに向かう。入館締め切り5分前の7時25分に到着。会場ではヨーブ・クルワインのトランポリンを若い女性がムキになって休憩を取りながら延々と繰り返しチャレンジしているし、若いカップルはジャンヌ・ファン・ヒースウェイクの展示作品<線を引こう>(2000)の陣取りゲームに熱中していた。「テリトリー」の最終日で明日からの撤収解体前の記念にと、ビック・ファン・デル・ポル「スリープ・ウイズ・ミー」の畳の間で開く内輪のお疲れさま会に誘われ混ぜてもらう。楽しかったなー。どうもありがとう片岡さん。帰ると越後妻有の松代町から新米が届いていた。 10月10日(火) 昨日見たオランダの6作家のグループ展「TERRITORY」のカタログに目を通す。Witte de with(ロッテルダム)のキュレーター、ダニヤ・エルスティート氏が、ヨーロッパ現代美術ビエンナーレ「Manifesta3」(6月23日から9月24日。スロベニアのリュブリャーナにて開催)とオランダの手厚い保護政策的文化政策に関し言及するテキストが収録されていた。ちなみにマニフェスタ。キュレーターは、フランチェスコ・ボナミ、オレ・ボーマン、マリア・ウラヴァヨハ、キャサリン・ロンバーグの4人。横浜トリエンアーレも同様に4人のコミッショナー体制だ。何も日本だけじゃないんだなこれが。ちなみに「テリトリー」(8月2日〜10月9日)の交換展として6月からオランダ本国で「ダーク・ミラーズ・オブ・ジャパン(日本の暗い鏡)」がアムステルダムのデ・アペル現代美術センター(館長:サスキア・ボス)で開催され、6人作家が紹介された。()内は解説文執筆者。奈良美智(Michael Darling)、落合多武(松井みどり)、小沢剛(神谷幸)、嶋田美子(笠原美智子)、鳥光桃代(神谷幸)、柳幸典(Bert Winther-Tamaki)。同展の気の利いたカタログはNADIFFで入手可能。夜は10年前に豊田商事と戦った中坊さんの話をNHK特集で見ていたく感動。 10月11日(水) 快晴。午前中は定例の部門会議。昼から戻ると、京都市美術館の篠学芸課長が来館されていた。同館からは「北緯35度」をお借りしている。野村先生より連絡あり撤去立ち会いのために来館されるとのこと。 10月12日(木) 快晴。液化酸素の当番を務め、夕方6時からスタートのじんじんWSに10時過ぎまで立ち会う。夜は風が強くさすがに冷えた。WS終了は午前1時過ぎの予定。 10月13日(金) ふらっと散歩に出たくなってしまうほどの秋晴れ。しかし今日も、終日水戸芸術館勤務。最後の液体酸素の搬入のため早めの水戸芸入りをし、僕の最終当番としての液体酸素注入を11時から行う。夕方、読売新聞文化事業部陶山氏の来館があり、閉館後そろって食事に出る。 10月15日(日) 田中康夫長野県知事に当選。 10月16日(月) 今日も快晴。撤去作業初日。水谷学芸員が作品コンディションチェックを担当。何はなくともガラス作品だけはとばかりに、午前中に梱包を終えて一安心。野村先生が着かれ、翼の隕石部分ほか大切な箇所の撤去の指示をいただく。7時から野村先生と夕飯。 10月17日(火) ありがたいことに快晴。撤去作業2日目。順調に撤去作業は進み7時には作業終了。 10月18日(水) 快晴。撤去作業三日目。9時30分松下アートさんが入り、翼の撤去を始める。午後、紙のことでいつもお世話になっている株式会社竹尾の伊藤さんが、福岡支店長としてに10月30日付けで赴任することになってわざわざ挨拶に来てくれた。午後7時には綺麗に翼の撤去終了。撤去は展示の3分の1で済むというけれど、あっと言う間に展覧会は跡形もなく消えた。 10月19日(木) 快晴。月岡梱包さんの1便は9時予定通りに到着し、9時30分壁修復の業者入り。ここまでは順調だった。ところが、月岡梱包さんの2便は渋滞で大幅に到着が遅れ、3便の大型車両が到着したのはなんと午後4時過ぎ。結局8時過ぎまでかかり積み込み終了。 10月20日(金) 作品返却初日。関空経由で最初の返却地、和歌山県立近代美術館に向かう。3時間かけて作品を終え、キリンプラザ大阪での束芋展のオープニングに向かう。「にっぽんの台所」で1999年度のキリンコンテンポラリーアワード最優秀作品賞を23歳で受賞した彼女の作品を目にするのは今回が初めて。新作「にっぽんの湯屋(男湯)」「ユメ・ニッキ・ニッポン」「にっぽんの横断歩道」と「ジャパーニス・キッチン」併せて一挙に5本を見ていたく堪能。できたらもう一度会期中に訪ねたい感じ。この先一気にブレイクすることだろう(もう水面下ではしてるんだろうな)。原久子さんらと夕食をする。 10月21日(土) 作品返却2日目。梅田から豊田市美術館に移動。名鉄豊田市駅を降りると、小旗を手にする児童や大人で駅前のロータリー沿いに人だかり。ヤワラちゃんのパレードがあと10分で始まるとのこと。ということは10時からだが、僕は10時から作品返却の約束をしている。興味はわいたが美術館に向かう。10時からスタトーした返却も、がんばった甲斐があり4時には終了。黒田辰秋展も見せていただく。TAM名古屋大会で名古屋事務局としてお世話になったマッチング・モールの池田さんに車を出してもらって、白土舎の高橋信行「デラックスツイン」展を皮切りに、ウエストベスギャラリーkozuka (過日、資料を携え芸術館を訪ねてくれた、ふるかわひでたかさんの作品「神なき楽園」が置いてあった)と、タキケンジギャラリーを一気に廻り、そのまま勢いで西春日井の“dot”まで足を延ばす。元スーパーマケットだったため、会場はかなり広い。愛知芸大のOB他の自主運営空間で、昭和40年会のパルコ木ノ下が外壁窓枠に書き残したペインティングが残っている。最後は、名古屋市内に再び戻りアートカフェの特集でとりあげたcanolfanを訪ねる。dotで思いっきり気持ちいい写真作品をずらりと展示していた奥野規の作品が2点あり、良い感じですねとオーナーの新見さんに伝えると、本人が隣のお店に居るから紹介するとの弁。しばし歓談の後、ちょっとばかし旨いお店で遅い夕食をして、京都山科に帰り着く。 10月22日(日) 作品返却3日目。郡山のギャリーkuranukiのスタジオに作品を届け、野村ガラス作品の一大コレクターである田中恒子先生のご自宅に作品を届け、開梱し、元あった場所に展示して、返却終了。大学人として公務に忙しい田中先生の楽しみにて気分転換のイベントの一つであるお昼の大会食会にそのまま招待された形で、同行の月岡梱包さんとの残る。展示が終わった頃に、他のゲストも到着。以前kuranukuで野村先生を担当されていた石田克哉さん(現、MEM INC)や京都芸大生の児島サコさんや関西ならではのメンバーが到着。田中先生ごちそうさまでした! 10月23日(月) 作品返却4日目。天気予報の予報通り雨。京都芸術大学に最初に行き、午後からの宇治にある野村アトリエにソラーカー他を格納。大学では児島サコが教室に作品を並べて待ってくれていたのでそれを少しの時間見せてもらう。宇治からは、先生の教え子で、ソーラーカー造りにはなくてはならない国府君が京都芸術センターまで乗せてくれた。野村先生と一緒に、大学助手の一人である名和晃平さんが中心となって開催したブーメラン・アート・プロジェクトを見せてもらう。併せてジャン=ルイ・ボワシエの美しい作品を鑑賞。そういえば、京都芸術センターが刊行している批評誌、Diatxt(ダイアテキスト)の表3(裏表紙)を束芋さんの作品が飾っている。特集も面白い。この後3人でお疲れさまの夕食を共にする。 10月24日(火) 作品返却5日目。天候も持ち直してやれやれ。京都市美術館とギャラリー16に作品返却をし、大阪南港に向かう。早く着いたためATCミュージアムで大阪市立近代美術館(仮称)コレクション展2000「写真/絵画/平面」を見る。2時に野村先生と落ち合い、ATCにソーラーカーの展示台を届け、すべての返却を終える。東京展を見損なった杉山知子さんの個展を見るためにサイギャラリーに寄り、もう一件kodama画廊にたち寄って帰路につく。 10月28日(土) テレビゲーム展オープニングがオープンする。会期は2001年1月28日まで。 10月29日(日) 雨の中ROCKETでの「do create in Tokyo」by Droog Design & Do」を見に出かける。村上隆がDo hitした椅子とその模様のビデオが上映されていた。NADIFFに寄り、本を数点お願いする。青山円形劇場(こどもの城3F)で弘前劇場の『冬の入口』を鑑賞。これが今日のメインメニュー。余韻と間の大人の芝居。鍛えられた役者。いいものを見せてもらった。会場で、長谷川孝治氏に名古屋以来2ヶ月ぶりに再会する。まだ早いので、代官山ヒルサイドプラザで開催中のPOLARを見学。運良くキャンセルが出て、インタラクティブ・メディアインスタレーション作品を体験させてもらえた。(感謝)帰りがけに見えてしまったバックヤードがすごいことになっていた(スゲー)。もう一カ所と欲張ってタクシーで東京オペラシティーに向かう。ギャラリー5で本を見繕い送ってもらうように店長に頼む。Project Nでの佐々木誠(ささきまこと)「ハートビート・ドローイング・インスタレーションわたしをあなたとよぶ」展とLUC TUYMANS(リュック・タイマンス)「SINCERELY」展を見る。 10月31日(火) 快晴。コントルポアンに取り置きしてあった展覧会のカタログ、Emotiomをもって帰る。98年10月30日から99年1月17日までハンブルグで開催されたGoetzコレクションを借りた企画展でイギリスはYBA世代、アメリカはマシューバーニーを筆頭に各国9名ずつ計18人が紹介されている。90年代のイギリスアートシーンの変貌ぶりについて記述されたのテキストが面白い。ダミアン・ハーストの名前と彼が組織したフリーズの記述は多数出てくるが、本人作品の展示はない。 |
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[もり つかさ 水戸芸術館現代美術センター学芸員] |
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