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Reviews&Guide
倉石信乃
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写真の行方、写真の不在
 

★1
ポール・ドラローシュ
[1797-1856]フランス
肖像画を得意とするロマン派の
画家として人気を集めた



今日から絵画は死んだ。19世紀フランスのアカデミックな画家ポール・ドラローシュ
[★1]が写真の誕生に際して、そう叫んだにもかかわらず、その後絵画が延命したのは周知の通りだ。しかし、現在の映像文化にとっての転換期、ドラローシュの嘆息を模倣して口にしてみるのも一興だろう。「今日から写真は死んだ」。このフレーズに含まれる愚鈍な反復の響きこそが、つかの間か当分か、写真を延命させる「気付け薬」になるかもしれない。

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何によって絵画は延命したのか。それがすべてではないにせよ、他ならぬ後続するテクノロジー、つまり写真によってである。写真は、絵画の形骸化した表現領域であった記録的な肖像画や風景・建築といった主題を引き受けた。この切り離しによって絵画は自由を確保したかに見える。あらかじめ定められた主題の拘束からの自由。さらに絵画は折に触れ、写真の再現力・迫真性・物語の叙述性、文字との提携能力などを自らに繰り込むことで、己の表現語彙を殖やした。1930年代と1980年代は、そうした写真の美術への繰り込みが活性化した時代として記憶され、とりわけ前者は「モダニズム」、後者は「ポストモダニズム」の美術の典型を形成すると見られてきた。

映画史
『ゴダールの映画史』より
写真提供:(c)フランス映画社

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それでは、写真は何によって延命しうるか。やはり、後続するテクノロジーを新たな基盤とするメディアとの「棲み分け」によってだろうか。そして、絵画にとっての写真のごとき、後続する有力なテクノロジーは何か。映画、ヴィデオ、コンピュータ・グラフィックス、かつそれぞれのデジタル化された映像のことだろうか。しかし静止画と動画の棲み分けは、すでに少なくない年月に及んでいる。注意すべきなのは、ジャン=リュック・ゴダールが言うように、映画は絵画を起源とする古いメディアであるということだ。補足すれば、『パッション』以後のゴダール作品が体現するように、映画は依然として絵画的たりうるし、むしろそうでなければならない局面を捏造して芸術となる一方、かえって写真のピクトリアリズムはすでに滅びた。この点で映画と絵画の近接性は、写真とヴィデオのそれと同型的である。映画=絵画と写真=ヴィデオの間に一本の切断線があり、後者は前者を批評することで歴史にする、あるいは歴史を再編する。ヴィデオ作品である『ゴダールの映画史』とは、いわば絵画批判としての写真作品なのであり、つまりゴダールは歴史の連続/切断に介入する「写真家」、まさに例外的に正統的なポストモダンの「写真家」である。

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写真の延命と死に関するディスコースの主要路をたどってみる。現在進行する、写真自体の連続/切断と見える事態について考えること。一つの消失点をもつ透視図法または遠近法と、目=レンズの生理学的な条件に依拠する映像の生産システムとが、ランダムに散逸し、しかも信号化された光点の散らばりによって編成される電気的な写真に移行するといったことだ。「ポスト写真主義者」ならば、ここに至り、「カメラ」の有無はほとんど意味をなさなくなると断じるだろう。確かに、高度化した、衛星「写真」や顕微鏡「写真」がそうであるように、後から可視的・再現的に画像を提示するための、信号化されうる情報を獲得しさえすれば事足りるのである。そうした画像をも、われわれは不注意に「写真」と呼ぶが、それはほとんど慣習的な振舞いに過ぎない。写真の不在はすでに恒常化しているのだ。少なくとも、カメラ・オブスキュラと銀塩の平面との提携に基づく従来の写真が、決定的に不在となるべき条件は整っている。写真の不在への危機は、カメラへのフェティシズムを煽動し、日本において特権的な市場を形成させるに至っている。マシニズムへの思慕はまた、近代の産業社会の青春あるいは故郷回帰をモチーフとするが、写真自体がノスタルジーの「みしるし」なのではない。写真はあくまでも愛でる銃器のための、試射の残骸なのであり、カメラに比べれば取り立てて顧慮すべきいわれは微塵もない。ここに「写真」は不在であり、かつ写真の延命のきっかけがない。

カメラ・オーストリア1
黒一色で印刷された
『カメラ・オーストリア』表紙

カメラ・オーストリア2
中を開いても黒一色

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写真の不在の効用と呼べるもの。平板な平成のこの国に、「写真のない日」を構想する現実的意義も少なくない。ルワンダにおける死者を追悼するために、写真を隠蔽することでその容器のみを提示したアルフレド・ジャールのような作家は、それを儀式的に考案した。2000年の今年、『カメラ・オーストリア』誌第69号は、同国における極右政党の政権参加に抗議する意思表示のため、ユルク・シュリックのデザインによって全頁を黒一色で印刷し、そこに白抜きの文字で「オーストリア2000」と記された。ジャールとシュリック、あるいは『カメラ・オーストリア』のエディターのクリスティーネ・フリシンゲリーとマンフレート・ヴィルマンは、写真の不在を現出させることが、火急の政治的な課題であることを証言する。写真を断ち切れ。ルワンダも極右の台頭も、他ならぬ写真の問題でもあるからだ。1930年代のファシズムのプロパガンダの時代、ラジオとビクチャー・マガジンの誕生から纏綿としていまなお続く、聴覚的・映像的誘引力の問題だからだ。時と場合によっては、膨大な写真の遍在・流通する環境に、不可視性そのものである異物・写真への抹消符を挿入し、亀裂を与えてやる必要がある。

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写真の死と次代のテクノロジーの生誕。それに対する期待と不安。テクノフォビア/テクノフィリア、ユートピア/ディストピア。現在の映像文化に見られる「期待と不安」。近年の典型的な批評は、両者を相克するルートをどうにか描き出そうとする。その際に、ジェンダー、主体/客体の二分法、ヒューマニズムやバイオモーフィズムを超える存在として、各種のインタラクティヴな装置、サイボーグやフィギュアが要請されてきた。多くの論者、特にアメリカ・イギリスの批評家は、かかる事態の分析において、フーコーによる視線の権力批判と、ラカンによる想像界と象徴界の切断=去勢に関する見解を、ポストマルクス主義理論とフェミニズム理論に接木するなどして援用してきた。かくして展覧会と書物には、窃視症的な映像と、脱ジェンダー的な主人公を仮構した物語が蔓延することになろう。その解読格子を日本型に変形して押し当ててみれば、当面、写真の近未来、美術の近未来の予兆的産物を手早くピックアップして語りうるだろう。

7
それでも写真は、依然として「顔と風景」を主題とするだろう。ただし両者は未分化なものとなり、ますます特性を欠いたものとして提示されるだろう。特性のある「顔と風景」も簡単に滅びないが、それが有徴のエキゾティシズムを超えて提示されるには、当の画像に「解説・注釈・翻訳」がいっそう明確に付随しなくてはならない。「言葉」が写真に再び介入し、失語の顔=風景と拮抗する。意味と意味の不在のたたかい、記憶と忘却のたたかいが、敵味方を定めがたいまま顕在化する。写真家は「作者性」の放棄を義務づけられる一方、かつてのように容易かつ曖昧には、編集者とキュレーターへ「作品」の成立に関わる責任・権限を委ねることが許されない。自ら様々なるジャッジメントに逐一参画し主体的権力を行使せざるを得ないため、「写真家」は作者性の放棄と強化とのはざまで引き裂かれた半=主体、揺動するオペレーターとなる。「今日から写真は死んだ」。その叫びが本気で叫ばれるような、さほどに鮮烈な次代の「発明」と遭遇する機会はたぶん訪れないだろう。懐旧のエモーションの凹凸を均してすべては移りゆき、驚嘆はありふれた消費意欲に居所を見つける。振り返れば驚くべきことなのに、われわれはむしろ無感覚に受容を反復するだろう。だから、たとえほんとうに写真が死んでしまったとしても、弔意を表す機会はあらかじめ奪われたままだろう。
[くらいい しの 批評家]

映画史
監督・編集:ジャン=リュック・ゴダール
東京会場:ユーロスペース
上映:2000年5月13日〜6月9日第1部上映
   6月10日〜6月23日第2部上映
問い合わせ:03-3461-0211
配給:フランス映画社
http://www.bowjapan.com

JEAN-LUC GODARD HISTOIRE(S) DU CINEMA (ビデオ)
発行:GAUMONT(フランス)
問い合わせ:Tel. 03-3815-7131 キネマ旬報社 事業部
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