(4)近代美術館――1
パリのルーヴル美術館、ロンドンの大英博物館、ローマのヴァティカン美術館など(ここに東京国立博物館を加えてもいいが)、18世紀から19世紀にかけて開設された初期の美術館・博物館を、磯崎新にならって第1世代の美術館と呼んでおこう。これら第1世代の美術館は基本的に古代を中心とする近代以前の、いいかえれば、美術館が成立する以前の美術品をコレクションの対象としている。それに対して20世紀以降に登場する第2世代の美術館――すなわち近代美術館は、文字どおり近代以降の美術をコレクションしているわけだが、それはについて美術館という制度が定着してからの美術作品、もっと突っ込んでいえば、美術館といういれものを前提に制作された作品を対象にしている、というトートロジカルなところがある。このことを明確にするために、近代美術館の話に入る前に美術の歴史を少し別の角度から読み直してみたい。そのことによって、第1世代と第2世代の美術館の本質的な違いを、さらには第3世代の現代美術館の展望まで語ることができるかもしれない。
美術史について語るとき、その出発点をどこに置くかは、なにを「美術」と呼ぶかという美術の定義にもかかわってくる問題だが、ここではひとまず無難に旧石器時代の洞窟壁画から始めたい。洞窟壁画というとラスコーやアルタミラが有名だが、現在までに知られているもっとも古いものは南仏のショーヴェ洞窟壁画で、約3万年前と推定されている。こうした洞窟壁画は約2万年にわたって描き継がれたというから、それだけで美術史の3分の2を占めてしまうが、興味深いのは、これら洞窟の周辺で石や骨を彫った手の平サイズの動物の彫刻や豊満なヴィーナス像が発見され、「動産美術」と総称されていることだ。こうしたポータブルな彫刻を「動産美術」と呼ぶならば、洞窟壁画のように土地と結びついた作品を「不動産美術」と呼んでもさしつかえあるまい。実際に「不動産美術」という用語は聞いたことがないが、このように命名することで以後の美術史に新たなパースペクティヴが描けるかもしれないからである。
事実、有史以降のエジプトやメソポタミアの壁画やレリーフも、ギリシア神殿を飾る彫像や装飾も、中世のモザイク画もルネサンスのフレスコ画も、すべて建造物に直接描いたり取りつけたりした不動の美術品という点で「不動産美術」にくくることができる。もちろんその間にも「動産美術」は存在したが、主流はあくまで「不動産美術」であったといっても異論はないだろう。つまり、旧石器時代からルネサンスあたりまで、美術史のおよそ98パーセントは「不動産美術」を中心に展開してきたということだ。第1世代の美術館の、とりわけ大英博物館のコレクションは、このような時代の「作品」が基礎となっている。大英博物館の誇る「エルギン・マーブルス」も「ロゼッタ・ストーン」も、本来それがあった場所からむりやり引きはがしてきた「略奪品」といっていい。
そして、「不動産美術」は建造物と一体化したものであるがゆえに多くの人の目に触れ、たとえばピラミッド内部の装飾などを例外として、おおむね公共的な性格を備えていたことにも留意したい。その目的が呪術であれ、宗教や知識の伝達であれ、あるいは政治的扇動であれ、美術はもともと民衆の目に供されるためにつくられてきたのであり、そのための手段として「不動産美術」は効果的なメディアであったということだ。
また、建造物そのものに装飾するわけだから、美術家は注文が来れば現地に赴き、その場でコツコツと制作する無名の旅職人にすぎなかった。ルネサンス以前の美術家では唯一名を知られたジョットでさえ、フィレンツェの工房にとどまることなく、パトロンの求めに応じてアッシジやパドヴァを旅してフレスコ画を描いていた。現在の美術家のようにアトリエにこもって自由に制作することなど、当時は考えられなかったに違いない。このように注文に応じて制作する方式を「注文生産方式」と呼ぼう。そこでは注文が来て初めて制作に取りかかるわけだから、作品の需要と供給は一致していたか、少なくとも供給が需要を上回ることはありえなかった。
ところが、ルネサンスの時代に大きな変化が起こる。油彩画、すなわち油絵の発明である。中世末期に北方ネーデルラントで開発された油彩画の技法は、それまで壁に直接描いていた絵を木の板(のちにより簡便な布)に描けるようにし、絵を持ち運び可能なものにした。この技法はまたたくまにルネサンス期のイタリアにも広がり、15世紀を境に美術が「不動産」から「動産」へと移行する原動力となって、近世−近代を「動産美術」中心の美術史に塗り変えていくのである。
そして、ひとたび動産化された美術は物理的に自律しただけでなく、「商品」として流通可能になり、人々の所有欲を刺激してコレクションの対象となっていく。絵画には額縁が、彫刻には台座が取りつけられ、それらが作品と展示空間との緩衝材の役割を担って、基本的にどのような場所にも展示可能になる。いわば額縁や台座は、その作品が特定の場所(サイト・スペシフィック?)から解き放たれたことの証なのだ。こうして移動可能になり、商品として取引され、コレクションに収まった作品がやがて一般公開され、第1世代の美術館となるのだが、それはまだ先の話。
さて、美術が不動産から離れると、パトロンはわざわざ美術家を招いて現場制作させる必要がなくなり、工房で制作したものを納品させればすむようになる。のみならず、美術家は注文が来なくてもあらかじめ売れることを見込んで自由に制作し、買い手が現れるのを待つ。これが「注文生産」から「商品生産」(もしくは「見込み生産」)への移行である。美術家の彦坂尚嘉は、注文生産の時代を「注文主と制作者の二人が、作品を作っていたコラボレーションの時代」と呼び、商品生産への移行を「注文主と制作者の二人が、一人のアーティストという人格に統合される」と述べている。つまり、注文生産の時代にはパトロンがテーマや条件を出し、美術家はそれに従って制作していたのだが、商品生産の時代にはなにをどのように描くか、すべて美術家がみずから考えなくてはならなくなったということである。
「商品生産」はまた、売れることを見込んで作品をつくる方式だから、供給を過剰にして作品をダブつかせ、それを売りさばく画商という新しい職種の誕生を促した。このような商品生産への移行や画商の誕生がもっとも早かったのは、「絵画の黄金時代」と呼ばれた17世紀オランダであるが、これは当時のオランダがプロテスタントの市民社会として成立した例外的な国家だったからであり、西洋で一般化するのはフランス革命後の19世紀に入ってからのことになる。いずれにせよ、美術家はこうしてパトロンに従属していた職人の立場から、みずからの意志で創造する芸術家へとステップアップした代わりに、つくった作品が売れる保証はなくなり、収入の不安定な生活を余儀なくされる。ボヘミアンとしての近代的な芸術家像はこのように確立されていったのである。第1世代の美術館、たとえばルーヴル美術館の絵画コレクションが対象とするのは、おもに「注文生産」の時代であり、「商品生産」に移行してからの作品は第2世代の美術館、パリでいえばオルセー美術館に収められていくのである。
ところで、大英博物館やルーヴル美術館の開館当時、陳列物は現在のように時代順、地域別、ジャンルごとに分類されておらず、独自の趣味判断に基づくか未整理のまま展示され、「珍奇な骨董屋」と揶揄されるほど混沌とした様相を呈していた。
当時の陳列方法をいまに伝える美術館に、ロンドンのサー・ジョン・ソーン美術館がある。これは18-19世紀に活躍した建築家のジョン・ソーン卿のコレクションを、彼の死後自邸ごと公開したもの。そこでは建築や彫刻の断片(石膏のレプリカ)が空間恐怖症的に壁面をおおい、観音開きの扉のなかには何枚もの可動パネルに絵画が掛けられ、そのうえ部屋のあちこちに鏡がはめ込まれて、邸宅全体が怪しげな迷宮になっているのだ。ジョン・ソーン卿は新古典主義の建築家だったからとりわけこのような傾向が強かったのかもしれないが、初期の美術館の陳列はおおむねこのように、個々のコレクションを作品本位に見せるというより空間を埋めるための一単位としてとらえ、絵画なら壁面が見えなくなるほどびっしりと埋めつくし、建築の断片や彫像ならそのまま美術館建築の一部に組み込んでしまう傾向があった。これは、コレクションの組み合わせで部屋全体をひとつの宇宙に見立てる「ヴンダーカマー」の名残であると同時に、当時の人たちがいまだ絵画や彫刻に「不動産美術」の記憶を引きずっていたせいかもしれない。
ともあれ、いま見れば混沌というほかないコレクションの陳列も、19世紀に美学・美術史の学問が確立し研究が進むにつれ、しだいに時代順、地域別、ジャンルごとに分類され整理されていく。美術館内のあらゆる作品は、それが本来もっていた呪術的、宗教的、政治的な機能や属性をはぎ取られ、唯一「美」の名のもとに体系化されて自律した美術史を形成し始める。ベンヤミンの言葉を借りれば、美術品は「礼拝的価値」から「展示的価値」に転換していったのである。このように美の基準が一元化され、美術史が線的に捉えられるようになると、その延長線上に美術の未来や美術家の進むべき道を位置づけようとする。近代美術の「進歩史観」はこうして確立されていく。
美術家はこの進歩史観に基づいて、美術史の先端にみずからの作品を位置づけるべく制作を行い、美術館に作品がコレクションされることを最終目標とするようになる。こうした同時代のモダニストの作品を集めたのが第2世代の美術館、すなわち近代美術館であった。
[参考文献]
磯崎新「Nagi MOCA」、奈義町現代美術館カタログ
土方定一『画家と画商と蒐集家』岩波新書
彦坂尚嘉「電脳化社会と美術の変動」、『批評空間U-23』
ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』(高木久雄・高原宏平訳)晶文社 |